第15話:狩りの標的



「──っ?」



 薬草採取も一段落した頃。


──僕の【魔力探知】領域に、が足を踏み入れた。



「……魔獣……狼型、数は……一、二匹……?」


 索敵範囲の端の端、まだ戦闘を回避できない距離じゃない。


 魔獣。本来であれば自然の中で息づく獣の類だったそれが、異界から滲み出た魔力や魔物に毒されてしまった生き物としての成れの果て。堕ちた獣。


 それでも、元居た縄張りを忘れず、だけど理性を欠いて本能的な捕食欲や破壊衝動にかられて活動する様は、人間にとってただただ害悪でしかなかった。


「……狼型の魔物──ワイルドファングで間違いないけど……」


 ワイルドファングと呼ばれる狼型の魔物は、聖王国アルストロメリアやオーグラント王国だけじゃなく他の国にも広く分布する一般的な魔獣だ。


「でも、数が少ない……? まだどこかに……」


 数匹から十数匹でひとつの群れを成して連携して、獲物を追い込んで狩りをする魔獣だから、一匹二匹なんてことはないはず。


 僕は、ワイルドファングを捕捉した方角に集中して【魔力探知】の範囲を丁寧に拡大させた。


「──なんだろう? 縄張り争い……?」


 探知はできた。十数匹が点在しているようだけど、どうもそれがひとつの群れとは思えない動きをしている。


 まるで、ふたつの群れがひとつの獲物を奪い合っていて、お互いの群れが邪魔し合っているみたいな、そんな感じの動きをしている。


「……何を、狙ってるんだろう? ……っ、これ以上は、【魔力探知ディテクション】の範囲を広げ……られないっ」


 一方向に集中させて探知範囲を広げるというのは、それはそれで歪なかたちで魔術を展開させるようなものだ。


 今の僕に、それを維持し続ける器用さはない。また、【魔力探知】の端がかたちを失いそうになっている。


「……戦闘……単独戦闘は、今はまだ避けなきゃ……逆に捕捉される前に逃げよう」


 薬草採取は十分にできたし、これで【森林探索】の依頼は達成で良いだろう。


 ふと頬を撫でて過ぎ去っていく風は、ワイルドファングの群れを探知した方角から吹いてきていた。


 こっちが風下。嗅覚に優れたワイルドファングが風にさらわれた僕の匂いを嗅ぎつけて来ることもないだろう。こっちは戻る方角──王都ロイザームの方角だ。これは運がいいな。



「──でも、気は抜かずに帰らなきゃ……っ」



 王都の方角へと僕は踵を返した。


……【魔力探知ディテクション】展開縮小、通常範囲で固定。


 僕は、探知範囲の収縮を感じながら歩き始める。探知範囲を外れて見失なっていくワイルドファングの気配を数えながら……。



──新たに【魔力探知】領域に踏み入った存在に、引き止められるかのように足を掴まれた気がした。



「──えっ、この気配は……人間? 探索者……?」



 まさか、ワイルドファングの群れが追っていた獲物って……人間だったってこと?


「……二人だ。 逃げながら戦ってるってことかな……移動が遅い……おびき寄せ……違う、怪我……?」


 たぶん、ふたりのうち一人が怪我をして逃げる動きが鈍くなっているんだ。もう一人がそれを庇いながら逃げているんだと思う。


「ワイルドファングの数が減らない……倒せないのかな……?」


 このままじゃまずい……そのうち包囲されて逃げ場を失う。


 このふたりがすぐに襲われていないのはたぶん、ワイルドファングの群れ同士が別々にふたりを狙っているからだ。


 ふたつの群れが同じ獲物を狙っているから、お互いの群れ同士で牽制し合って、だけど獲物は逃さず追いかけ回している。もういつ戦闘になるかわからない。そんな切迫した状況にあるんだ。


 標的にされてる人たちは、それに気が付いているのかな?



「……今の僕がちゃんと戦えるかは分からない。 けど……見て見ぬふりなんて、したくない……っ!」



 樹々を躱しながら森林のなかを駆けて最短距離で向かえば、襲われてる人たちに合流するより先に数匹のワイルドファングと接触するはずだ。


 それで良い。僕がワイルドファングの数を減らせば包囲に穴ができる。できた穴がそのまま脱出経路になるかもしれない。



──ひと雫、汗が頬を伝う。緊張して、いるんだ。戦うなんて、何ヶ月ぶりなんだろう。



 補助魔術師は身体能力の向上や魔術の強化といった補助系の魔術に特化した魔術師だ。だからと言って、戦えないわけじゃない。


 術式さえ分かれば、相手を攻撃する魔術だって普通に扱える。



……僕ひとりでも、戦う。戦える。



──自分の力で歩くって決めた僕は、これからは、独りで戦っていかなくちゃいけないんだから。



「……近い。 まずはアイツらからだ……っ!」



 探知した手近なワイルドファング二体の背後を僕の視界が捉える。風下に位置する僕は気配を殺したまま忍び寄った。


「二体を一度に……っ、でも撃ち漏らしたくないから……それなりの威力はほしい……っ」


 小さく息を吸いながら、意識を集中させる。 ゆっくりと息を吐きながら、必要な術式を鮮明に思い描く。



──属性は雷。放つ雷撃が対象を貫く魔術で、対象を貫いたときに残留する魔力が、対象の体内で放電して内側からもダメージを与える強力な魔術。


 僕が昔からよく使っていた、僕が一番得意な攻撃魔術だ。



「──【雷威トルボルト】ッ」



 かざした手の先に居るワイルドファングへと、魔術の雷撃が飛翔する。


「──えっ、わッ?!」


──本来なら一直線上に放たれるはずの魔術なのに。


 僕が放ったそれは、ヘビが這いずるかのように不規則に軌道を揺らした。


 放った先からバチバチと雷撃が枝分かれして霧散させながら、それでも目標に向かって軌道を描き続けてはいる。


「魔力は十分足りてるんだ……ッ、軌道がおかしいぐらいのことで……ッ」


 僕が放った雷撃は、ワイルドファングの一体に向かって襲い掛かって、狙いを定めたその身に喰らいついく。



「──僕はっ、退くわけにはいかないッ!!」



 雷撃が着弾する寸前、ワイルドファングに気取られたけど、遅い。



「──貫けぇええッ!!」



 直撃。ワイルドファングの胴体を雷撃が抉る。


 雷撃を浴びたワイルドファングは一瞬にして全身を駆け巡る痺れに鳴き声を上げることもできないまま、雷撃にその身体を貫かれた。



 雷撃に怯んだもう一匹のワイルドファングは自分の仲間に突然、雷撃が直撃したことで驚いたように呆気に取られていた。


 でも、危害を加えた僕の存在に気付いて、僕との距離を詰めてくる。



「【誘導インダクション】」



 僕に肉薄するワイルドファングは、自分に魔術が付与されたことなどお構いなしに駆け寄ってきて、僕に喰らいつこうと飛び掛かる。


「…………ッ」


 喰らいつかれれば簡単に肉を引き裂かれるんだろう鋭く獰猛な牙が迫る。僕は目の前を睨みつけて動かない。



──僕が見据えるのは、ワイルドファングの背後。



「──来いッ!!」



──いよいよ僕に牙が届く寸前。飛びかかってきたワイルドファングの背中に、雷撃が落ちた。



 最初にワイルドファングの一体へと放った【雷威】、残りの一体に掛けた【誘導】。


 ワイルドファングを貫いた威力を消費しきるまで直進するはずだった雷撃は、【誘導】の効力を得てその進路を歪曲させた。


 それがもう一体のワイルドファングに降り注いだんだ。


 久々に放つ攻撃性のある魔術は、一撃で魔獣の二体を屠るのに十分な威力を有していた。


「……よ、よかった……威力を強めにしておいて……」


 それでも、本来の効力を持ち合わせなかった魔術攻撃に僕は肝を冷やした。


 雷撃の軌道もぐにゃぐにゃで不格好な見た目がなんだか気恥ずかしかった。



「……次はもっと上手く……、急いでふたりを助けないと……っ!」


 僕は【魔力探知】に意識を集中する。襲われているのであろうふたりとの距離がさっきより近付いた。

 

 ワイルドファングの群れはふたりにさらに近い距離まで迫っていた。今すぐにも群れの中で先行する数匹と接敵してしまう。



「【増強ブースト】──【魔力マギア】、【速度アジリテ】」


……どうか間に合って。助けてあげられる、なんて自惚れるつもりはない。


 だけどそれでも、ただ僕は誰かの助けになりたいんだ。


 僕は補助魔術師の代名詞とも言える魔術【増強】を自分に掛ける。


 魔力総量の増加と魔力の増大を魔術で補助する【魔力】、魔術で身体を強化して身体の動きを加速させる【速度】。


 魔術を展開するときの違和感は感じなかったから、維持するのも問題はないのかもしれないけど、過信はできない。


 あえて効力をすこし弱めて、魔術の展開をより安定的なものにしてみようと思った。


 魔術の安定を確かめながら、僕は再び森林のなかを走りだす。

 

 樹々の隙間を縫うように、ワイルドファングの遠吠えが耳に届いてくる。


 ワイルドファングの群れと標的にされているふたりの位置把握は一瞬たりとも怠らない。



「──居たっ!!」


 僕はようやく、ワイルドファングと相対する人影を視界の先に捉えた。


 目視でその人物たちを捉えたからこそ、僕は一瞬足を止めてしまうほど驚いた。



「──ま、まだ子供じゃないかっ?! なんであんなところにっ?!」



 ワイルドファングが獲物として追い回していたのは、僕よりもすこし幼なげな、ふたりの子供だった。


 どうやら男の子と女の子のみたいだ。



「──クソッ、全然っ、攻撃する隙が無い……っ、これじゃ、いつまで経っても倒せねぇッ!!」


「フリッツ!! 私のことは見捨てて良いからフリッツだけでも逃げ延びてお願いッ!!」


 鳶色とびいろの髪を短く刈り上げた男の子は身の丈ほどの大剣にその小柄な身体を隠すように構えてワイルドファングの爪や牙を受け止めていた。


「何言ってんだッ!! 俺が居なきゃお前は助からないし、お前が居なきゃ俺も助からねぇだろ?! 俺たちはふたりじゃなきゃダメなんだッ!!」


 フリッツという名前なのであろう男の子は、背に女の子を庇っていた。


 女の子も男の子と同じ鳶色の髪を肩まで伸ばしていて、駆け出しの魔術師が扱うような簡素な杖を支えにしてどうにか立っている、というふうな様子だった。


「もう……ッ! こんな時にまで馬鹿なこと、言わないでよ……っ!!」


 僕の位置的に、まだふたりの顔が見えていない状態にもかかわらず、ふたりの出立ちがすごく似ているように思えて見える。


「──ッ!! フリッツ、右からまたワイルドファングが!!」


「くッ……そ! まだこいつだって倒せそうもないのに──ッ!!」


 樹々の間から新たに現れたワイルドファングの姿にふたりとも気を取られた。


 フリッツと呼ばれた男の子に生まれた隙を見逃してくれるはずもなく、ワイルドファングの鋭く尖った爪がフリッツくんの身に振りかざされる。


「──ぅあぁあぁああぁあッ!!」





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