第3話:失われたチカラ
聖女ミリアムは元々、孤児として街外れにある孤児院で育てられた。
その孤児院には教会が併設されており、ミリアムもまた礼拝にやって来る少なからずの人々に見守られながら孤児院のなかで育った子供のひとりだった。
孤児院の子供は皆、もちろんミリアムもまた、ダミアンを父にもつ子供だ。
「──君はっ、君は……カイルか?」
「……は、はい。 ご無沙汰、しており……ます……ダミアンさん」
ダミアンとカイルは以前から面識があったものの、カイルが近頃忙しく動いていたために、すっかり会う機会を失ってしまっていた。
カイルとダミアン。久々の再会だというのにダミアンが戸惑いを見せたのは、久しぶりだから、という理由ではなかった。
「……やつれているね。 ミリアムからすこしは話を聞いているよ、パーティーの件は……本当に大変だったね」
子供ながらにやつれ切ったカイルの姿は、ダミアンが知るカイルの、生き生きとした少年の表情をすっかり失ってしまっていたからだ。
意識を取り戻したもののひどく衰弱しているミリアムがうわごとのようにカイルのことを心配していたが、これほどの状態だとは思いもよらなかったのだ。
「……申し訳、ありません……僕のせいで、聖女に大怪我を……ごめんな、さい……っ」
孤児院の玄関口で項垂れるように力無く頭を下げる少年の声はあまりにも弱々しく、震え混じりで空気に擦れて途切れ途切れにかき消える。
養父ダミアンにとっての大切な娘であるミリアムに取り返しのつかない怪我を負わせてしまった罪悪感に苛まれているのはもちろん。
養女であるミリアムをこんな形で養父の元に帰すことになったのだから責められ罵られるのが当然だと思うカイルは、詫びようのない相手と対峙することに内心恐怖していた。
──魔術師の。イレーネのときは、そうだったから。
「……やっぱり、ミリアムが心配していた通りだったんだね……さぁ、入りなさい。 あの子もカイルが来てくれたことを知ったら喜ぶよ」
「……心配? そ、それはどういう……」
身構えていたカイルの心情とは裏腹に、ダミアンがかけた声はとても穏やかで優しかった。
罵声のひとつもなく迎え入れ、中へと招くようにカイルの肩に触れたダミアンの手は、とても温かかった。
カイルは、自分が大怪我を負わせてしまった聖女と会うことに、躊躇いがないわけではなかった。
後ろめたさから孤児院の入り口で足がすくむカイルを、ダミアンは責める様子を微塵も見せずに引き込むように中へと招き入れてくれたのだ。
孤児院の一番奥に、聖女ミリアムの部屋がある。聖女が探索者として出ていた間も隅々まで手入れされていたことが一目で分かるほど美しい純白に染められた、ミリアムの部屋。
その只中で、ベッドに寝込んでいるミリアムは静かに窓の外をみていた。
「……ミリ、アム……」
出そうと思った声量には到底及ばない、消え入るような呼びかけ。
これではミリアムには聞こえないだろうとカイルはもう一度声を振り絞ろうとするものの、声が出ないまま口を開閉させるばかりだった。
「──カイル……?」
カイルの言葉を拾ったのか、それとも部屋に人が入って来た気配を感じ取ったのか。
部屋の入り口で立ち尽くしていたカイルの存在に気付いた聖女が顔を向ければ、嬉しそうに柔らかく口元を緩めていく。
しかし、意識を取り戻したとはいえ、聖女の表情はちから無く弱りきっていて、まだやはり痛々しさを感じざるを得ない。
聖女が一番ひどい怪我を負った部位は胴体だったのだが、白く穢れのない聖女の寝巻きが傷をうまく覆い隠してくれていた。
それでも痛々しいと感じてしまうのは、ミリアムもまたやつれて、かなり痩せ細ったように見えたからだ。
「……ミリアム、ごめん……ごめんなさい……っ」
カイルは、自分の来訪に気づいたミリアムからすぐに目を背けてしまった。
それでもダミアン同様に、ミリアムはいつもと変わらない優しさをカイルに向けてくれる。
「なんで謝るんですか? お見舞いに来てくれたんでしょう? とても嬉しいです……」
「だからもっとこっちへ来てください」そう手招きするミリアムの呼びかけに、カイルは心のなかでは応えてもいいのか躊躇っていたのに。
──カイルの身体は、手は、脚は、勝手にミリアムの元に縋り付くように反射的に動いていた。
「……身体の調子はどう? 痛いところは……? 今も傷は、痛む……?」
「……大丈夫ですよカイル。 今はもう、痛みも何もないんです」
ミリアムのそばで跪いたカイルの頭に、ミリアムの手がゆっくりと伸びて慈しむようにそっと撫でる。
温かく溶けるような言葉に、弱々しくても柔らかく微笑む笑顔、そっと頭を撫でてくれる感覚の心地良さに、カイルの瞳から涙が溢れ出ようとしていた。
「……良かっ……ごめん、僕の……せいなのに……ごめん……っ、ミリアム……っ」
異界のなかで刻み付けられてしまった恐怖、ミリアムに大怪我を負わせたことへの罪悪感、ミリアムが意識を取り戻すまで回復したことへの喜び。
様々な感情が混ざり合いながら、カイルはひたすら謝罪の言葉を口にする。
「それは違います……っ、
ふと、ミリアムの身体から力が抜けたように声が小さく消え入ると、ミリアムの呼吸が浅く速いものになっていく。
「──ミリアム……? ミリアム、どうしたの? しっかりして……っ!!」
──カイルはそこでようやく、聖女の身体の状態が聞いていた以上に悪いものだったのだと気付かされる。
「……ミリアム、なんで……魔力が……っ」
意識を取り戻したとはいえ、今のミリアムの身体は致命的なまでに魔力が枯渇しているのだ。
──魔力とは、あらゆる魔術を行使する際に消費するエネルギーというだけでなく、いのちあるものすべてが有する生命力そのものだ。
「……怪我の、せい……? ミリアムの魔力がほとんど……意識を保つことで精一杯なくらい……魔力が、足りていない……っ?」
……つまり魔力が枯渇した状態というのは、いのちの終わりに直結する事態なのだ。
「──で、でも……まだっ、魔術で補助すれば……まだ、大丈夫なはずだ……ッ!!」
うっすらと極小量ずつそれでも確実に、浮かび上がるように滲み出るようにミリアムの身体から魔力が離れている。
「ミリアムの魔力欠乏は、僕の魔力を……譲渡して補填……っ、しつつ……ミリアムの肉体から魔力が逃げるんだ、補助魔術で肉体と魔力の結合力を強化する……」
カイルは左手でミリアムの左手を握り、右手は彼女の胸元あたりに翳して、魔術の設計図である術式を構築する。
「──それから、ミリアムの魔力循環を補助して、補填した魔力を全身に行き渡らせれば……ッ」
──確実に延命することが出来る!
魔術を組み上げるための設計図である術式に、魔力という素材を満たすことで、術式がいよいよ魔術として構築され、その機能を展開する。その瞬間。
「──えっ?!」
──術式が崩壊して弾け飛んだ。
「──なッ、なんでッ?! 術式が……っ、構成は間違ってないのにっ、もう一度……ッ!!」
歪む。捻れる。砕ける。掻き消える。破裂する。
何度も、何度も何度も何度も魔術を発動させようと術式の構成と展開を繰り返す。
しかし何度やっても、魔術を発動するに至らない。
「……魔術が、使え……な、い?」
──いやそれでも、魔力を譲渡するだけならッ!!
カイルは魔術が使えないことによる困惑からか、ミリアムの状態を知ってしまった焦りからか、ミリアムと触れ合う手にでたらめに自身の魔力を流し込む。
「……っ、カイ……ル?」
自分に注がれる魔力に反応したのか、ミリアムは薄い意識をカイルに向けた。
──カイルの手はより一層、ミリアムへと魔力を惜しみなく注ぎ込む。
ミリアムの身体に流れ込みきれずに溢れてしまうことすらお構いなしに──カイルは、自身のいのちを消費する。
「──カイルっ?これはッ、カイル何をやっているんだっ?!」
膨大な魔力が一箇所に満ち溢れる感覚は、魔術に通じていない者にすら異様な気配を感じさせたのか、ダミアンがミリアムの部屋に様子を見に来たのだ。
「ダミアンおじさん、カイルを……止め、て……っ」
「あ、あぁ。 カイル、今すぐやめるんだっ!」
養女のか細い声を聞き届けた養父が、カイルの肩を掴み強く揺さぶる。
それだけではやめようとしないカイルの様子に、掴み掛かったダミアンはカイルを半ば強引にミリアムから引き離した。
「──ダミアンさん……っ、でも僕ッ……僕が彼女を治さなきゃ……っ!!」
常人以上の身体能力を持つ探索者であれば、少年といえど大人の腕力を振り解くことはできる、はずだった。
「落ち着くんだカイルっ、なんだか分からないが……今きみは無茶をしていることだけは分かる。 一旦やめて落ち着くんだ」
ダミアンに抑えられたカイルは、腕を振るい身体を暴れさせたものの、ダミアンの手を振り解けずにいた。
焦り、不安、恐怖、湧き上がる負の感情に溺れてカイルは呼吸すらまともに出来なくなっていた。
心身ともに疲弊しきった探索者の少年のちからでは、常人の大人の腕力を振り払うことすらかなわなくなっていたのだ。
「はっ……はっ……は……っ、う……ッ、でもダミアンさん、ぼく……魔術が、使えなく……ミリアムも、助けられなく……なっちゃう……っ!!」
「……と、とにかくまずは落ち着きなさいっ」
ダミアンはこれ以上の制止の言葉を失っていた。
掴まれた腕を振り解くこともできないまま「ミリアムを助けられなくなる」などと言っている探索者は、まだ幼い少年だ。
何よりもだ、床に伏した聖女を救うために何か無茶なことをしているらしいカイルの表情は、ミリアムの状態と酷似していると思わせるほど青白く生気を感じられない。
大切な養女を救おうとしてくれたことには感謝こそすれど、そのためにミリアムが大切に思っているカイルの自棄をダミアンが望むはずがないのだ。
──ダミアンにとって、カイルもまた長年に渡り陰ながらその成長を見守ってきた子供のひとりなのだから。
「……カイル、おかげで……かなり、楽になりました、よ……あり、がとうございます。 だから、だからね……こんな、自分のいのちを削るようなこと、しないでください……」
まだ整い切らないミリアムの息遣い。とはいえ、先ほどより状態が良くなったというのは嘘ではないように思えた。
ミリアムがふわりと頬を緩めたことが、今は何よりカイルの心を少しだけでも安堵させた。
ダミアンがカイルを掴んだままでいた手に抗う動きを感じなくなったことで、ダミアンはようやくカイルから手を離した。
ようやく制止を解かれたカイルはミリアムのそばに寄ることはなく、しばしば考えるように押し黙ったがそれも束の間だった。
「……そうだ。 僕、薬を買ってきます……っ、今の僕じゃ……それぐらいのことしか、出来ませんから……」
「な、何を言っているんだっ、カイル、君も休んでからの方が良い。 待つんだ」
よろめきながら踵を返してミリアムの部屋を出ようとするカイルを留めようと、またダミアンが手を伸ばす。
カイルの腕を掴んで留めようとするダミアンの手を、カイルは視界に入れることすらせずに紙一重で
虚ろに濁ったカイルの瞳はもう、部屋を出た先の、ミリアムの状態を回復させるための薬を扱う薬屋の方角を見据えて逸さない。
「──いってきますっ!」
……そうして、カイルは逃げるようにミリアムの部屋を飛び出した。
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