第2話 死闘、油断、はじめての敗北
新しい生活を送るにあたり、目下一番の問題は生活費の確保。
そもそも街全体で魔物からの逃亡生活を送っているという状況であるため、食糧の希少価値はかなりのもの。一応畑も牧場も亀の上に作られてはいるが、需要に供給が追いついておらず、一日生き延びるだけでも相当な金額を消費する。
蓄えで凌げるのは一週間が限度だろう。
加えて俺の悪評は街中に広がっており、他のパーティーに加入が認められる公算は低い。魔物狩り以外に目を向けたところで俺を雇おうとする物好きはいない。
つまるところ大前提として、俺は一人で魔物を殺せるようにならないといけないわけだ。
魔物狩りに必要な手続きは以下の通りである。
①街の中心にあるギルドの本部、もしくは外縁部に散らばる支部にて魔物の出現情報を確認。街から三〇キロ圏内にいる魔物の数と分布、それぞれの危険度がリアルタイムで張り出されているので、殺せる自信のある相手を選び、受付に駆除を申し出る。
魔物は人々の匂いを嗅ぎつけひっきりなしに街に近づく。依頼が尽きる日は中々ない。
②魔物の元へ移動する。街は大亀の上に建てられているため、近づいてくる魔物を殺すためにはまず甲羅から地面に降りなくてはならない。
しかしながら街が乗るほどのサイズの大亀であるため、一番昇降しやすい場所でも高度差は百メートルを超える。
街の四隅には他人を飛ばせる魔法を扱う『渡し手』達が控えており、彼、彼女らの力を借りて魔物の元へ移動することになる。利用料が中々に割高であり、討伐に失敗すればそのまま自身の負債となる。
命の安全を置いておくにしても、確実に倒せる相手を選ぶことが重要というわけだ。
③ここまで来ればあとは単純。迫りくる魔物を殺しきれば依頼達成である。
「単純なんだけど、俺にとってはここからが問題だよなぁ……」
そんなわけで俺は現在魔物狩りの最中。
①、②の手順を終えて③。俺を食おうと迫りくる大熊にワンタッチし幻覚を見せるところまでは終わっている。
目の前にラリった大熊が寝転がっていて、あとはこいつにトドメを刺せばいいだけの話なのだが、情けないことにここから先の引き出しがなかった。
今までは簡単なことだった。
たいていの魔物は知能が低いため、『まわりの地面は全部溶岩!』とか、『周囲の空間は全て鋼鉄!』とかの幻覚を見せれば、幻を幻と判断できずその場から一歩も動けなくなる。
あとは棒立ちの魔物を焼くなり煮るなりという流れで片付くし、これまではパーティーの誰かが勝手に片付けてくれた。
が、今この場には俺しかいない。
俺が使える魔法は幻覚のみ。新たに武器を買うような金も無く、最高火力は正拳突きといった体たらく。
こんな原始人スタイルで、自分の八倍サイズの獣を仕留められるわけがない。
先程試しに顔面にワンパン入れてみたのだが体重差のせいで普通に手首が痛い。
加えて拳を入れた瞬間、衝撃に驚いた魔物が暴れ回る。無闇矢鱈に振り回される爪、吐き出される炎。
視覚を支配しているだけで体の動きを封じているわけではないのだ。普通に反撃はやってくる。
今回はなんとか躱せたが、何度も近づくのは危険が過ぎる。
今後も魔物狩りを続けるために、俺は魔物を一撃で殺せる火力を手に入れなければならないというわけだ。
「うーん……いろいろ試してみるかぁ……」
まったく面倒な状況ではあるが、全くの無策というわけではない。
パーティーから追放されるよう誘導したのは俺自身なのだ。作戦は数十程度は考えてきている。
まずは第一案。精神攻撃。
寝転ぶ大熊を二度つつき、魔力を体に流し込んだ。
唐突な話だが、この魔物には恋人がいる。
幼い頃から寝食を共にした幼馴染であり、お淑やかで木の実を食べるのが大好きな、不意に浮かべる笑顔がとっても素敵な雌クマだ。
彼らは早くに両親を亡くしたもの同士。お互いの存在を心の支えに、健やかなるときも病めるときも寄り添い合い、森を旅して過ごしてきた。
そんな中、彼らはある匂いを嗅ぎつける。
大亀の背に建てられた街、そこに住む人々の匂いだ。
魔物は人を食い殺すことを何より好む生き物。久しぶりの人間を前にした大熊はこれを喜び、人間の死肉を雌熊への贈り物にすることを決めた。
狩りは極めて拙速に成功した。パーティーを一組惨殺し、臓物の美味いところを咥え、雌クマの元へ歩く。
久しぶりの人間の肉に喜ぶ恋人の姿を想像しながら、彼は小走りで帰路をゆく。
そう、予定より早くなってしまった帰路の末、巣へとたどり着いた僕が目にしたのは、誰より愛した恋人が見たこともない雄クマと寄り添う姿だった。
意味がわからない光景に思考が止まる。
声をかけようとするのに喉がかすれる。二匹の姿から目を逸らすこともできない。
ただただその場に立ち尽くしたまま、物陰からじっと視線をおくる。
会話の内容は遠くからでもよく聞こえた。
二匹は愛を語らっているようだった。
「うーん……君さぁ、また爪伸びてきた?」
「あぁうん、最近忙しくてさ」
「へぇ……そっかそっか、忙しいのにわざわざ来てくれたんだ。私来てくれって頼んだわけでもないのに」
「おいおい……茶化すなよ……」
「えへへ…………愛してるよ」
「俺も。愛してる」
自然な素振りでキスをする。
びっくりするほど自然に微笑み、知らない雄クマに頬ずりをする僕の恋人。
雄クマとじっと目を合わせ、滑らかな毛並みに舌を這わせ、耳を優しく口に含む僕の恋人。
愛しい恋人のとる一挙手一投足は見たこともないくらい自然なもので、僕といるときよりずっと幸せに満ちているような気がした。
「そういえば時間大丈夫?家主がそろそろ帰ってくるんじゃないの?」
「………………忘れさせてよ、今だけは。あんなキモい奴の話しないで」
ごめんと小さく謝って、黙って優しく抱擁を交わす────そんな悍ましい光景に耐えきれなくなって、僕はその場から逃げ出した。
咥えていた臓物を落としてしまったが、それを気に留める余裕はない。
逃げて逃げて必死に走って、自然と足は街の方人の群れのほうに向かっていた。
『さっきの会話は何かの間違いだ』
『昨日まであんなに好きって言ってくれていたんだ』
『僕らはちゃんと愛し合っているはずなんだ』
『あの子は人間の肉が大好物なんだから、もっと沢山臓物を集めてプレゼントすれば、きっとあの子も振り向いてくれる』
大丈夫、大丈夫と、縋るようなうわ言を繰り返し、ようやく街に辿り着き────そうしてこのクマは俺に出会い、敗れたのである。
もちろん全部が嘘である。魔物の哀しき過去なんて知っているわけがないし、こいつにつがいがいるかどうかさえ定かではない。前述のストーリーは全てが俺の創作だ。
かといって突拍子もない妄想を語ったわけでもない。
俺の職業は『幻想術士』。
ぱっと思いついた偽りの失恋物語を、魔物の脳内に流し込んだのである。
「喰らえバケモノ……!『誰もお前を愛さない』……ッ!」
第一案は精神攻撃。
お辛い幻覚を見せることで魔物に鬱病を患わせ、失恋のショックで自殺させるという作戦である。
先述のとおり魔物は知能が低く、幻覚を幻と認識できない。
それゆえ、突如脳内に溢れた視覚情報を現実のものとして受け入れてくれるのではないかといった試みだ。
「ア゜、ア゛ッ!?ァ゛ケ゛ア゛アア゛ア゛ア゛ア゛!」
「ひっ──!?」
結果、魔物は絶叫した。
まるで駄々をこねる赤子のように手足を振り回し暴れ回る。
油断していた俺の頬を鋭い爪が掠め、慌てて魔物の側から離れひと呼吸。
しばらく遠巻きに魔物の様子を確認してみるが、どうやら第一案は失敗に終わったようだ。
元気一杯暴れ続ける姿は非常にエネルギッシュで鬱から最も遠いものを感じる。パニックを起こしてはいるようだが、幻覚を見せただけで精神病の発症を待つというのは流石に無理がある作戦だったようだ。
そしてどうしよう。『両手の指で数えられないくらいの作戦がある』というのは嘘である。
俺は無力な幻想術士。頼れる攻撃手段にバリエーションがあるはずもなく、用意できた作戦は現在失敗した第一案のみである。
つまるところは手詰まりである。
もう駄目だおしまいだ。
俺はやっぱり非力で無能で、独りで討伐なんてできるわけがなかったのだ。
「や、やべぇよやべぇよ乞食しなくちゃ……!今からでも同情を引ける迫真な演技技法を習得しなきゃ……!」
と、そこで気が付いた。
倒れる大クマが鼻血を流している。
「────ひっ!?」
反射的に俺は叫んでいた。
なんでこの場で鼻血など出すのか。俺は幻を見せただけだ。
まさかこのクマ、恋人を喪って興奮してるのか。バケモノは恋愛観までバケモノということか。
びくびくと痙攣し呆けた目を剥く汚らわしい魔物に盛大にドン引きするが、あまりの過剰反応に遅れて違和感が湧き上がる。
試しに魔物にかけた幻覚を解いてみるが、大グマは倒れたままである。
「…………んん??」
これは一体どういうことか。
全く見当もつかない、これまで一度だって見たことのない反応である。俺は色々試してみることにした。
失恋シーンをもう一度流してみたり、ペット(三毛猫)との死別を体験させてみたり、職場でクビを宣告してみたり、多種多様な幻覚を大グマの頭に流し込んでみた。
多種多様な実験の末、一三個目の幻覚、『手間暇かけて仕込んだドミノを通りすがりのおじさんに崩される』を見せた瞬間、『ンコ゜ッ!』なんて鳴き声を遺し、大グマの瞳がぐるりと回る。
恐る恐るつついてみても反応はない。というか息をしていない。何度も確認したが間違いない。完全完璧に死んでいた。
「……………………おぉぉ!なるほどそういうことか!!」
結論が出た。
どうやらこれは『過剰情報量による脳機能の損傷』のようである。
はじめに見せた失恋系幻覚が総時間一五分、ドミノ幻覚は八〇〇時間。どちらも長々再生する暇はなかったため、情報を圧縮し一秒で脳髄に叩き込んだ。
そして再三になるが魔物はおバカ。あまりに大量の視覚情報を同時に処理させた結果、クマくんの脳味噌が熱暴走を起こしたというわけである。
再生時間と出血ダメージが比例していることから見て、間違いのない推論だろう。
「す、すげぇ……!この方法なら俺でも魔物を討伐できる……!」
問題点がないわけではない。
同時に数万もの幻覚を創り出す関係上、一度の攻撃にも膨大な魔力が必要になる。現に今も俺の魔力は尽きかけているし、継戦能力は大きく下がるだろう。
しかし贅沢は言っていられない。
偶然見つけたこの作戦は、無能な俺に与えられた最初で最後の刃なのだ。
「よし、やってやるぞ……!」
そして誓う。
こうして独りで戦える力を手に入れた以上、二度と他人に依存してなるものか。
これからは何が起こったとしても、自分一人の力で戦い抜いてみせる。
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