第2話:Sランクパーティー崩壊


──あの日起こった出来事の光景が、脳裏に焼き付いて消えてくれない。



 この世界の各地、様々な場所に突如として出現する未知の領域──『異界』と呼ばれる領域の、その最奥。



 『死へと続く穴』とも呼ばれるその場所で、僕たちのパーティー『冠絶かんぜつ足跡そくせき』は、その時たぶん……異界から続く『死』に、触れてしまったんだと……思う。



 僕が、僕たちが解っているのは、『異界』の奥底からはおびただしい数の『魔物』と呼ばれる異形の存在が湧き出るということ。


 『魔物』と称されたそれらは様々な動植物のかたちを取る。草や木、虫や獣、鳥のかたちだけじゃない。

 ひとのかたちに酷似した亜人と呼ばれる種族や、悪魔や死霊の類すらも存在しているということ。


 それらはすべてが異形であり、この世界の人々にとって害をなす存在であるということ。


 異界の奥底から滲み出たそれらは異界内に留まらず、時には異界周辺の土地へと踏み入り跋扈ばっこする。


 それらは無差別に多くの人間を襲い、動植物を喰らい、街や村を破壊するだけじゃなく、土地をも穢してしまうということ。


 人々にとっての脅威を排出する異界の奥底よりさらに奥。


──その先には『魔界』と呼ばれる魔物が蔓延る世界が広がっていると考えられているということ。


 『異界』とは、人間が暮らす世界と魔物が巣食う世界との狭間に生じる歪んだ空間であり、しかしそこは魔物のちからによって支配された歪な空間なんだと言われている。


 遠い過去の時代から、人々は異界の出現に、魔物の蹂躙に、今なお脅かされて恐れ続けているけれど。


──それでも、異界や魔物の存在を放置しておくことはできないと考えた人々は、心身を鍛えて、武器と魔術を手に敢えて危険な領域である異界や人々に害をなす魔物との戦いに身を投じるようになった。


 人々が鍛え上げた肉体に磨き上げた武器、幾年もかけて紡いで鍛錬を重ねてきた魔術の数々は魔物を退け屠るだけのちからを有するようになってきたから。


 異界内に群がる魔物を討伐して領域を掌握することで、開いてしまった異界を閉じることができると解ったから。


 人間は、異界や魔物から受ける理不尽な蹂躙には決して屈したりはしない。

 立ち向かうちからを培い続けて、世界中の人々を護るために戦い続けるんだ。


──それが、僕たち『探索者』という存在なんだ。



 そして、探索者を募って設けた拠点『ギルド』における最高位、Sランクの称号を持って集った探索者のパーティーそれが『冠絶かんぜつ足跡そくせき』。


 僕たちは、ギルドから直接の指名を受けて最近出現した未踏の異界の制覇、掌握をして最終的には異界自体を閉じることを目的として探索を続けていた。



……その異界の最奥で、僕たち『冠絶かんぜつ足跡そくせき』は未知の魔物、と呼んで相違ないのかは未だに解らない……ある現象に襲われた。



──その出来事によって僕たち『冠絶かんぜつ足跡そくせき』のパーティーメンバーのなかで、戦士の青年エルスト、剣士の青年アルバ、魔術師の女性イレーネが命を落としたんだ。

 そして、聖女ミリアムが瀕死の重傷を負って、探索者ではいられなくなった。



 僕も、Sランクパーティーに属するひとりのSランク探索者として、異界のことも魔物のことも、その多くを識っていた。


 それでも、その時起こった出来事は、僕たちの知識の外にあったことなんだって、今更ながらに思ったんだ。



──結局、僕が解ったのは、異界や魔物について多くを識っていると思い込んでいたということ。


 僕が識ったのは、僕の大切な人たちが──エルストとアルバ、イレーネが……死んだ、ということ。


……僕のせいで、僕を大切に思ってくれていたミリアムに取り返しのつかない大怪我を負わせてしまったということ。


 

……僕が解らなかったのは、どうしてそうなってしまったのか。僕はどうすればよかったのか。僕に何かできることはなかったのか。



──僕には……補助魔術師として、Sランク探索者として、『冠絶かんぜつ足跡そくせき』のみんなと並び立つだけの資格が、本当にあったのか……ということ。



──それが三ヶ月前の、あの日の出来事だった。



◇◇◇◇◇◇



──Sランクパーティー『冠絶かんぜつ足跡そくせき』崩壊から一ヶ月後。



 Sランク探索者という存在は各国に数人ずつしか居らず、個々が有するそのちからはAランク以下の探索者のそれを遥かに凌駕すると恐れられている。


 しかしそのちからは人々のために在り、ギルドに寄せられる高難度の依頼や強力な魔物の討伐すらも数多く成し遂げることで示されてきた。


 Sランク探索者たちがもたらす、人々のみならず国までに対する絶大な貢献度たるや、まさに『希望の象徴』として讃えられるほどであった。

 

 そんな探索者の最高位であるSランクパーティーによる異界探索の失敗報告は、ギルド内に留められるはずもなく瞬く間にこのオーグラント王国中に広がっていた。



「──では、カイルさんの報告を元にギルド側からも例の異界の調査を試みてみます」


 ギルド内の一室。『冠絶かんぜつ足跡そくせき』の一行に異界探索の依頼を仲介していたギルドの女性職員シェリアは、分厚い資料の束を机の端に寄せて、補助魔術師の少年の、まだ幼さを残したままの顔を真っ直ぐに見つめていた。


「……はい。ご迷惑を、おかけ……して、申し訳……ありませ、ん……」


 消え入りそうな声で途切れ途切れに話す幼い少年、Sランク探索者である補助魔術師カイルの姿は、だれが見てもひどくやつれていた。


 光を失ったような虚ろに濁る瞳は焦点が合わないまま、泣いてばかりいるのであろう目元はいつまでも腫れが引かずにいるのだ。


 カイルが身に纏うにはまだかなりサイズが大きい魔術師のローブは、あの日の汚れと傷みを残したままだった。


 手入れする、という考えにも至らないのだろうと察するほどやつれきった少年からは、ほとんど生気を感じられない。


「……カイルさん、ひどい顔をされてますよ? ちゃんと休息は取っていますか?」


「………」


「……こんなこと、口が裂けても言っちゃいけないって、解ってはいるんですけど……」


 シェリアはすこし迷うように、かけるべき言葉を探すように言い淀んだが、静かに言葉を続けていく。


「……カイルさん、私はギルド職員として、探索に失敗した探索者を何人も見てきました。 ……もちろん、亡くなった探索者の方々も……」


 真摯な表情にすこしの陰りを含みながらも、ギルド職員であるシェリアの表情は明るかった。


──そう見えるように、努めて明るさを灯していたということは、その時のカイルの目にも分かるほどに。


「──でもカイルさん、探索を一度失敗しただけじゃないですか! ……今は、すぐにはSランク探索者として復帰できないかもしれないですが……カイルさんがいつまでも憔悴していてはパーティーメンバーだった皆さんも浮かばれません。元気を出しましょう!」


 カイルは耳を疑った。シェリアがカイルを慰めようとしてくれているのは理解できる、理解できた。


「──その一度の失敗のせいで……」


 それでも、彼女の言葉はカイルの鼓膜を無神経に、無遠慮に揺さぶって脳内を侵してくるようで、不快極まりなかった。


「──僕はッ、自分の命より……大切な仲間を……失ったんですよ……っ!!」


──ギルドの職員にとっては、探索の失敗も、そのせいで……失ったものの大切さも、そんなに気安く割り切れるものなのか、と。


 カイルは隠し立てする必要すら感じない強い苛立ちを覚えていた。


……しかし、その時のカイルは、怒りに任せて喚き散らすことすら出来ないほどに憔悴しきっていたのだ。


……こんなに弱いから、僕は仲間を助けられなかったんだ。


──カイルはそう思いながら、自分自身を責めるばかりであった。



「──も、申し訳ありませんっ……発言が軽率でした。 もちろん、お仲間たちのことは私も悼む気持ちを抑えられません。 しかし……今のカイルさんを見ていると、お仲間たちもきっと悲しまれるでしょう……」


 カイルは自らの瞳に虚ろながらシェリアの表情を映す。シェリアの表情は本心を隠さない。


 自らの発言を悔いながら、それでいてカイルを思う気持ちを隠さないシェリアの悲しげな表情を見ていると、気遣ってくれているんだと、どうしようもなく伝わってくる。


 そんなシェリアの心情に、カイルの心は静かに怒りを鎮めていく。

 


「……僕のことは……どうでも、いいんです……」


 怒りが鎮まる。同様に、カイルの気持ちはますます深く沈んでいった。


 まるで、深く暗い海の底に沈んでいくような、呼吸をすることすら許されないような、重苦しい気持ちへと精神が沈んでいく。


──それはきっと、今のカイルにとっては錯覚ではなかったのだ。


 過ぎた精神状態が身体にも影響を及ぼし始めているようで、身体が重く、鈍い。


 指先ひとつ動かしてみようとするだけでも、頭から指先へ強く指示を出さないと動かないほどに。


 呼吸も、いつからこんなにも難しく、苦しくなったんだろう。呼吸がまだ途切れないのが不思議なぐらいだ。気を抜くと、呼吸すらも止まるんじゃないか……。


 虚ろに沈み続けていくそのままに、ぼんやりとした思考だけがカイルの胸の内に漂っては、すぐにも跡形なく霧散して消え去ってしまう。



「──そ、そうだっ! そういえばカイルさんっ、先ほど連絡があったんですが、聖女が意識を取り戻したそうですっ!」


 どうしようもなく居た堪れない気持ちに満たされていたシェリアは、カイルに伝えるべきことを思い出した。


「……えっ?」


 聖女ミリアム。先の異界探索にて崩壊したSランクパーティー『冠絶かんぜつ足跡そくせき』のメンバーのひとり、治癒と光魔術のエキスパートである聖職者。


 異界からの脱出の際、カイルを庇って大怪我を負い、以降ずっと意識を失っていたままだった、カイルに残されたかけがえのない唯一の大切な仲間だ。


「容体も落ち着きを取り戻しているそうで、今は養父の元に戻ってゆっくり療養をするとのことでしたっ! そう多くの方とは面会できないでしょうけど、カイルさんならきっと……お見舞いに行かれてはどうですか?」


 ミリアムの回復を耳にしたカイルの瞳に、表情に、うっすらとでも光が戻ったことでシェリアは安堵しながら席を立つ。


「──っ?! わ、わかりましたっ。 ……行って、みます……っ!」


──カイルから異界探索の報告は受け取った。


 これ以上カイルを引き留める必要はないし、引き留めるようなことは、してはならないのだから。

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