第28話 いいえ、私達は努力しました
ナナの試合の一部始終を、ハシルは廊下のモニターで見ていた。
待機部屋へ戻らないハシルを、誰も連れ戻しに来ない理由は分からなかった。しかし今のハシルにとって、そんな事はどうでも良かった。
警察が動くまで待つ気には、とてもなれない。
ハシルは廊下を走り回り、試合出場者用の通路を探した。廊下から辿り着ける場所なのかは知らない。しかし、そんな可能性を考えもせず、ハシルは探す。
そして、ついに見つけた。
試合を終えた
「ナナさん!」
ハシルは、いくつも並んでいるストレッチャーの中に彼女がいるかも、分からぬうちに叫んだ。そして、勢いのままストレッチャーの列へ突入する。
ストレッチャーを持ったまま戸惑う係員達を無視して、ストレッチャーの一つ一つに寝かされた人々の容姿を確認する。
誰も彼もボロボロのレーシングスーツで血まみれだ。しかし身体を欠損した者は見当たらず、顔も判別ができる程度の怪我で済んでいるのは、不幸中の幸いか。
「ナナさん……」
一番後ろのストレッチャーに、ハシルはついに見つけた。
彼女は顔の一部に軽微な火傷を負っていたが、一見した大怪我は見当たらない。
しかし、その目は固く閉ざされている。
「ナナさ――」
「何をしている!」
横たわるナナの肩に触れようとした矢先、ハシルの身体はストレッチャーから大きく引き離された。
「ここはお前のいていい場所じゃない!」
「離せ!」
ハシルを羽交い締めにしようとする二人の警備員に対し、ハシルは
「人を人とも見ないような連中の指図、誰が聞くか!」
「何の騒ぎだ!」
後方からの怒声に、ハシルも警備員達も一瞬、動きが止まる。
ハシルは、後ろを見る。
そこにいたのは、警備員と似た制服だが、警官だった。
ハシルに事情聴取をした、二人の警察官だ。
「あの人は、俺の知り合いなんです!」
ハシルは警官に訴えた。
「このまま連れて行かれたら――」
「ストレッチャーは、救護のために移動しているのだろう?」
ハシルの言葉を、警官は遮った。
「でも!」
「君は怪我を治せるのか?」
「しかし……」
「行かせなさい」
係員達は、そそくさと動き、ストレッチャーを通路の奥へ運んでいった。
警備員達は、警官がハシルを連れて廊下へ戻っていくのを見ると、持ち場の方へ退散していった。
「この大会は……いつ終わるんですか?」
ハシルは、自身を遮った警官達に憤りを感じながらも、気持ちを切り替え、捜査の進捗を尋ねた。
「事情聴取は、どれくらい進んでいるんです?」
「事情聴取なら、もう全て終わりました」
ハシルは、予想外の言葉に驚いた。
「え? もう? ここにいる人って、沢山いますよね」
「全員ではありませんが、もう十分な聞き込みを完了しました」
「じゃあ、もう摘発できるんですか?」
「この大会は、多少の改善を加えれば問題の無いイベントです」
「は?」
「主催者、参加者、双方に話を
「そんなわけないだろ。そもそも違法レースなんだから」
「違法ではありません」
「
「『違法』というのは語弊ですね。Dレーシングという競技では、ルール違反です。しかし個人同士が同意の上で、遊戯に使用する分には問題ありません」
「遊戯? あんたら、さっきの試合を見てなかったのか? あれが、お遊びに見えるのか?」
「Dレーシングではないから違法ではない、という事です。試合は全て、あなた方参加者が同意の上でやっている競技でしょう?」
「同意?」
――ナナさんは、同意なんて一切してない。
――その話を聞いていれば、こんな結論に至るはずが無い。
「もっとちゃんと事情聴取して下さいよ。肝心な情報が伝わってない」
「いいえ、事情聴取は充分におこないました」
「奴隷オークションの事は訊きましたよね? あれは間違いなく違法だ」
「それは、あなた以外の人は誰も言っていませんでしたよ」
「はあ?」
「あなたの勘違いでは?」
「事情聴取が足りないんだ」
「いいえ、事情聴取しました」
「でも、全員には
「いいえ、違います。全員に訊きました」
――何なんだ、コイツら。さっきと言ってる事が違うじゃないか。
「さっきは、全員には訊いてないって――」
「残虐に見える演出も、参加者と合意の上でのパフォーマンスと聞きました。配信で視聴者数を得るために、わざと過激にしていると」
「合意の上で、だって?」
「そこに関しては、やり過ぎを注意しました」
「あなたも、適度なパフォーマンスは構いませんが、過激な行動は控えるように」
「なんで俺が注意されなきゃならないんだ!」
ハシルは激怒した。
「試合はパフォーマンスなんかじゃない! ふざけるな!」
ナナとチームメイトであったハシルには、容易に察せられた。
試合中に見せたナナの涙は、演技で出している物などでは、決してない。
苦渋の末に出した言葉は、用意された台本ではない。仮に台本なら、そんな台詞を口にする事など、彼女が承諾するはずがない。
「ふざけていません。私達が正確な情報把握を努力した結果、得られた結論です」
しかし警察にとって、そんな事は理解の外だ。
「適当な事を言って、私達を混乱させる行為を、なぜするのですか?」
「適当な事なんて言ってない!」
「それに、あなたも自主的に大会に参加しているのでしょう? 違法だと思う大会に、なぜ参加したのですか?」
「それは――」
「では、私達は失礼します」
警官達は、ハシルを取り残して廊下の奥へ歩いていく。
「どこに行くんですか?」
ハシルが尋ねた。
「本部へ報告に戻ります」
「『問題は無かった』って?」
「今回の捜査結果を、偽りなく報告します」
「次に、ここへ来ることは?」
「なぜ、また来る必要があるのですか?」
警官達はハシルに対し、まるで自分勝手で迷惑な人間を見るように、困ったような、見下すような視線を送った。
「もう夜も遅くで、我々も疲れています。これで本当に失礼させてもらいますよ」
――俺は、何か発言を間違えたか?
ハシルは一人残された廊下で、考えを自分の頭の中で反芻させた。
廊下は暗い。今日の試合は全て終了したようで、大型モニターは真っ暗で何も表示されていない。
――試合がパフォーマンス? 奴隷オークションが勘違い? そんな茶番で、これだけ沢山の人間が苦しめられるはずがない。きっと、主催者が上手く誤魔化したんだ。しかし、警察がそんな簡単に誤魔化されるなんて……
「試合はどうだった?
その時ハシルに声を掛ける、一人の人影が、廊下の奥から現れた。
「
ハシルが睨んだ先では、いつも通り紺の上品なスーツに身を包んだ福馬サクが、上機嫌な笑みを浮かべて立っていた。
「フクマコーポレーションの力もあって、警察は引き下がってくれたよ。いやあ、事業は成功しておくものだね」
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