第11話:心が休まる場所

 

 アライアさんが営む宿屋の中に入ると、入り口から正面奥に受付カウンターが備えられていた。


 カウンターの前で僕にすこし待つよう言い残し、荷物を置いてきますからとアライアさんはカウンターの向こうの部屋へと消えていく。


 白レンガの壁に、床は木の板を敷いた造りになっていて、落ち着きのある雰囲気が漂っている。


 他に宿泊客が居るような気配がしないことも、僕の心の片隅をすこしだけ安堵させた。


 左手には丸く大きな木のテーブルがひとつ置かれ五脚の椅子がそれを囲んでいるものの、誰も座っていないのだからすこし寂しげな感じがした。


 一階右手の階段が二階へと続き、宿泊部屋は二階にあるのだろう、と僕はなんとなく考えながら。



 宿屋の中をぐるりと見回したあと、宿屋の壁に掛けて飾るにはあまりにも相応しくない、に僕は近寄った。



「──これ……装飾品じゃない、本物だ……っ」


──僕が気になった物。壁に掛けられていたものは、戦士が使う盾だった。


 青色と白色を基調とした盾の中心にはアルストロメリアの花を模したような装飾があしらわれている。

 美術品のような美しい見た目は一見、それが観賞用の装飾盾なのかと思わせるようだった。


 でも探索者である僕は、それが本物の──戦闘に使用される実用盾であることを見抜くことができた。



 何より僕の興味を惹いたのは、この盾を見た瞬間、何故か既視感のようなものを抱いたからだ。



「……この盾、なんだかエルストの聖盾せいじゅんに似てる……」



 そう、この盾はエルストが使っていた盾に似ているんだ。


 エルストは剣を新調することは何度かあったけど、盾を変えたことは一度も無かった。


 いつも大切に手入れしていたし、これ以上の盾は無いって口癖のように言っていたっけ……。


「──その盾にも興味がお有りなんですか?」


 荷物を置いてきたらしいアライアさんがカウンターに戻ってきたから、僕もカウンターを挟んでアライアさんの向かいに立つ。


「見た目は華やかで綺麗なんですけどねぇ……、宿屋の飾りにしては仰々しいですよねー」


 僕がカウンターに立つと、宿泊手続きをするための書類と記入用のペンが差し出された。


 僕が書類に記入を進めている間、アライアさんは「これも祖母が大切にしなさい」って言うものですからと、困ったように微笑んでいる。


「でもあの盾って、本物ですよね? 何か特別な物なんですか?」


「えぇっ?! そうなんですか?!」


「は、はい……僕、あちらの盾と似た盾を見たことがありますし……一応、探索者……ですので……」


 盾が本物であると聞いたアライアさんは驚きはしたものの、僕の言葉を聞いて首を傾げながら思い出したように呟いた。


「……そういえば、あの盾には姉妹盾というか、二対盾というか……もうひとつの盾があるって聞いたことがありますね」


 エルストの盾とここにある盾がそうなのかは、僕にはわからない。


 でも、エルストが大切に使っていた盾が故郷のものだったのだとしたら。

 アルストロメリアのことをあまり良く思わないと言っていたエルストにも、ちゃんと故郷への想いが残っていたってことになるんじゃないかと思うんだ。


「どういう謂れがあるのかは分からないですけど、うちの家宝みたいなもの……らしいです」


「そうだったんですか……」


 宿泊手続きの記入を終えて、アライアさんに書類とペンを返した。


「──えっと、それでは宿泊手続き完了っと。 ルクス、さん……ルクスさんっていうお名前なんですね!」


「えっ……あ、はいっ! すみません、まだ名乗っていませんでしたっ! 」


 こっちは名乗ってもらっていたのに名乗り返していなかったなんて……なんだか、アライアさんには無礼を重ねてしまって本当に申し訳なく思う。


「いえいえ、こうしてちゃんとルクスさんのお名前を知れたんですから、ね!」


「は、はい……重ね重ねご無礼をはたらき申し訳ございません……っ」


 すっかり気落ちした表情を見せる僕に、アライアさんは困ったように、それでも温かく微笑んでくれていた。


「はい、これが部屋の鍵ですっ、ちなみにお部屋は二階の一番奥の角部屋です」


 部屋の鍵を僕に手渡したアライアさんは天井を指差している。たぶん、二階の指で差したあたりに僕が泊まる部屋がある、と言いたいのかもしれない。


 二階に上がった僕は、言われた通り奥の角部屋の鍵を開けた。


 宿泊部屋も、一階と変わらず白レンガの壁に木の床という造りで統一されているようだ。


 シングルベッドにテーブルと椅子のセット、荷物を置いておける簡素な収納棚ぐらいのものしか置いていなかったけど、とにかく綺麗に掃除がされている部屋だった。


 一人用の部屋ということもあってか、中は広くはなく、窓を開けると王都の外壁と外を繋ぐ門があった通りを見渡せる。


 僕もあそこから王都に入ってきたのかと眺めていると、ふわりと窓から吹き込む風が僕の髪を撫でて心地がよかった。



 荷物を棚に置いた僕は、ベッドに顔面から飛び込むように身体を投げ込んだ。一度やってみたかったやつだ。


「──うぅう、このベッド、ふかふかだぁ……っ!」


 ふかふかの布団が敷かれたベッドは、ぼふっ、と音をたてて飛び込んだ衝撃を柔らかく受け止めて、しなやかな弾力が僕の身体を優しく押し返してきた。


 お日様の匂い、なんてよく言われているような、なんだか思わず頬が緩んでしまうような優しい匂いがする。


……なんならこのまま、眠ってしまいそうになる心地よさが嬉しい。


 なめらかな肌触りの布団に頬擦りをしていると、僕は、自分がすこしだけ疲れているんだと自覚する。

 

「……温かいなぁ……」


 このところ、上手く眠ることができずにいたんだ。


 毎日、夜闇が空から光を連れ去っていくたびに、眠りに就こうと無理やり自分の瞼を閉じるたびに、震えが止まらなくなる。

 

 が、僕自身を内側から食い破って溢れ出てくるんじゃないかと思うようになって、怯えてしまう。


 静寂の中に身を置いていると、遠くから這いずり寄ってくるみたいに、が、僕にまとわりついてきて、僕の中へと捩り込んでくるんじゃないかと思うようになって、身を固くしてしまう。


 布団のなかで小さくうずくまりながら、夜が過ぎ去ってくれるのをひたすらに待って、震えながら耳を塞いで時の流れを数える。


──そんなことを続けながら、いつのまにか意識が途切れて、気がついたときには朝を迎えられていれば、良い。


……それを、という言葉で言い表わすのは、あまりにも病的だと思いながら。


「……ぼくは、もう大丈夫だよ……」


 お日様の優しい匂いと柔らかな布団の温かさに包まれながら、心地よく意識が解けていく感覚。


 身体の強張りがゆっくりと緩んでいくことに、周りの音が僕を置いて遠退いていくことに、今は何の恐怖も感じない。


 ゆっくりで良い、怖がることもない、意識を手放してしまっても良いと思える穏やかな気持ち。


 眠るということ。僕が久しく失くしてしまっていた感覚。それを、すこしでも取り戻せるのかもしれない。


「……アライアさんは、きっと……優しい人、なんだよね……」


 まだ、すこしだけしかお話していないけど。アライアさんはきっと、優しい人なんだと思ったよ。


 ほんのすこしだけ交わした会話のなかで、それでも明るくて可憐な笑顔をたくさん僕に見せてくれた。

 それはたぶん、誰に対してもそうなんだと思うけど。

 アライアさんはきっと、僕の抱えた不安や怯えや苦しみを、感じ取ってくれたんだと思う。


 だから、僕が暗い気持ちにならなくても済むように、明るく振る舞ってくれているんだと、僕はそう信じたい。


 漂っていた思考も、浮かび上がってきた気持ちも、だんだんぼんやりと薄れていく意識の奥に仕まい込むみたいに。


……このまま、久しぶりに得られる安らかな眠りに身を委ねてしまえたら、嬉しい。



「──ダメだッ!! 本当に寝てしまうっ!!」



 鋭い語気と一緒に微睡まどろみをかなぐり捨てるように、僕はベッドか飛び起きた。


 久しぶりに気持ち良く眠れそうな気がして、幸せだった。こんなに嬉しい気持ちになれるなんて思わなかったんだ。


……今は、まだそれだけで充分なんだ。



 王都に到着して早々に、僕にはやっておきたいことがあった。


──それは、聖王国アルストロメリアの探索者ギルドに行くことだ。



 旅費は……Sランク探索者時代に得た貯蓄が十分にある。まさに遊んで暮らせる、というほどだけど、だからといってそれは働かなくて良いという理由にはならない。


 探索者として活動することは人助けに直結するんだから、探索者としての力の有無に関わらずこれからも一生続けていきたいと思うんだ。


 僕は必要な荷物だけを持って部屋を飛び出して、急ぎ足で宿の階段を降りていく。


「わわっ、ルクスさんお急ぎですか?」


 階段を降りたところでアライアさんが掃除をしていた。


 階段を駆け降りる音でアライアさんを驚かせたのが分かった僕の足は、勢いを失くして立ち止まる。


「あ、す……すみません、お騒がせしました。 今日のうちにギルドへ行こうと思いまして……」


「あぁ、ルクスさん探索者ですもんね! ギルドは街の西側にある一際大きな建物ですから、大通りを曲がって西に向かって歩けばすぐに分かると思いますよ!」


 大通りがあって、こっちに曲がって真っ直ぐ!と説明しながら大きく腕を振るアライアさんの姿は陽気ですこし可愛らしいと内心で思ってしまった。


「わかりました、ありがとうございますっ」


 僕は、ほんのすこしだけアライアさんの元気を分けてもらえた気がして嬉しくなった。

 初対面で見ず知らずの僕に、心から優しく寄り添おうとしてくれているのがわかる。



 宿を出る僕に、アライアさんはすこし心配そうに、一言だけ添えた。


「──あの、街の騎士にはあまり関わらない方がいいです。 あと……ギルドで、頑張ってください」



 アライアさんの言葉は、アルストロメリアがであることと関係しているのだろうと察しはついた。


「は、はい……わかり、ましたっ」



 古く──聖王国アルストロメリア建国の折からずっと、唯一として戦うちからを、戦力を有してきたのは騎士と呼ばれた人たちだ。


 武器を持つこと、戦うこと、護ること、奪うこと、虐げること。戦力という名の特権はそれらを許してしまった。


 ひとつの国を興すだけのちからがあり、それは騎士に属する人たちのみに与えられたものであって、それを許しとした騎士たちによって聖王国アルストロメリアは成り立ち、発展してきた歴史がある。


 まだ、探索者という存在が世に生まれていなかった頃。古来では騎士たちが今日の探索者のような役割を担っていたらしい。


 けれど、もともと騎士たちが戦っていた相手はというのはだ。


 他国の侵略を許さず、それでいて他国を侵略する。人と人との間に起こる争いの歴史のなかで、騎士たちだけの戦力では国を維持するまでが限界だった。


 人間同士の争いのなかに無理やり割り込むように、世界が歪むようにして湧き出した異界や魔物という存在にまで対処するのは、騎士たちだけのちからでは無理があったんだと聞く。


 異界や魔物の脅威に抗うことを専門とする探索者という存在が現れたことで、アルストロメリアもまた存続し続けることができた国のひとつになったわけだけど。


 人間同士の争いは騎士たちが、異界や魔物との戦いは探索者が、そんな単純な役割の住み分けを、聖王国アルストロメリアの騎士たちは許さなかったんだ。


 探索者の起源は、魔物の脅威から自身や家族を護るために集まった一般人の、自警団的な集団がはじまりだとされている。


 それまでのアルストロメリアが、特権を占有していた騎士たちが、唯一として保有していた戦力を一般人が持つようになってしまったということ。


 異界の発生や魔物の脅威があるなかで、騎士たちは自分たちだけでは対処しきれないものに対峙することができる探索者という存在を容認することも、排除することもできなかった。


 騎士たちは自分たちが唯一として戦力を有する特権階級であることを謳いながら、探索者への風当たりを強めて今日まで在り続けてきた国なんだ。



「……やっぱり、アルストロメリアの騎士たちにはまだ、下手に関わらない方がいいってことなのかな……僕たち探索者は……」


 僕は自分が知る聖王国アルストロメリアを振り返りながら、ちいさく溜め息をついていた。、と。


 そして、僕はアライアさんが付け足した言葉を思い出しながら、首を傾げていた。


──ギルドで頑張って、は、さすがにどういう意味だったのか、分からなかったんだ。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る