第13話:呼び起こされた光景
騎士風の女の人が何かを耳打ちすると、男たちはすっかり青ざめた表情に変わっていた。
「──お待たせ~……って、何か取り込み中だったのか?」
──そんななか、ひとりの男の人が歩み寄ってくる。
「いいえ~、もうお帰りになるみたいですねぇ」
現れた男の人は、緋色の短髪に優しげな眼差しをしている温かな雰囲気に包まれた人だ。
なんだか騎士風の女の人とは対象的な雰囲気に、冷たさと暖かさを同時に浴びているような、僕はどこか言い知れない居心地の悪さを感じて緊張してしまっている。
女の人の軽鎧と同じであろう白銀製の軽鎧を身に付ける出立ちは、この男の人も騎士なのかと直感させる。
緋色髪の男の人は、騎士風の女の人の知り合いのようで、僕に絡んできた男二人に僕と女の人を順番に見渡して首を傾げている。
「……なんか、変なタイミングで割り込んだ感じの空気になってないか?」
「──チッ、『騎士崩れ』まで……っ」
緋色髪の男の人に男たちは舌打ちして、ようやくその気が失せたのかこの場から立ち去っていった。
本当に変な輩に絡まれてしまって、一時はどうなるかと思った。思わず大きなため息が出てしまう。
「ふふふっ、新人くんは面倒な輩に絡まれたものですねぇ」
指先で自分の髪をもてあそびながらのんびりと微笑む騎士風の女の人を改めて見ると、首元で金色のギルドタグが煌めく。
──つまり、彼女はAランク探索者だ。
「あ、あの……助けていただいて、ありがとうございました……っ」
「お安いご用意ですよぉ。 さっきの二人組、有名人ですからねぇ……悪い意味で。 まぁ、あれはアルストロメリアの負の遺産的なやつですけどぉ」
困りますよねぇ、と溜息混じりに愚痴を吐いてはいるものの、女の人はどこか飄々としていてどうにも困っているようには感じられない。
まぁ、何かを耳打ちするだけで男の探索者を震え上がらせるほどの人。ましてやAランク探索者の人なんだから、あれぐらいの輩に手を焼くようなことはないのかもしれないけど。
それにしても、負の遺産だなんてずいぶん大それた表現だなぁ……と、僕は内心すこし困惑していた。
「えっ、何? この子絡まれてたんだ?」
「そうなんですよぉ、オルが早く来ないから悪いんですよぉ?」
「えぇえっ、俺のせい?!」
オルと呼ばれた男の人の首元にも、金色のギルドタグが光る。 きっとこの二人は同じパーティーのメンバーなんだろうなぁ。
──直感的にそう思った僕の脳裏に一瞬、僕のパーティーメンバーの姿が過ぎる。
「…………っ」
「──うぅ……、えっとごめんね、君。 俺はオルヴァート! 親しい人……には、オルって呼ばれてるんだ、よろしくっ!」
オルヴァートと名乗った緋色髪の男の人は、落ち込んだり笑ったりコロコロと表情を変える子供っぽさを感じさせるものの、そこには確かに陽だまりのような温かさがある人なんだと思った。
「私も申し遅れてましたねぇ、私はロザリアと申します。 オルとは腐れ縁の同じパーティーメンバーなんですよねぇ」
僕を助けてくれた騎士風の女の人ロザリアさんは、変わらずおっとりと微笑みかけてくれるけど、さっきまでの冷たい威圧感を感じさせない穏やかさがあった。
「……あ、あの……っ、僕は……ルクス、といい……ます」
なんだか今さっきまで張り詰めていた緊張感が突然途切れたような、でもまだ緊張の余韻が残っているような、落ち着かない気持ちが僕の心のなかでとぐろを巻いている。
僕のぎこちない挨拶をふたりはまったく気にする様子も見せずに和かな笑顔を向けてくれた。
「うんっ! よろしく、ルクスくんっ!」
「ルクスくん、よろしくお願いしますねぇ」
──パッと晴れやかな笑顔でオルヴァートさんが手を差し出してくる。握手。
握手。
「──ひッ、うっ……ぁ、あぁ……ッ!!」
握手。そう、握手なんだ。握手。握手なんだ。
「──ぅ、あ……っ、はっ、はっ……ッ、ぐっ……ぅ」
握手、握手。握手なんだ。握手だけど。
「ん、どうしたんだルクスくんっ、大丈夫かッ?!」
──ただの握手なのに。
──差し出しされた手を視界に入れた瞬間、急激に僕の心拍が跳ね上がった。呼吸が乱れて、その場で尻もちをつく。
僕を起こそうとオルヴァートさんが僕へとさらに手を伸ばしてくる。
「──っ、う、あっ……ごめ、なさ……ッ、やめ……ッ!!」
思わず顔を逸らした僕はその場で小さくうずくまって震えてしまう。
「──ルクスくんっ?! どうしたんだっ、大丈夫かッ?!」
「ルクスくんっ、落ち着いてくださいねぇ」
伸ばそうとした手を引っ込めたオルヴァートさんの声も、ロザリアさんの声も、遠退いていくのを感じる。
……違う。僕の意識が、脳内にこびりついた僕の記憶が、僕を引きずり落とそうとしてくるんだ。
「──めて……ッ、やめて……っ、いやだッ……嫌だ……っ」
──手が。僕に伸ばされた手が。
──あの瞬間を脳裏にフラッシュバックさせたから。
「──うぁあああぁああッ!! 嫌だ嫌だ嫌だッやめてやめてやめてやめてぇえッ!!」
「──ル、ルクスくんッ?!」
それに耐えられるはずもなく悲鳴を上げた僕の急激で異様な反応に、オルヴァートさんとロザリアさんは戸惑いを隠せなかった。
悲鳴を上げたことで脚にすこしちからが戻った気がした僕は、脱兎の如く駆けてその場から逃げ出した。
「……あらあらぁ、何か触れちゃいけない部分に触れてしまったわけですねぇ」
走り去ったルクスを咄嗟に追おうとしたオルヴァートの腕を、ロザリアが掴み留めて首を横に振っている。
「……っ、あれだけの反応をするなんて……何があったのかは知らないけど、本当に酷いことをしてしまったみたいだな、俺は……っ!」
ルクスの気持ちを推し量るように、悲痛な表情を滲ませるオルヴァートは、ロザリアの静止を受け入れる。
オルヴァートの顔を見つめたロザリアが目を伏せたのは一瞬。オルヴァートの曇った表情を払うように、戯けたようにロザリアは頬を膨らませた。
「だからオルがもっと早くあの子を柄の悪い輩から助けてあげていればよかったんですよぉ〜?」
「それはっ、関係ない、だろ……たぶん? それを言うなら、ロザリアがさっきの男たちに『これ以上続けるなら死にますかぁ?』なんて言ったからルクスくんを怖がらせたのかもしれないんだぞ?」
オルヴァートもまた頬を膨らませてみせるものの、ロザリアとは違い不貞腐れたように吐き捨てるのだから、ロザリアの目がすこし驚いたように開く。
「あらあらあらぁ、聞いてたんですか地獄耳。 しかも今言うし。 そういうところが嫌われるんですよねぇオルヴァートは。 あー、嫌ですねぇ」
嫌ですねぇ嫌ですねぇと、ひとりでこだまさせながら去ろうとするロザリアの背中を、オルヴァートの小さな声が引き留める。
「……ロザリア」
「何ですかねぇ?」
「……やっぱり、追っちゃだめ?」
「……その性格の悪さ、治るんですか? 駄目に決まっているでしょう」
──オルヴァートさんとロザリアさん、二人のもとから駆け出した僕は呼吸すらまともに出来ないまま王都ロイザームの街を走る。
脇目も触れずに街を駆ける僕の脚はふらつきながら絡れながら何度も転ぶ。
それでも怯え逃げるように走る僕を、すれ違う街の人々は奇異の目を向けながら避けていく。
何度も転んだ僕は身体のあちこちに薄い傷をいくつもつくりながら、どうにか宿泊すると決めたアライアさんの宿までたどり着いていた。
「おかえりなさ……って、わわッ?! ルクスさんっ?!」
アライアさんが迎えてくれたような気がするのもお構いなしに、宿の階段を駆け上がった。足を踏み外してまた転ぶ。
それでも自室である部屋に飛び込んだ僕は、怪我なんて気にも留めずにベッドに敷かれた布団の中で、汚らしいと罵られたローブを抱きしめながら、ひたすら身体を震わせていた。
……僕自身、ここまでのことになるとは思わなかった。
手が僕に向かって伸びる。たったそれだけのことで脳裏にフラッシュバックした光景は、パーティーメンバーが──イレーネが死んだ瞬間の記憶だった。
「──ミリアムっ、もうすこしだからッ! あとすこしで出口が見えるからッ!!」
「……はぁ、はぁ……っ、わ、
「何言ってんのよっ、あいつらが……アルバとエルストが、もう居ないんだから、あんたたちふたりを生き延びさせるのは私の役目なんだからねっ! いちばん後ろを走るのは当然じゃないッ!!」
あの日、あの異界で。先に殺されてしまったアルバとエルストを置いて異界の出口を目指して必死に駆ける僕とミリアム、そしてイレーネ。
「──……ふたりを、ってイレーネこそ何言ってるんだよッ!! こんな時に冗談言わないでよッ!!」
「カイルっ……
「ミリアムまでッ!! ダメだよッ、これ以上強度を落としたら侵食に耐えられないっ!! 僕ならまだッ、補助魔術の出力を上げるからッ!! ミリアムっ、結界の構成変化も僕がやるからミリアムもイレーネもこれ以上っ、無茶しちゃ……ゔっ、ぅ……ぐッ?!」
「カイルっ!! あんただってそれ、私たちに補助魔術を最大出力で掛け続けてるうえに結界の補強まで……っ、この結界、聖女にしか扱えない神聖壁の術式でしょッ?! 術式の構成解析から構成変化に再構築なんてッ、あんたが一番無茶してるじゃないッ!!」
「そう、ですよ……ッ! まだ、
「僕のことなんてどうでもいいよッ!! もう誰にも死んでほしくなんかないんだよッ!! みんなで帰るためにっ、ここでいのちをかけなきゃ……ッ、アルバとエルストに顔向けできないじゃないかッ!!」
──僕たちは、逃げることしか出来ずに。逃げることすら敵わなかったかもしれない状況に、僕たちはすでに文字通り死力を尽くし切っていた。
「──ふたりともっ、光が見えたよッ!! 出口の光ッ!!」
異界と外を隔てる光が差し込む光景は、僕たちにとって死の淵から生還する唯一の希望だったんだ。
アルバとエルストがいのちをかけて繋いだ希望がもう目の前まで迫っていた嬉しさで、地を踏み締める足にちからが入る。
「──結界がッ?!」
出口の光に目を奪われていた僕とミリアムの背後で、イレーネの声がして、ガラスに亀裂が走るような音が、鳴った。
「──イレーネッ?!」
──それは、僕たちの知識から外れた存在で。
──それは、アルバの刀とエルストの盾を、僕たちの魔術を、まるで侵食するかのように破綻させて、撃ち破って、貫いて。
アルバとエルストを……喰らい尽くした。
──それは、僕たちにとって、理外のものとしか言いようがなかった。
「──逃げ切りなさいッ!!」
言葉よりも強く、イレーネが最後のちからを振り絞ったかのように、僕の身体を突き飛ばした。
地面を転がりながらどうにか受け身を取ったその場所。
異界の入り口から差し込んだ光に照らされたその場所で、僕は顔を上げたんだ。
「──あ」
僕の目が、最期を映した。イレーネの。
──それが、僕へと伸ばしたイレーネの片腕だけを残して、イレーネの身体を丸呑みにしたその瞬間の光景。
──イレーネの身体が喰われた拍子に残された腕が。
まるで、軽いボールのように僕のそばまで吹き飛んで。
──ボトリ、べチャリと生々しい血みどろの鮮度を保ちながら、地に落ちた。
「──嘘……でしょ? イレーネ?」
──僕は咄嗟にイレーネだったものに駆け寄って拾い上げる。帰るんだって、三人で帰るんだって、約束したんだから。
アルバとエルストに、ミリアムとイレーネのことを、託されたんだから。
……たとえそれが、一部だったとしても、僕はもう、仲間を置き去りになんてしない。
「──ダメッ!! カイルッ!!」
イレーネだったものを拾い上げた僕の頭上から、生温かい液体が降り注いで、僕の頭から顔まで流れて濡らした。
「……え、なに……?」
その液体が何なのか分からずに、僕は呆然と、自分の顔にへばり付くような液体を拭った。
「……カイ、ル……逃げ、なきゃ……」
ミリアムの弱々しい声。液体が混じったようなくぐもった声音を耳にしながら僕は、ミリアムに引きずられて入り口から差し込む光の中へと、ミリアムと一緒に倒れ込んだ。
「──ミリ……アム? 何……これ、赤……い?」
僕の手が拭った液体は、生々しく滴る
──ミリアムの身体から、流れ出た鮮血。
「……ミリアム? なんで……ミリアムの身体から……血が……血がッ!!」
──ミリアムの身体から、止めどなく血が流れ出していた。
イレーネの片腕が落ちたその場所、異界の外から差し込んだ光の一歩外。異界の暗闇が統べる闇の淵。
イレーネの片腕を拾おうと、また闇に脚を踏み入れてしまった僕を殺そうとしたそれの攻撃から、ミリアムが身を挺して庇ってくれたということ。
致命傷を負いながらミリアムが引きずってでも僕を光の内に寄せたのは、たったの一歩。
イレーネが、イレーネの身体が飲み込まれたのは、異界の闇のなか。内と外を隔てる光を前にした数歩の距離。
そんな僅かな距離が、僕たちの生死を分けたということを、僕はあとで振り返ったその時まで、理解できずにいた。
「……イレーネっ、ミリアム……っ!! 僕の……ッ、僕のせいで……ッ!!」
オルヴァートさんが握手をしようと差し出された手と、地に転がったイレーネだった手を見た瞬間の光景が、僕の脳裏で重なったんだ。
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