第9話:ただひとつ遺された名前と共に



 聖女ミリアムの葬儀は、ダミアンさんと孤児院の子供たちだけでひっそりと行われることになった。


 一昨日のことがあって、と言ってしまうと言い訳になる……と、思ってしまう。


 結局、僕はまた逃げることになるのかもしれない……と、思ってしまう。


 子供たちと僕はまだ顔を合わせない方がいいかもしれないという、ダミアンさんの配慮から、葬儀には参列させてもらえなかったけれど。


 僕だけの弔いをさせてもらうことだけは、ダミアンさんの許しを得た。



「──いつかまた、子供たちと会ってあげてほしい。難しいかもしれないが、あの子たちが君にしてきたことを……許してあげてほしいんだ」


 ダミアンさんが僕の気持ちを受け止めてくれたことで、本当に気持ちが楽になった。


──僕は結局、何ひとつ出来なかったけれど、ゆるされて良い人間になれたわけではなかったけれど。


「もちろんです……っ、許すも何も、あの子たちは何も悪くないんですから……。 謝らないといけないのは、僕の方なんですからっ、子供たちがまた……僕に会ってくれるって言うのなら……僕も、またあの子たちに会いたいですっ!」



 もうすこし時間を置いて子供たちの心の傷が癒えたそのときに、改めて僕と子供たちの気持ちに折り合いをつけていこう。


 僕も、誰かと悲しみを分かち合うことができて初めて……ほんのすこしだけ、みんなの死を受け入れられたような、気がしたから。



「カイル……君のことは、ミリアムからたくさん話をしてもらったんだ。出会った頃の話から、君がパーティーに入ったときのこと、誰よりも誰よりも頑張ってSランク探索者になったことも、今までどんな冒険をしてきたのかも、たくさん……」


「ミリアムが……僕の話を……?」


「……のことも、ミリアムは最期の力を振り絞るように、ちゃんと話をしてくれた。 自分を責めるばかりの君が話をしてくれなかったことも、だよ……」


「…………っ」


「ミリアムが話をしてくれて、やっぱり君が悪いわけじゃないとわかったことが私は何より嬉しかったんだよ。 ミリアムも、自分がカイルの立場だったら、きっとカイルと同じ行動をしていた。 カイルが自分の立場だったら、きっと自分と同じ行動をしてくれたと、最期まで信じていた。私もそう思うよ」



──だからね、カイル……これ以上自分を責めるのは、もうやめなさい。



 ダミアンさんが真摯に告げた言葉に、僕はゆっくりと、はっきりと首を横に振った。


「……ダミアンさん……っ、ごめん……なさいッ、やっぱり僕は……それだけはできない……しちゃいけないんですっ」


 ミリアムの──養女の死を誰より一番悲しんでいるはずのダミアンさんからの言葉すら頑なに拒んで、僕は僕の罪を背負わなければならない。


 もしかしたら僕は、自分の罪にしがみついて、背負い込んで、誰からも責められている方が楽なんだと、思っているのかもしれない。


 そうした方が、僕自身がミリアムの死をぜんぶ受け入れることよりもずっと……つらくないのかもしれない。


「……あぁ、ミリアム……やっぱりお前が言っていた通りだ。 カイル、君が自分自身をゆるすことは出来ないだろうとミリアムは最期まで心配していたんだ」


「……ごめんなさい……ごめんなさいっ、ごめんな、さい……ッ」


 謝る僕に、ダミアンさんは首を横に振った。


「……良いんだ、 良いんだよ。 カイルがそれだけミリアムのことを大切に思ってくれていたんだと、私が知っているんだから」



「でもその代わりに──」そう言って、ダミアンさんは一通の手紙を僕に差し出してきた。



「君が自分自身をゆるせないというのなら、ゆるせるときが来るその日まで……君が背負って降ろそうとしない気持ちは、ここに置いて行きなさい。 そして娘の──ミリアムの最期の願いを、どうか叶えておくれ」



「ミリアムからの……手紙?」



──死の間際に書いたらしい手紙は、文字を書くときに紙が動かないよう必死で押さえていたようなシワがすこしだけよっていた。


 それでも、今は亡き聖女のように真っ白で清く美しい一枚の手紙。



──そこに彼女の、最期の文字が綴られていた。


 字を見ただけで分かる。最期はペンを握る力すらなかったのだということを。


 たとえ最期の瞬間に自分たちが同じ場所に居なかったとしても、これだけはミリアム自身が僕に伝えたかったのだということを。



「これが……ミリアムからの最期の、願い……っ」



──あなたがまた旅立てますように。


 『ルクス』の名と共に。


 あなたが歩んでくれるなら……。



「──わたくしたちの心は、あなたと共に……行けるのだから……」


 消え入りそうな文字を声でなぞるだけで、僕の心に伝わってくる。ミリアムの思いと願い。


「……そう、か。 そうなんだね……これが僕の、新しいっ……、これが、ミリアムの……願いなんだね……っ!」


 ミリアムからの手紙を胸に抱きしめると、腕の中にまだ彼女が居るような温かさが感じられる。


 胸から広がる温かさに、ようやく僕の気持ちに晴れ間が見えたような気がした。



「……ミリアムっ、ダミアンさん……本当にありがとうございますっ。 僕、わかりますっ……わかりました……っ、ミリアムの言葉も、願いも……ちゃんと……ッ」



 僕を見つめるダミアンさんの瞳から、一筋だけ涙の雫が伝い落ちる。

 娘の思いが伝えたい人にちゃんと伝わったことへの安堵や、最愛の娘の死を受け入れた悲しみが混ざり合ったような、それでも綺麗な一雫。

 

 ダミアンさんは、涙を拭うことなくゆっくり目を閉じて雫が頬を伝う感覚を受け入れたあと、優しく口を開いた。



「──カイル、『ルクス』というのは?」



──わたくしたちの思いがこれからもあなたのそばに居て、あなたを護り続けられるように。


 それでもあなたを、こんなところに縛り付けてしまうことのないように。


 わたくしたちの元から離れ旅立って、これからもずっと遠くへこの世界を歩み続けて行けるように。

 出会ったころのような輝きに満ちた瞳で、この世界を見つめていけるように。


──あなたには、新しい名前が必要だと、思ったんです。



「──『ルクス』は……僕の名前ですっ。 ミリアムが考えて、最期に遺してくれた……僕の、新しい名前なんです!」



 そう胸を張った僕は──ルクスは、ようやく晴れ渡った表情を見せることができたんだ。


 ミリアムの言葉、ちゃんと僕に伝わったよ。

 ミリアムの願い、ちゃんと僕が叶えるよ。



「僕、頑張りますっ! ミリアムの思い、ミリアムの願い……僕がどこまでも連れて行きますっ! それが……ミリアムが僕に遺してくれたことですから!」


「……そうなのか、ルクス……ルクスかっ! あははははっ、そうかそうかっ、これは驚いたっ!」


「ダ、ダミアンさん……?」


 納得がいったと言わんばかりに、ダミアンさんは堪えきれずに笑い出してしまったようだった。


 目尻にまたジワリと滲んだ涙は、悲しみからのものじゃないことは僕の目で見てもわかる。


「いやー、ミリアムが色んな話をしてくれたのに、手紙の内容だけは死ぬまで教えないっていうものだからどんなことが書かれているのかと思ったんだ。 そうか、君の新しい名前だったのかっ!」


「そういえば、ミリアムが僕の新しい名前を考えたって話をしてくれていたんですが……その時は新しい名前を聞けず終いだったんです」


「そうだったんだね。そうか……ミリアムはいのちをかけてでも、ちゃんと伝えたんだね……」


 つらい出来事の数々によって心を壊した少年に再び光を灯すことができるなんて、娘は、本当にすごい子に育ってくれたんだっ!


 ダミアンさんは誇らしく清々しく娘の姿を振り返っているようだった。


「ルクス、本当にありがとう。 でも、決して勘違いしないでおくれ。 ミリアムの願いを叶えることは決して、贖罪なんかじゃない。……希望だよ」


 Sランクパーティーの補助魔術師だった少年。深い悲しみに心を壊し、仲間もちからも地位も失った少年が、新たな名前──ルクスの名と共に生きること。


 それは、君が君として、再び以前のように……いや、それまで以上に、輝かしく生きていくための──希望なんだよ。



「──はいっ、ダミアンさん……本当に、ありがとうございます!」




──それから。ミリアムの手紙を受け取ってから、一ヶ月の時が過ぎた。



 僕は、この国から──オーグラント王国から、ひとり旅立つことを決意した。


「……これでようやくカイルくん──いや、ルクスくん、だったね。 君もまた歩き出せるんだね……。 本当に、嬉しく思うよ」


 旅立つ前に、僕はギルドに立ち寄りギルド長であるエイデン様とお話をしていた。


「──ところで、行き先は決まっているのかな? やはり我がギルドから紹介状を書いておこうか?」


「しょ、紹介状の件は……本当にありがたいお心遣いだと思いますが、僕はもうただのCランク探索者ですから……それほどのものが必要になることにはならない……と思いますよ?」


「……ふむ、そうかね?」


「あと、行き先は……とりあえず隣国へ行こうかと思います。 とくに目的のある旅ではないので……なんだか、後ろ暗いことをしているような……気持ちになる、ような……気はしますけど……」


 他国に渡るような経験は何度かあったけど、それでも、数えるほどしかなかったんだ。


 僕はこれまでもこれからも、自分はこのオーグラント王国の中で生きるのだとしても何も問題はないと思っていたからだ。


「……別に君がこの国から逃げ出すなどと思っているわけではないよ。君への……への悪評も、すこしずつ収まりを見せているようだし、何も気にする必要はない。 観光気分で旅をするのも悪くはないだろう」


 Sランクパーティー崩壊後、探索者活動の主力は当然次席であるAランク探索者の集うパーティーが担うこととなった。


 とはいえ、『冠絶かんぜつ足跡そくせき』のちからに劣るAランクパーティーがSランクパーティーと同等の働きを示せるはずもなく。


 また今回の件を踏まえ、探索者とギルドの双方から探索者の安全を重視する方針が暗黙の了解として広がりを見せていた。


 生き残ったSランク探索者への謂れの無い悪評については、もはやその広がりを見せなくなっていた。


 その噂はもう聞いた。その話は本当らしいね。そいつが言っていたことは嘘らしいね。

……などと、Sランクパーティー崩壊の概要すら知らぬ者から知らぬ者へと、噂が噂を呼び、話に尾鰭どころか背鰭までつきそうな勢いで混ざり合いながら混沌と化し、虚無へと消えようとしていた。


「──そ、そう……ですか。 そうしてみます……はい」


「ところで、行き先は隣国、というと『聖王国アルストロメリア』かね?」


「はい、そうです」



──聖王国アルストロメリア。

 

 代々『聖王』と呼ばれる国王を擁立し、絶対的な忠誠のもとに仕える貴族階級の騎士たちが政治的な実権を握る、いわゆる騎士国家であることは他国にも知れ渡るほどの由緒ある国だ。



「──ん? そういえば……アルストロメリアといえば戦士エルストの出身国ではなかったか?」


 『冠絶かんぜつ足跡そくせき』のパーティーメンバーだったSランク探索者の戦士エルスト。


 盾と剣を携え、戦闘では魔物の脅威から人々を護る鉄壁の盾として立ち塞がる姿に『最堅』と冠された青年だ。


 エルストは楽天的な性格で、その豪胆さと陽気さから多くの人に兄貴分として慕われていた。


──僕自身も、エルストの人柄にはいつだって救われていた。


「そうなんです。 エルストは……昔のこともあって、あまりアルストロメリアを良く思ってないって言ってましたけど、それでも、いつか僕がオーグラントを出るなら一緒に観光でもしたいなって話したことを思い出したんです」


「──……アルストロメリアは、そうだね。 五年前のこともそうだが、探索者に厳しいところがあるというか……いや、やめておこう。 あの国へ行って、きみの目で見てきみの心で感じたことを……いつか聞かせてほしいものだ」


「……はい。 僕は、エルストの……かつての仲間の故郷を、自分の目で見て歩きたいと思います」













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