第5話 秩序のスニア

階段は思いのほか短く、すぐに2階へと辿たどり着いた。というより、ここへ来る途中のビィスタとの3時間におよんだ珍道中ちんどうちゅうと比べればマシに感じるだけかも知れないが。

「んで、まーた扉…」

最初に入った時と同じ見た目の扉が、妃奈の目の前にフワフワと浮かんでいた。ここまで魔法チックなことが出来るのに、何故階段は歩きなのだろうかとツッコミを入れたくなったが、疲労が溜まっている妃奈ひなえてスルーして扉に手をかける。

(この中に7人の令嬢とやらがいるんかな?令嬢ってようするにお嬢様ってことよな。私礼儀作法とか良く分かってないねんけど、大丈夫かな。)

この異世界に妃奈いた世界の礼儀作法が通用するかは不明だが、ここまでの住人とのやり取りを思い返すにそこまで大きく違うところも無さそうだ。頭の中で対お嬢様用の挨拶あいさつを数回シュミレーションし、取っ手を握り扉を開ける。


ガチャリ


そこは、この異世界においても不思議な空間だった。まず、塔の中のはずなのに壁も天井も見当たらない。見上げても左右を見渡しても、足元を見つめても、とにかく白い。という情報しか得られない。部屋自体が魔法空間で生成されているのか、幻惑なのかは分からないが、この何も無い白の空間は巨大で、そしてとても静かに感じられた。

「あの…」

「あっ、はい!」

声のする方を見上げると、椅子に座った1人の女性が宙を漂っている。扉の中には、予想通り7人の令嬢の1人と思われる女性が居た。白のドレスに透き通るような白い肌、澄んだ白髪と、この部屋の主に相応しい容姿の人物だ。しかし、その女性が滅茶苦茶めちゃくちゃ不機嫌そうににらんでくることまでは、さすがに予想出来なかった。

「こんにちは。わたくし、スニア・ベラ・モルギェンツと申しますわ」

「あ、はい。ミカリーです。よろしくお願いします」

自己紹介も済ませた後も、尚も妃奈を非難するように見つめるスニアと名乗った女性。

「あの、え、私。何かしましたか…?」

なにかもなにも…」

スニアがこちらへゆっくり降りてくる。近づいてみれば、現実世界の妃奈(22歳)とそんなに年齢は変わらなそうに見えた。しかし、ミカリーにはない気品の様なものが、彼女をさらに美しく高貴に見せていた。

「貴方、ノックもせずに入ってくるなんて、不躾ぶしつけではななくて?」

「!」

圧力すら感じるスニアの一睨を受けた妃奈の行動は迅速だった。瞬時に両足を曲げ、音速と見間違えるばかりの初速で両手を頭の方に突き出しながら体を折る。そしてーー。

「す、すみませんでしたァああ!!」


日本古来から、脈々みゃくみゃくと受け継がれてきた伝統技術。誠意を相手に伝達し、こちらの贖罪しょくざいを表現する珠玉のスタイル。


妃奈の土下座は、最早芸術の域に達していた。


「も、もうわかったから。顔を上げて宜しくてよ」

土下座という文化を知らないはずの異世界の民さえ、多少動揺どうようしてしまうほどに綺麗な土下座をした妃奈は、その言葉を聞きおもてを上げた。恥ずかしさのあまりに顔は紅潮こうちょうし、肩はプルプルと小刻こきざみに震えている。

(やってもうた。そうやん。扉ときたらノックやん。あんだけ高校受験の時、面接練習でやっといたんに、異世界の礼儀作法とか以前のマナーなのにぃ…!)

ギリッ。と、くちびるを噛み締める妃奈を、さとすようにスニアが話しかける。

「あの。本当にもう大丈夫ですわ。貴方、1年生でしょう?まだ12歳の子が粗相そそうをした程度で、わたくしも少々キツく言い過ぎましたわ…」

本当は22歳ですなんて口が裂けても言えない状況で、妃奈は更に顔が赤くなった。もう帰りたい。魔獣に追われていた時ですらいだかなかった感情が、まさかこんな所で芽生えることになるとは。

「コホン。さて。ではそろそろ、始めましょうか」

「はじめる…?」

そういえば、担任教師ビィスターからは『7人の令嬢に会う』としか聞いてない。はじめるとは何をだろうか。何にせよさっきのような礼儀をいたことはしないようにしなければ。と妃奈は気を引き締め直す。そんな真剣な表情の妃奈に、白いドレスを揺らめかせながら、令嬢スニアはニコリと微笑みかけ…。

「消し飛んでくださいまし」

「…へ?」

スニアの周りの空気が渦を巻く。今日だけでも何度目かになる魔法が始まる前のおこりを目撃し、赤らんでいた妃奈の顔から血の気が引いた。

「な、なんで?」

それだけを発するのが精一杯だった。消し飛んでくださいとスニアは言った。つまり、今彼女が放とうとしている魔法は、保健の先生べドリスの拘束魔法や、担任の先生ビィスターの虫召喚魔法とは違い、明確な殺意が乗った魔法だということだ。

「どうせ意識を失うのですから、聞いても無駄。というものではなくて?」

スニアは両手を上空に掲げる。魔力の塊だろうか、灰色の光の玉が両の手の平の間に出現していた。玉は段々と大きくなり、くす玉程の大きさになっていった。

わたくしの全ての魔力を注ぎ込みましたわ。貴方に、受け止める自信があるかしら?ミカリー!」

「な、まってよ。ねえ!」

アレに当たったら死ぬ。その事実が解りたくなくても理解出来てしまう。最初に入った扉も消えており、白一面のこの空間に隠れる場所などなかった。

「いきます。『穢れ無き者よ、純然なる輝きで、かのものを祓え。ガインズ・センリーン』…!」

「………ッ!」

妃奈の放った言葉は、妃奈自身に聞き取れなかった。スニアが両手を振りおろし飛来させた灰色の玉の疾走音があまりに激しかったからだ。咄嗟とっさに、頭を抱えながら前のめりに転がるような形で間一髪で避けた妃奈だったが、地面に伏しているため次のアクションができる体勢では無い。終わりだ。もう一度さっきの何とかかんとか魔法ガインズ・センリーンが来たらもう避けるすべは無い。そうさとった妃奈の胸中には、自身の生涯しょうがいが終わることの悲しみより、ミカリーに無事に体を返して上げられなかった後悔が募っていた。

(ごめんな。ミカリー。ほんと、私は口だけ人間やったな)

絶対にミカリーをシャーリーにまた会わせると、固い意思で塔へ入ったつもりだった。しかし、まさか無罪を主張する所か殺される理由もわからないままアッサリ死ぬとは。情けなさと悔しさで、妃奈の目から涙が滲んだ。もう、スニアが再び魔法を詠唱する声も、2弾目の魔法が発現した音も聞こえない。これが例の、死ぬ前に自分以外の事象じしょうがゆっくりに見えるというやつかと冷静に妃奈は分析していた。


バタッ。


彼女が倒れる音が、白の空間に響く。痛みは意外と感じないのだな。妃奈は涙を浮かべた目を閉じると、そのまま…。

(あれ?倒れる音?)

パッとめを開ける。おかしい。倒れる音も何も、自分はもう既に倒れている。では今の音源は一体どこからだろうか。妃奈が思わず顔を上げると。


「…はぁ…はぁ…ッ」


スニアが、倒れていた。


(……なんで!?)


事態が上手く飲み込めない妃奈だったが、苦しそうに地面にうずくまるスニアをみて、断片的に理解する。つまり、2発目の魔法が放たれる音が聞こえて来なかったのではなく、1。そうだ。確かに彼女はさっき、『自分の全ての魔力を注ぎ込んだ』と言っていた。2発目を撃てる魔力なんて、残ってはいなかったのだ。

「えぇ…。余力ちょっとは残しといたら良いのに」

ボソッと呟いた妃奈だったが、どうやら聞こえてしまったようでスニアにまた睨まれてしまった。もっとも、部屋に入った時と今では、睨む意味合いが違っているが。

わたくしの…、魔法は…。1度放…ば…せい…ぎょ…も自在、はぁ、ひっさ…はぁっ…中…すわ…」

息も絶え絶えにスニアが何かをうったえる。途切れた部分を無理やり脳内補完すると、あの魔法は構成上、本来外れることがほぼないかつ、必殺の威力を付与させている技だったらしい。余力を残しておかなかったのでなく、魔法の質を高めた為に残せなかったが正解っぽかった。では新たな疑問が出てくる。なぜ妃奈は、そんな大掛かりな魔法を避けることが出来たのか。

「…ほらっ」

スニアがドレスのどこからか金属を取り出し、妃奈の元へ投げ出した。妃奈の3歩ほど手前でカチャリと音を立てて落ちたそれは、乳白色の鍵だった。

「これは?」

いよいよ訳が分からなくなった妃奈だったが、とにもかくにも渡された(否、投げつけられた)鍵を見つめる。拾い上げるべきか、でも罠かも。と、迷っていると。

「その鍵で、次の階に…進めますわ」

倒れた直後より呼吸が幾分いくぶん整ったスニアが端的たんてきに説明する。悪意は無いと言いたいようだ。

「でも、扉なんて無いし…」

その途端、妃奈が『扉』という単語を使うのを待っていたかのように鍵が光だす。と、同時に、手のひらに収まるくらいだったその金属は見る見ると形を変えていき、あっという間に乳白色の扉に変わった。

(あー。敵を倒すと次のフロアに進める。みたいやつやコレ)

「ありがとう。あの。スニア、さん」

「…なんですの」

何を聞かれたって答えないわよ。とばかりに睨む彼女に、妃奈が言葉を続ける。

「あれやったら。べトリス先生呼んできましょうか?」

尋ねられ、キョトン。と効果音が鳴りそうなほどにほうけた顔になるスニア。かと思うと、その言葉が自分の身を案じての台詞だと理解し、屈託のない笑顔で‪笑いだした。

「ウフフフフ。わたくしは貴方のことを…半年寝たきりにして差し上げようと思ってたのに。…変な子ね。ミカリー」

なぜ笑われているのか分かっていない妃奈は、愛想笑いで返す。良かった。そこまで心配するほど大事じゃ無いのかもしれない。と、1人安堵する妃奈に、笑顔のままスニアが話しかける。

「頑張って頂戴ね。上の階の方々は、わたくしと違って良い人ばかりではなくてよ?」

頑張って。気品高いお嬢様にそう言われて、素直に受け止めそうになる妃奈だったが、

(ああぁ。やっぱり1階ずつこんな感じでイベント戦みたいにするんやん。え、あと6階全部こんなバトル系?)

次に待ち受ける試練のことを思い、これなら大掃除をしていた方がマシだったと、何度目かの結論に至る妃奈だった。

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