第10話:堅牢なる白き都
オーグラント王国を発った僕は、オーグラントの隣国に位置する聖王国アルストロメリアの王都ロイザームにたどり着いていた。
「──た、高い……外壁だなぁ……っ」
僕は、アルストロメリアに来たことがあるといっても、王都まで足を運ぶのは初めてだった。
ぐるりと都市を囲うように高くそびえ立つ外壁は、アルストロメリア王都における都市防衛の要だといわれている。
外壁を形造っている素材は、真っ白で美しい石のレンガ。
ミリアムが好みそうな白は、ここが雨風や砂埃にさらされる屋外であることを忘れさせるほど綺麗だった。
清々しく晴れ渡った空を目指して高く伸びる白の壁は、王都を遠目に映していたときから一際僕の目を引いていた。
見るからに堅牢な外壁に囲まれたその中には一体どんな街並みが広がっているのか、僕には想像もできずにいた。
いよいよ外壁の下までたどり着いた僕が地上から見上げれば、まるで空まで届きそうで、高い外壁を見上げていると、後ろにひっくり返ってしまいそうになる。
「──そこの少年、そこで一体何をしている?」
──不意に僕の耳に飛び込んできた声は、凛々しさの中に込められた明らかな敵意。
「──っ?! あ……あの、僕は……っ」
声が飛んできた方向へと意識を弾かれるように僕は目を向けた。
ガシャりガシャりと金属がぶつかり合うような音を纏いながら歩み寄ってきたのは、鎧に身を包んだ兵士風の若い男の人だった。
鎧は純白。昼下がりの日差しを受けて白が輝いている様は、どこか高貴さすら感じさせる出立ちだと思った。
「──きみ、ここで何をやっているんだと聞いている」
僕は彼のような人を知っている。純白の鎧を身に纏い、聖王国アルストロメリアの聖王に剣を捧げ忠誠を誓った人たち。
聖王だけでなく国土と民を守護し、位の高い人に至ってはアルストロメリア政治の中核を成して国と民を治める人たち。
──彼らが、聖王国アルストロメリア騎士団に所属する、騎士と呼ばれる人たちだ。
「す、すみません……っ。 ぼく、は……か、観光と、探索依頼を受けるために、ここまで……っ、あと、外壁が高くて……見惚れてしまって……」
騎士のいぶかしむ目線が突き刺さって、僕は辿々しい返答しかできなかった。
あからさまに向けられる人からの敵意は、いつまで経っても慣れはしない。
──怖い、と思う。嫌だと、思う。
「観光に……探索依頼? きみは、まさか探索者なのか? まだ幼いのに……探索者だというのなら身分を証明できるものは持っているな? 今この場で提示してもらおうじゃないか」
「わ、わかりました……っ」
逸れることのない警戒心に満ちた視線が僕の身体にまとわりつくのを感じながら、僕はローブの内ポケットからオーグラント王国の探索者であることを証明する身分証明書──ギルドカードを騎士の前に差し出した。
「オーグラントの探索者なのかきみは。 何故、他国である聖王国アルストロメリアで依頼を受けに来たんだ? この身分証明書も、まさか偽造じゃないだろうな?」
「──そっ、そんなことはッ!! 僕はただっ、オーグラントを出て色んな国を観て回るために……ッ!!」
聖王国アルストロメリアの騎士は探索者に対してすこし、厳しい姿勢を取ることで知られている国だ。
……僕だって、それはよく知っていた。だからって、そんな言いがかりのようなことまで言われるとは思わなかった。
「──おいおい、どうかしたのか?」
思わず食ってかかろうとしていた僕のもとに、もうひとりの騎士が歩み寄って来ていた。
その人は、僕に疑心の目を向けている若い騎士よりいくつも歳上らしい、すこし年配の騎士だった。
「隊長っ、不審な少年を発見し尋問を始めておりました!」
若い騎士は背筋を正し、はっきりとした口調で答えた。
それを聞く年長の騎士の立ち姿は、白い鎧こそ若い騎士と同じでも、まったく違うものだと僕は直感的に断言できる。
隊長と呼ばれた年配の騎士には、威厳があった。
この人が外壁から王都内部へと通じる外門を警備する部隊の長なんだということを僕に悟らせる確かな威厳があった。
「不審な少年、か……ふむ、身分証明書は提示されているではないか。 ……確認させていただいた。 部下の非礼、深くお詫び申し上げる」
僕が提示していたギルドカードを覗き込んだ隊長の表情が一瞬だけ、どこか柔らかくなったような、でも
僕の気のせいかもしれないけど、そう見えた。
「い、いえっ、誤解が解けたのであれば、僕は、構いません……っ」
それよりも、凛々しさに恭しさが込もった謝罪を隊長である騎士自らが示されたことに僕は戸惑いを隠せなかった。
「──ようこそ少年。聖王国アルストロメリアが王都、ロイザームへ」
腰に携えた剣に左手を置き、右手は胸に、そして頭を下げるアルストロメリアの騎士式の礼で迎え入れられた僕は、聖王国アルストロメリアの王都ロイザームへと、いよいよ足を踏み入れた。
疑心の残る視線が背中に刺さるような感覚が消えないのは、きっと僕の思い込みなんだろう。そう、思っておいた方がいい。
それが、騎士式の礼をもって迎えてくれたことに対する、こちらがとるべき礼だと思ったんだ。振り返らずに立ち去ろう。
「……よろしいのですか隊長っ? あのように易々と他国の者を、それも幼いとはいえ探索者である者を王都に招き入れるとは──」
「構わん。 少年の身分証明書は確認できたのだ。 あの少年は正式な手続きのもとこの都市に……──ん、あぁ。 そうか、新人は知らぬのだな」
隊長と呼ばれる騎士の視線が、隣国オーグラント王国から来た少年探索者の背中をさりげなくも名残惜しそうに追っていた。
「……知らぬ、とは……一体何のことでしょうか?」
まっすぐに少年へと向けられる隊長の視線は、他国の探索者──戦うちからを持った危険視すべき人間を注視するものだと、年若い騎士は考えていた。
しかし同時に、些細な違和感が呼び起こされてもいる。
「──我々アルストロメリアの騎士にはな、オーグラント王国の探索者に借りがあるのだ。 きみが知らなくとも、彼がそうでなかったとしても、な」
──隊長の、オーグラント王国から来た探索者をどこか遠くに見つめるような眼差しが、年若い騎士にはすこしだけ、優しいと感じたからだろうか。
「──……ここが、王都……ロイザーム」
僕は、門をくぐって真っ先に飛び込んだ景色に思わず足を止めていた。
目の前に広がる街並みは、外壁だけじゃなく、都市内の建物すべての素材が白レンガで統一されていて、王都すべてをひとつの美術品として捉えているようだと訪れた人に思わせてくれる。そんな美しさが広がっていた。
目の前に広がる白を下地に、立ち並ぶ店先に目立たせた商品の数々と、装飾の色鮮やかさ、行き交う人々の髪や服の色。晴れ渡った空の色。
視界という名のキャンバスに、自由に色を散りばめたような街並みが僕にはとても眩しく見えた。
活気あふれる街の人々のなかに、門の前で見かけた騎士たちと同じ鎧に身を包んだ人たちが歩いている。彼らは街の警備として巡回しているようだった。
探索者とはすこし違うけど、でも戦い慣れていると一目でわかる足運びをしている騎士たち。
威風堂々とした彼らの立ち居振る舞いに、見ている僕まで背筋が伸びるような気持ちになった。
……騎士たちの姿に見惚れていた僕の感覚に、不意にふわりと何かの魔力が触れた。
「……あれ? このレンガ……いや、ここだけじゃないんだ……王都の建物に使われてるレンガすべてに……微弱だけど、魔力が練り込まれてる……っ?」
手近な建物を形造っていたレンガを指で撫でながら僕は意識を集中させてみる。
間近で見て、指で触って分かったことは、さらに僕の興味を掻き立てる。
「……すごいなぁ、微弱でも魔力が素材の強度を底上げしてるのか……それだけじゃなくて、何だろう……込められた魔力が……」
──そう……まるで、王都で使われている白レンガに込められた魔力すべてで、何か巨大な術式を構成しているみたいな……そんな感覚がする。
「……まぁ、そんなわけないか。 ひとつの都市全体で構成する術式なんて……そんなすごい魔術なんて、想像もできないや」
初めてのひとり旅、初めて足を踏み入れた都市、オーグラントとは違う景色と空気に、僕は胸を弾ませていたのかもしれない。
「──そうでもないかもしれませんよ?」
女の人の声がした。声が飛んできた方向を向くと、背中あたりまで伸びた茶色の髪を後ろに束ねた若い女性が、深緑色のエプロン姿で大きな紙袋を抱えながら歩み寄ってくる。
「あっ、えっと……こ、こんにちは……」
不意に声をかけられた僕はたじろいだうえに反射的に半歩退いてしまった。
そんな反応に、声をかけてきた女の人が一瞬申し訳なさそうな顔をした。
「あっ、あの、ごめんなさい急に声をかけたりして! うちの建物の壁を触りながらなんだか楽しそうにしてたのも気になったんですが、レンガの魔力にまで気が付くなんてすごいなって思ったものですから、つい声をかけてしまいました」
「──うちの建物……わわっ、ごめんなさい……っ、勝手に触ってしまい、本当にごめんなさいっ!」
はしゃいでいたせいだと自覚した僕は思わず涙が出そうになった。勝手に自分の建物に触られるなんて不快感を抱かせたに違いない。
本当に何をやってるんだ僕は……。
「い、いえっ違うんですっ! こちらこそごめんなさいっ、お気を悪くなさらないでください! あなたが言った言葉が気になってしまって、思わず声をかけてしまったんですよ!」
「ぼ、僕の……言葉……?」
まずいことを、言ったのかな……。
怖いと、思うようになっていた。見ず知らずの他人と関わることに。
声をかけられた時から今この瞬間すらも、ゆっくりゆっくりと……ぎゅっと心臓を握られていくような圧迫感に襲われる。
「……えっと、王都のレンガに込められた魔力のこともそうなんですけど、何より都市全体で構築する魔術とおっしゃっていたことに驚いたんですよっ!」
「……えっ、あ……ぁ、ごめん、なさい……ッ」
怯えた表情を隠せない僕の姿を察したのか、女の人は柔らかな表情で小さく首を横に振った。
「あのっ、私はこの建物……この宿屋の主人をしているアライアといいます。 私は魔術のことはまったくわかりませんが、私が幼かった頃に私の祖母がいつも言っていたんです」
──我らには『アルストロメリアの加護』がある。
王都ここにある限り、街が人を護り、人が街を護るんだよ。
この街はそう願って、そう造られたのだから。我らがそれを忘れてはならないよ。
我らがそれを忘れない限りアルストロメリアは在り続けるのだから。
「……アルストロメリアの、加護……? 街が人を護り、人が……街を護る魔術……っ?」
「──ま、まぁ、この街で生まれ育った私も私の両親もそんな大層なものは見たことがありませんし、幼い頃に聞かされたおとぎ話かなぁぐらいの感覚だったんですけどね! この街に来られた旅の方で、たまにいらっしゃるんですよ、この街の魔術のことを話す方が」
僕自身も、そこに在ると確証は持てるものの、なんとなく感知できる程度の曖昧な術式で、これが一体どういう魔術なのかまでは分からない。
術式としては完成している気がするけど、こんな大掛かりなものは間違いなく『大魔術』に類するものだろうと思った。
「……そ、そうなんですね……っ、ぁの、教えて頂き……ありがとう、ございましたっ」
僕がぺこりと頭を下げて、早々に立ち去ろうと踵を返した途端──。
「──あぁ、あのっ、待ってください!」
僕の背中めがけて、アライアさんの大声が飛んでくる。
「よ……よろしければ、うちの宿を利用しませんか? 」
「ここです!」と、花咲くような笑顔と一緒に紙袋を持った手で指し示した目の前の建物は、そういえばアライアが主人をしていると言った宿屋だった。
「泊まる場所がお決まりでないならぜひっ!」
内心では反射的に、逃げたいという思いに駆られている僕だったけど、逃げるのは明らかに悪いと思ってしまってもいるせいで、身体を動かせずにいた。
「……っ、う……ぁ……わ、わかり……ました……っ」
僕は、断りきれずに言葉を振り絞るのがやっとだった。
まぁ、王都に来たばかりで寝床を確保できていないのは確かだったし、他に宿屋を探すのも気が進まない……と、無理矢理に自分を納得させた。
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