第8話:カイルの悲しみ、みんなの悲しみ



──僕は、ただ謝ることしかできずにいた。


 死んでいったパーティーメンバーにも、ミリアムにもビクターにも、ダミアンさんにも、イレーネのお父さんにも、ギルドにも。


 謝って、謝ることしかできなくて、でもそんなことは何の償いにもならなくて、それでもただただ謝りながら……。



──僕は逃げた。



 ビクターに本音をぶつけられて、まだ幼い子供が抱えきれずに溢れてしまった悲しみを受け止めたいと思った。


 そう思ったのに、それでも僕には何度も何度も謝る以外にどうすることもできずに、そのまま逃げ帰ってしまった。



……僕だって、みんなで無事に帰って来たかった。



──アルバに、エルストにイレーネに、生きていてほしかった、ミリアムに大怪我をさせたかったわけじゃなかった。


 今も必死にいのちを伸ばすミリアムを、救ってあげたいんだ。



 僕自身が吐き出せずにいる悲しみも苦しみも自分の心のなかに押し殺して、みんなの気持ちを受け止める。

 

──そうしなきゃいけないはずなのに、わからなくなった。


 仲間もちからも失った僕は、一体何をどうすればいいのか、わからなくなったんだ。



……そして次の日、僕は毎日欠かすことのなかったミリアムのお見舞いに、行かなかった。行けなかった。



 動かない腕を、固まる脚を、拒む身体を、引きずるようにどうにか孤児院の前まで運んだそれでも、中にまで入る勇気が、僕には無かったんだ。


 孤児院の中に入れず、目の前まで来たところで僕はただただ佇んでいた。


 すると、午前中には居ないはずのビクターがダミアンさんと一緒に中から出てきて孤児院の周りの掃除を始めていた。


──それを見た僕の身体は卑劣なまでに機敏に、さっきまでの硬直が嘘のように咄嗟に孤児院の前から走り去っていた。



 走り去りながら振り返った。遠退く視界に捉えたビクターの表情はひどく暗い。目は真っ赤に腫れていて、昨日あれ以降もずっと泣き腫らしたのだということを物語っていた。


 そんなビクターにどんな顔をして会えばいいのか、どんな顔をすればビクターの前に立てるのか、わかるはずもなく。


──僕は逃げた。



……だから、さらに次の日である今日こそは、僕は逃げずにちゃんとミリアムの看病をしなくちゃいけないんだ。


「──っ、御免、ください……カイルですっ! 今日はミリアムのお見舞いに……っ」


 孤児院の玄関の扉を開けば、玄関口ですでにダミアンさんが、座り込んで項垂れていた。


「……ダミアン、さん……?」


 表情が見えずピクリとも反応を示さないダミアンさんの姿に、僕の心のなかを不安が駆け抜けて咄嗟に身体が動いた。


「──ダミアンさんっ?! どうしたんですか、しっかりしてください……ッ」


 思わず駆け寄り肩を揺らすと、思いの外すぐにダミアンさんは反応を示した。


「カイル……」


 僕がいつも同じ時間にお見舞いに来ていたんだからダミアンさんはただ座り込んで僕を待っていただけなのかもしれない、そう思った。



……ダミアンさんが、口を開くまでは。



「──ミリアムが死んだよ」



「…………え……っ?」


 何て、言ったんだ……?ポツリと力無くこぼれ落ちるような一言。

 普通の会話ならうっかり聞き逃して、聞き返してしまうであろうひと雫。


 どうしてこういう時だけ、鮮明に聞き取ってしまうんだろう。


──ミリアムが死んだよ。


「う……そ……うそ、ですよ……ね?」


 ダミアンさんが僕にそんな嘘をつくはずがないのに。


 信じられない、信じたくない言葉を告げたことを咎めるように、ダミアンさんの肩を掴む僕の手に力が込もった。


「──嘘……っ、嘘ですよね? 嘘っ、嘘嘘嘘……ッ!!」


 ダミアンさんの肩に掴みかかり、でたらめに揺さぶって、必死に嘘を取り払おうとでたらめに揺さぶった。


「──嘘じゃないんだ」


 ダミアンさんの声は、感情を失ってしまっているかのように、それでいてどこか穏やかで落ち着いているようにも、聞こえた。


 ダミアンさんの肩をちからいっぱい掴んでいたはずの僕の手を、ダミアンさんは容易く離すとゆっくりと立ち上がって僕に背を向けた。


「ミリアムは……あの子は賢い子だ。 自分のいのちがどれだけもつのか、ちゃんとわかっていたんだね……」


 慈しむような独り言のような言葉を続けながら、ダミアンさんはすこしふらついたけどゆっくりと孤児院の奥に向かう。



「……おいでカイル、ミリアムの最期を……をしてあげよう……」



「……昨、日……っ?!」



──昨日。僕が、逃げた日だ。


 ミリアムに一生をかけて寄り添うと決めた僕が、それを投げ出して……逃げ出した日。



 絶望と罪悪感に足がすくんだ。こんな僕にミリアムと顔を合わせる資格があるわけがない。


 ダミアンさんの後に続けずにいた僕の気配を察してか、ダミアンさんは背を向けたまま振り返りはしなかったけど、立ち止まって穏やかに語りかけてくれた。


「──ほら、上がっておくれカイル。 ミリアムだってカイルに来てほしいと思っているよ」


 いつも以上に優しくて穏やかなダミアンさんの口調に促されて、恐る恐る僕は足を前に運んだ。



──昨日。ミリアムは急に、たくさんの話をしてくれたんだ。


……お願い、今日はたくさんお話をしたいから。たくさんお話を聞いてほしいの。


 たくさん伝えたいことがあるの。わたくしのこと、わたくしたちのこと、いっぱいダミアンおじさんに伝えておきたいの。


 数え切れなくて、覚え切れなくて、何のお話をしてたのか分からなくなるぐらい、たくさんお話がしたいの。


 面白い話がたくさんあるわ。楽しかった話もいっぱい。今思い出しただけでも笑っちゃうぐらい、楽しくて面白い話。


……あと、悲しかった話も、ちょっとだけ。



──でもひとつだけ、ただひとつだけは……忘れないで。覚えていて。伝えてほしいの。



わたくしたちの大切な、大切な仲間のことを』



 これが、わたくしにできる……最期にできることだから。



「──ミリ、アム……本当に……?」



──いつもと変わらない純白の只中ただなかで、聖女は安らかに眠っている。



 柔らかな表情のまま、閉じて隠してしまった澄み渡る蒼の両目を、彼女はもう二度と開くことはない。


 艶やかな唇を静かに閉じたまま、穏やかで温かだった声を、彼女はもう二度と発することはない。


 痩せ細って、それでも美しさを損なわない彼女の両の手は、もう二度と僕の手を握り返すことはない。


 床に伏した彼女の胸は、もう二度と鼓動を打つことはない。


 寝息も無く、安らかに眠る聖女は……もう二度と、苦しむことは、なかった。



「……ミリアムっ、ミリアムッ!! ごめんッ、ごめんなさいっ、僕が昨日ちゃんとお見舞いにこなかったからッ!! 僕が逃げ出したから……僕がミリアムを死なせたんだぁあッ!!」


 僕はどこまで穢いんだ。この期に及んでまだ聖女の清らかな亡骸に泣いて縋り付くなんて、本当にどこまで穢らわしくて罪深い人間なんだ。


「──カイル、君は今まで本当に……よくがんばってくれた。 だから、君はもう悲しまなくても良いんだ。 苦しまなくても良いんだよ」



──ダミアンさんの温かな言葉とは裏腹に、ミリアムの全身が冷たい。


 ミリアムの亡骸に縋り付く僕を責め立てて突き刺すように、ミリアムの全身が冷たい。



「……ちが、ぅ……違うよっ、僕……ぼくが何もかも悪いんだッ! 僕が悪いっ、僕が全部わるいのに……ッ! もう、もうぼく……どうやってみんなにっ……償ったらいいか、ぜんぜんっ……ぜんぜん、わからないよぉお……ッ!!」


 大声で泣いて大声で喚いてもミリアムの身体は何の反応も示さない。


 柔らかさをわずかに残してはいるものの、僕が手を握っても作り物のような無機質さでただ冷たい体温を返すだけ。


「……本当は……私が、神父としてひとりの大人として、ミリアムの父親として……君の考えを正してあげなきゃいけないのに。 そんな考えは間違っているって教えなきゃいけないのに……救ってあげられなくて本当にごめんよ」


 毎日毎日ミリアムのお見舞いに足を運ぶ僕の姿は、ミリアムやダミアンさん、孤児院の子供たちへの贖罪そのものだった。


 そう伝えながら、ダミアンさんの大きな手が泣き続ける僕を抱き寄せて包み込んだ。


「──私たちは、君を責めたいわけじゃない。 君に悲しんでほしいわけでも、苦しんでほしいわけでもないんだよ。 毎日ミリアムの看病に来てくれてありがとう。 つらい思いをしてまでミリアムのために薬を用意してくれてありがとう。 子供たちのためにたくさんのお菓子を持ってきてくれてありがとう。 いつも私を気遣ってくれて、本当にありがとう」


 ミリアムの看病に通うようになったこの二ヶ月の月日を振り返るように、ダミアンさんがお礼の言葉の数々を並べてくれる。


「……ダミ、アンさん……っ、ぼく……っ、そんなのっ、そんなこと、何の償いにも……ならなかったよぉ……っ!!」


「──それは違うよ。カイル、それは違う」


 悲しみと罪悪感に押しつぶされてダミアンさんの言葉もまともに聞けなくなっていた僕に、それでもダミアンさんはゆっくりと声をかけるのをやめなかった。


「私も子供たちも悲しんだ。 つらい思いも、苦しい思いもした。 確かにそれは『冠絶かんぜつ足跡そくせき』のみんなが、こんなことになってしまったからだけど……」


「……ごめん、なさいっ、ごめんなさい……っ」


「──カイル、私たちが今悲しんでいるのはね、カイル、誰より君が、君が傷ついているからなんだよ」


 泣きじゃくる僕の涙を拭いながらダミアンさんはゆっくりと言葉を続けていく。


「仲間を失って悲しんでいる君の、傷ついた心が癒えないままそれでも必死にみんなに償いをしようとしてくれる君の、どうしようもなくつらい気持ちが私たちには痛いほどわかるからなんだよ」


 顔を上げた僕の瞳に映ったダミアンさんは、ひどくつらそうで泣きそうな表情を滲ませていた。


「ぼくのっ、ことなんて……もう、どうでもッ、いいんですっ。 悲しんだって、傷ついたって……っ、ぜんぶッ、ぼくが悪いんだから……っ!」


──まるで僕の感情がダミアンさんに伝わって、ダミアンさんの優しい表情を歪ませてしまっているような気がして自分への嫌気が募る。


「カイル、そうやって君が君自身を傷つけてばかりいるのを見ているのは本当に心苦しいんだ……。 これ以上、君が自分自身を傷つけたって誰も喜んだりはしない。 誰が報われるようなことだって、決してありはしないんだよ」


 「わかるだろう?」と諭すような口調でダミアンさんに訊ねられた僕は、首を縦には振らない。まるで、わがままを言う子供みたいだ。


「……ぼく、でも……っ、僕、もう……どうすればいいか……わからないよぉ……っ」


──僕がミリアムを看病するのは当然だ。


 子供たちを悲しませたのは僕だ。ミリアムや子供たちを傷つけてダミアンさんにつらい思いをさせたのは僕だ。


 毎日、薬を用意してミリアムのお見舞いに来て、子供たちとダミアンさんのことを思って何度も詫びて、たくさんのお菓子を贈って。


 僕が思いつく限りの償いをしてきたつもりだけど、そんなことで、失ったものを取り戻せるわけがなくて。たくさんの人の心の傷が癒えるわけもないんだ。

 

 何のちからも無い、どうしようもない僕に。どうすればいいのかなんて、わかるはずもなかった。



「──泣けばいい。 カイル、君だって泣いていいんだよ」



……ダミアンさんは、そう言った。


「──ぼく……も?」


「子供たちも私も、みんな悲しくてつらくて、苦しい思いをした。 でもそれはカイルだって同じ……それ以上なんだって、みんなわかっているんだ」


「……でもっ、僕は……僕が傷付けたみんなに償わなきゃ……僕なんかが泣いていたら、いけないんです……っ!」

 

 ミリアムの死に涙を堪えきれなかった僕の言葉は、ひどく自分勝手な考えをさらけ出すものでしかないかもしれないけれど。


──そう思ったことは、僕の正直な気持ちだ。


 僕が泣いていたって、何の償いにもならない。何も取り戻すことはできないし、誰を救うこともできない。


 何ひとつ、変えることもできない。


──だからと言って、僕が泣かなかったからって、もう……何も出来ることはないんだ。



「……そうか。なら、カイル……私の頼みを聞いてはくれないか?」



「……頼、み? ダミアンさんの? ……ぼくっ、なんでも、します……っ!」


 不意な話に僕は首を傾げてしまったけど、なんでもしますと言って返したのはほとんど反射的にだった。


 償いたいのに、何をどうすればいいのかわからない、何もかもを失った僕に出来ることが残されているのかもわからない。


 そんな僕にとって、選択肢を与えてくれるなら、どんな罰でも受け入れる。


 考えることすらやめた僕はそう、思ってしまっていた。


「──カイル、今まで本当にありがとう。 今まで必死に頑張ってくれたカイルだから……どうか私たちにもカイルのことを思わせておくれ。 君の悲しみを、私たちにも分かち合わせてくれないか……?」


「悲しみを、分かち……合う?」


──それなのに。ダミアンさんの表情は、言葉は、頼みは、僕を罰するものじゃなかった。


「……どう、して? ……ぼくに、そんなこと……」


「つらいのに泣けないのはもっとつらい。大切に思う人がつらい思いをしているのを見るのはつらい」


「……はい……っ」


 僕も、そう……思う。ミリアムが、ダミアンさんが子供たちが、つらそうな表情をしているところを見るのは、僕もつらいと思うよ。


「──だから人は、みんなで泣くんだよ。みんなで泣いて良いんだよ」


「……それ、が……悲しみを、分かち合う……?」


「そうだよ、カイル。 そうやって、子供たちの悲しみも私の悲しみも、カイルの悲しみもぜんぶ混ぜあって、みんなで泣いて。 そうしたら……みんなの悲しみもすこしは和らいでくれるものなんだと、私は思うんだ」


「──どう、して……? ぼくには、そんな資格……誰かにっ、ダミアンさんに思ってもらう資格なんて……ないのに……っ」



「──カイルに、前を向いて生きてほしいからだよ。アルバとエルストとイレーネと……ミリアムが、いのちをかけて護り抜いた君に! また笑顔を取り戻して、生きてほしいからなんだよ!」



「──ッ?!」


──『冠絶かんぜつ足跡そくせき』みんなの顔が、思い浮かんだ。



「──……ぼく、異界のなか……すごく、怖かったんだ……っ」



「そうだね……」



「もっと、みんなのちからに……なりたかった」



「カイルはよく頑張ったよ……」



「ぼくがみんなを、護ってあげたかった。連れて帰って……あげたかった」



「そうだね……」



「……もっとみんなと一緒に、これからも一緒に居たかったんだ……っ」



「私もだよ、カイル……」



「ミリアムのこと、ちゃんと治してあげて……また一緒に、歩きたかったんだよ……っ」



「私も、またここから見送ってあげたかった……」



「──ぼくは……僕も、ビクターや他の子供たちと一緒にっ、泣いて……良かったのかなぁ……っ?」



「あぁ、もちろんだとも」



「──……っ!!」



 泣いて泣いて泣いて、溢れ出る涙が僕の心を清く洗い流してくれるのかは分からない。


 僕は、ゆるされていい人間じゃない。ゆるしを乞うていい人間じゃない。


……それでも。それでも今だけは、悲しみも苦しみも分かち合ってくれる人が居るんだと思うことを、今だけはゆるしてもらいたい。











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