崩壊Sランクパーティーの生残者

よしくま

第1話:新しい名前

 

  

 僕は、僕の一生をかけて彼女に寄り添い続けるよ。


……それが、最後まで生き残ってしまった僕の、パーティーメンバーだった僕のするべき、なんだから。



「──もう、こちらには二度と来ないでください」


 部屋の壁、部屋の床、部屋の片隅に置いてある家具、彼女の身を起こして支えるリクライニングベッド、彼女の下半身を覆う布団、彼女が身にまとう寝巻き、開け放たれた窓枠、外から舞い込むそよ風に揺れるレースのカーテン。


 白が好きな彼女のそばにあるものはどれも真っ白で、いつも美しかった。


 純白に染まったこの部屋で、彼女のきめ細かく色白で艶やかな肌と、毛先でふわりと束ねた彼女の長い金髪、蒼く澄んだ両の瞳だけが、白ではなかったけれど、清らかで美しかった。


 左を見ても、右を見ても、上を見ても下を見ても、何もかもが白くて清らかな美しい空間のその中で。


 彼女はいつも、優しく微笑んでくれていた。



──この部屋の中で唯一、醜くきたならしい僕にすらも。



「……えっ?」


「ですから、もうこちらには、二度と来てはいけません」


 いつも、こんな僕にすら優しく微笑んでくれていたはずの彼女──聖女ミリアムの言葉は、淡々としていた。


「……どうし、て……、違……う。 ご、ごめんな、さい……っ、嫌だったって、ことだよね……っ? 、みんなが……死んで、ミリアムまでこんな状態なのに、軽傷で生き残った僕なんかがミリアムの前に顔を出すなんて、不快だったってこと、だよね……っ?」


「無神経だった、ごめんなさい」そこまでちゃんと、言わなきゃいけない。


……のに、喉を締め付けられるような感覚が、声を出すことを許さなかった。


「そういうことでは……ないんですよ」


 言うべき謝罪も言えずに俯いてしまった僕を、ミリアムがそっと自分の胸に抱き寄せた。


「ミ、ミリアム……っ?!」


 負ってしまった大怪我によりミリアムの身体は痛々しいほどに痩せ細ってしまった。


 それでも、彼女の穢れなく透き通るような美しい肌は、まだほんのりと温かさを残してくれている。


「──わたくし、最近ずぅっと考えていたんですよ?」


 そう言ったミリアムの話し方には、普段通りの柔らかさと温かみが込められている。


 「二度と来ないでください」なんて言ったときに、僕を突き放すような冷たさを纏った言い方に聞こえたのは気のせいだったんだ。


 そう思えるぐらい温かくて、すこしだけ安心した。


 僕を抱きしめるミリアムの体温と囁いてくれる言葉の温かさは、僕が勝手に感じた冷たさをじんわりと溶かして、それが嘘だったんだと教えてくれるようだった。


 そう思うことは、僕にとっての都合が良いだけの、醜い甘えだというのに。


「……な、何を、考えたの……?」



「──名前。あなたの、新しい名前です」



「なま、え? ぼくの……新しい名前? どういう、こと……?」


 抱きしめられたままだった僕が、予想もしなかったミリアムの話に驚きを隠せずにいると、ようやく解放された。


「まだ幼かったあなたを補助魔術師としてパーティーに迎えたとき、わたくしたちみんなで決めたことがあったんです」


 僕を解放したミリアムは、僕と触れ合っていた胸元に残る体温を名残惜しむように手を置きながら、昔のことを思い出す。


「パーティーに入ってくれたときのあなたはまだまだ幼くて、こんな世界で探索者なんて危ない仕事をしていたのに……いつも楽しそうで、いつだって懸命に生きるあなたの姿は、わたくしたちの目にはすごく眩しくて、とてもキラキラと輝かしく見えていたんですよ」


 昔を懐かしむミリアムの言葉で、僕の脳裏にもその頃の記憶がふわりと蘇ってくる。


 まだ何も知らなかったけど。まだ何も出来なかったけど。


 それでも、パーティーメンバーのみんなと一緒に居られることがとにかく嬉しくて、ただただ幸せだった。


……そんな、幼い頃の温かな記憶。


「あ、あははは……あの頃は、毎日ワクワクしっぱなしで、いつもはしゃいでばっかりで……なんだか恥ずかしいや……っ」


「でもね、そんな若かりしあなたのおかげで、Sランク探索者だなんてもてはやされていたわたくしたちにも、こんな初々しい時代があったなぁ、なんて思い出したりして、微笑ましくて……愛おしいと思ったんです」


 最強の剣士アルバ、最堅の戦士エルスト、最大の魔術師イレーネ、最高の聖女ミリアム。


「僕なんかがみんなと一緒のパーティーに入れてもらえたなんて、今でも誇らしくて……今思うと、信じられないよ……」


──そして、最適の補助魔術師と謳われていた僕、カイル。


 僕なんかが、最を冠する人たちと並び称されるなんて、今となっては……悪い冗談にしか聞こえないや。


「……ねぇ、カイル……あなたはまだ、の出来事を自分だけのせいだって思ってるんですか……?」



──。最高位であるSランク探索者五人により構成された僕たちSランクパーティー『冠絶かんぜつ足跡そくせき』が崩壊した日。



 あの日の出来事の記憶が頭の片隅をよぎるだけで、身体が震える。


 胸の奥底からどうしようもなく恐怖が溢れ出して、それだけで鼓動が大きくなって、上手く呼吸が出来なくなる。


 内側から身体を喰い破られる自分の姿が脳裏を過ぎるようで、吐き気が止まらない。

 手足が震えて言うことを聞かなくなって、立っていることすら出来なくなる。


……そんなことを考えるだけで、もう、僕の心は苦しみを感じてやまない。逃げ場も無いのに、どうしようもなく逃げ出したくなるんだ。


「……僕のせいだ。 みんなは全力で自分の役割をこなしていたのに、僕だけ何の役にも立ってなかったから……僕のせいだよ……っ」


「そんなことはありません。 あなただって充分な補助をしてくれました。 ……あんなことになったのは、わたくし たちパーティーとしてのちからが足りなかったからなんです」


「──でもっ、でも僕がもっと上手く、もっと色んなことが出来ていればあんなことにはならなかったんだよッ! 僕のせいでみんなが死んだんだよ……っ、みんなはすごい人たちだったのに、みんなが死ぬぐらいなら僕が死ねばよかっ──」



──頬に衝撃が走った。ピリピリとした痛みが、せきを切るように流れ出していた僕の言葉を遮った。

 

 そこでようやく、僕はミリアムに頬を叩かれたんだと理解する。



「……わかりました。 やっぱり、わたくしたちは、失敗……したのかもしれませんね……」


 慈愛の精神に満ちた聖女ミリアムが他人に手をあげたところなんて、今まで一度も目にしたことがなかった。


 ミリアムは僕を叩いた方の手をぎっと握りしめて、目に涙を浮かべているのに無理矢理に微笑んでいたんだ。


わたくしたちは、あなたがパーティーに入ってくれたときに決めたんです」


──この先、自分たちはカイルとずっと一緒に居よう。


 この子がこれからも輝かしい瞳でこの世界を見続けられるように。

 優しくて温かなカイルの笑顔をいつだって護れるように、ずっとそばに居よう。


……この先、何があってもカイルを護ることを誓おう。


「だからあの日も、わたくしたちはカイルが生き延びることを優先したんです。 もしもそれでわたくしたちの命が潰えることになったとしても、カイルが生き続けてくれるなら、わたくしたちは負けてない! そう、思っていたのに……」


 ミリアムの声がか細く消え入ると、また再びミリアムは僕を抱きしめた。


 今度はさっきより強く、縋り付くように、痛ましく。


「……護れなくて、ごめんなさいっ。 こんなにも、あなただけにつらい思いをさせることになって、ごめんなさい……ッ」


 幼い子供が許してもらおうと必死に謝るみたいに、振り絞るみたいに、弱々しく、うわごとみたいに繰り返す、ごめんなさい。


「……違う、違うよ……っ! ミリアムも、みんなも、誰も悪くなんかないよぉ……ッ!」


 ミリアムの悲痛な謝罪に僕もミリアムを強く抱きしめ返すと、お互いの体温が混じり合っていくように、触れ合った部分から熱が広がっていく。


 瞳が潤んで、涙が抑えきれずに僕の目から流れて頬を伝ってこぼれ落ちては、ミリアムの肩をポツリポツリと濡らしてしまう。


「……そう、カイルだって悪くないんです。 あなただって悪くない。 ……でも、わたくしたちが失敗してしまったから、あなたを護れず……こんなにも悲しい思いをさせてしまっているんです……」


「……ごめん、なさいっ、やっぱり僕のせいだ……ッ!」


「違うんですっ、そうじゃない……そうじゃないんですっ。 あの日カイルを生き延びさせたことをわたくしたちは誰も後悔したりはしませんっ。 わたくしたちは今までもこれからもずっとずっと……あなたと一緒に居てあなたの笑顔を護っていきたいと思っています……っ! あの日のわたくしたちは失敗なんてしていない、ただつまずいて転んでしまっただけだって! わたくしは、わたくしたちはまだっ、カイルを護れるんだって……証明、してみせます……っ!」


 不意に僕の肩にもじんわりと温かな雫が滲む感覚が伝わってくる。

 ミリアムも、泣いているんだ。


「……ミリアム……」


「……でも、でもっ……わたくしはもう、一緒には……行けないから……ッ、でもそれじゃ……毎日毎日わたくしの看病に来てくれるカイルをずっとここに縛り付けて、しまうから……っ」



──ですから、もうこちらには二度と来ないでください。


……そして、わたくしたちの思いがこれからもあなたのそばに居て、あなたを護り続けられるように。


 それでもあなたを、わたくしたちのもとに縛り付けてしまうことのないように。


 わたくしたちのもとから離れ旅立って、これからもずっと遠くへどこまでも、この世界を歩み続けて行けるように。


 わたくしたちのパーティーに入ってくれた頃の輝きに満ちた瞳で、この世界を広く見つめていられるように。


 

──あなたには、新しい名前が必要だと、思ったんです。



「……ぼくの、新しい……名前……っ?」


 ミリアムと僕の身体が離れて、真っ直ぐに見つめることができた彼女の顔は、今まで見たことがないぐらい、涙でぐちゃぐちゃに濡れていて、それなのに、今までで一番……綺麗だった。



「……あなたの、名前は──」



 ミリアムが考えた僕の新しい名前。ミリアムが僕の名前を呼ぼうとした刹那……。



──バンッ!!と、まるで蹴り破るかのような荒々しい音を立てて部屋の扉が開かれた。


 その音にビックリした僕とミリアムは部屋の入り口へ、扉を開け放って部屋に駆け込んできた人へと反射的に意識を持っていかれた。


「──カイルっ!」


──血相を変えてミリアムの部屋に現れたのは初老の男の人。


 慌てて部屋に駆け込んできた焦りが隠しきれないようで、息を乱した男の人の額から冷や汗が一筋、頬を伝っていた。


 それでも、驚いた僕とミリアムの顔を見た男の人は短く小さく一息ついて、冷静さを取り繕ってみせてくれる。


「……ぁ、あぁ、すまない驚かせてしまった。 しかしすまない、子供が、帰ってきてしまってな……本当にすまないが……」


 ミリアムの部屋の入り口を開け放って現れた初老の男の人とは、彼女の養父。

 この建物──教会と孤児院を併設させた建物で教会の神父と孤児院の院長をつとめる老父のダミアンさんだ。


「わかりました、今日はこれで帰ります……」


 ダミアンさんは僕を直視できないかのように、チラチラと何度か僕から目線を外しながら、申し訳なさそうに言葉を濁している。


 唐突に部屋へ飛び込んできたダミアンさんの様子を見たそれだけで、僕にはダミアンさんが言おうとしていることを察したんだ。


「いつもすまない……。 こんな、後ろ暗いことをさせているような……」


 ダミアンさんは僕を見るといつも罪悪感に苛まれているような表情をする。しかも、この時が一番ひどくつらそうな顔をするんだ。


 ダミアンさんが悪いわけじゃないのに。僕は、いつもそう思う。


 悪いのは僕の方なのに。内心で自分を責めてはいても、表情に浮き出る陰りを隠しきれずにいる僕自身が、心底憎らしい。


──僕がこんな調子だから、僕がミリアムのもとに顔を出すたびに僕の方がダミアンさんを傷つけているんだ。


 僕は小さく首を横に振るだけでダミアンさんのせいではないことを伝えて、手早く手荷物をまとめて帰り支度をする。

 

 ミリアムの看病のためとはいえ、こんなことなら僕はここに、ミリアムのもとには顔を出すべきじゃないのかもしれない。顔を出さない方が良いのかもしれない。


……そうするべきなの、かもしれない。


──それでも、僕にはミリアムのもとに通い詰めなきゃいけない理由がある。


 そして、僕が毎日ミリアムの看病に来るためには、ひとつだけ守らなければならない条件があった。



──それは、こと。



 どうしてそんな条件がついたのかというと、それはミリアムの看病に通い始めてから何日目かのことだった。


 その日も変わらず看病のためにミリアムの元を訪れると、孤児院の子供たちから突然、石を投げつけられた。


 幼い子供の手のひらに収まるほどの小さな石。


 泣きじゃくりながら怒りながら、まだ幼いはずの年端もいかない何人もの子供が、その歳では抱え切れるようなものじゃないほど、おぞましい憎悪を露わにしながら。


──孤児院の子供たちが僕へと石を投げつける。


 幼い子供たちの小さな手のひらに収まるだけの小石を力の限り握り込んで。そのせいで手から滲み出た血が石に染み付いたとしてもお構いなしに。

 唇を噛み締めて言葉が紡げなくなるほどの嗚咽を漏らしながら。

 瞳から流れて落ちる涙を手で拭えば、小石を握りしめた時に滲んだ血と涙が手のひらのなかでごちゃ混ぜに混ざり合う。


 それほどまでの悲しみと怒りと恨みを込めた石を、いくつもいくつも僕に投げつけてきた。


 幸いすぐにダミアンさんが気付いて止めに入ったことで、僕は怪我こそ負わなかったものの。

 僕は、僕がここに来る資格がないということを、思い知らされたんだ。



……当然だ。孤児院の子供たちは、自分たちを本当の子供のように大切に育ててくれている養父と、いつだって姉であり母のように子供たちひとりひとりを見守ってくれる存在だった聖女のことを、心の底から大切に想っているんだから。


──あの子たちは、ダミアンさんに悲しい顔をさせる僕を絶対に迎え入れたりはしない。

──あの子たちは、ミリアムを傷付けてつらそうな顔をさせる僕を絶対に許したりはしないんだから。


……だから僕は、孤児院の子供たちとは絶対に、顔を合わせてはいけない。



「……ダミアンさんが謝ることは何もありません。 子供たちと鉢合わせる前に帰りますね……っと、そうだ」


 帰る前に、僕は荷物袋の中に詰めてきた物を手渡した。


 これも、ミリアムの看病と同様日課のようなものになっていることだ。


「おぉ、今日もお菓子をたくさん持ってきてくれたんだね、いつもありがとう。 子供たちもすごく喜んでいるんだ。 ……いつか、君からだと子供たちに話せたら良いんだけどね……」


 僕は、子供たちのためにと大きな袋いっぱいにお菓子を詰めて持ってくるようにしていた。


 そんなことが罪滅ぼしになるなんて思ったことはないけれど、ミリアムの看病に来るのをやめたくなかったから、そう……これはせめてものお詫びだった。


「ダミアンさん、それは言わない約束です……。 僕からのお菓子なんて、あの子たちは喜びませんよ」


 今日持ってきたお菓子は焼き菓子だ。袋の中を覗けば焼き菓子の香りがふわりと広がっていく。

 甘く香ばしい香りに鼻をくすぐられて、ダミアンさんの表情をほんの少しだけ和ませてくれる。


「そんなことはない……そんなことはないんだよ。 子供たちはいつもに本当に感謝しているんだ」


「えぇ、カイルが毎日お菓子をたくさん持ってきてくれるから、子供たちったら毎日おやつが食べられる、ってはしゃいでいるんですよっ」


 お菓子を食べながら笑っている子供たちの顔を思い浮かべて目を細めるダミアンさんとミリアムの表情は優しくて、嘘を言っていないことを僕に感じさせてくれる。


……誰からもらったのか分からなければ、子供たちも喜んでくれているってことなんだ。

 そう思えたことで、すこしでも子供たちに罪滅ぼしが出来ているような、気がした。



……だから、僕がお菓子を贈っているなんてことは、バレてはいけない。秘密のままで良いんだ。秘密のままじゃなきゃ、ダメなんだ。



「……じゃあ、僕はこれで帰ります」


「あぁ、カイル今日もありがとう……」


 「ごめんね」とだけ残して、追われるように逃げるように部屋を出る僕の背中をミリアムは黙って見送った。



 カイルと彼を見送る養父がミリアムの部屋を静かに出て行く。


 閉まりゆく扉を見つめながら聖女がつぶやいた言葉は、カイルに届くことはなかった。








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