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 3年前の9月。

「私、引っ越すの、遠くに」

 唐突に告げられた幼馴染からの一言で、足元が揺らいだ真也は、黄昏時の紅の空を見上げながら、何か幻聴のようなものが聞こえたと思い、連れ立っている相方、佐藤 千春に視線を向ける。

 彼女は今にも泣きだしてしまうのではないかというぐらい、顔を歪ませ、何かに必死に耐えるような仕草をしていた。

「わ、悪い冗談はやめろよ。お前の悪い癖だぞ」

 長い時間共に過ごし、悪い冗談や悪ふざけ、時には少しシャレにならない件かなどもしてきた間柄だから、ごくまれにこういう悪ふざけなんかはよくあった。

 だが、悪ふざけにしては、顔はこわばり、緊張しているのが伝わってくる。

 そこでふと彼女の父の仕事が何だったのかをふと思い出し、悪態をつきそうになった。

 彼女の父は、有名な大手企業のいわば基盤を支える人で、年に何回かは長期で海外に出張がある人だった。

 しかし、今日に至るまで、彼女とそのお母さんが一緒についていくなどという事態にはなってはいなかった今までは。

「今回は、長いんだって。大きなプロジェクトがどうとかで・・・」

「マジ、なのか?」

「マジみたい。だだからね・・・」

 そこで言葉が途切れ、俯く。

 だから、何のだろうか。紡ぎだされた言葉は続くことなく、夜も迫る暗闇へと飲み込まれ、消えていく。

 夕暮れの、夜が顔をのぞかせたこの時間は、まさに全てを奪い去ってしまうのではないかという幻覚にとらわれてしまうような、そんな感覚に襲われる。

 言葉もまた、消え去りそうだった。

「いつ、行くんだ」

 なんとか真也は一番重要な部分だけを聞かねば、そんな思いで聞くと。

「・・・・明日」

「え、いや待て。おかしいだろ? そんなすぐなんてあり得ないだろ。普通はこう、前もって・・・知ってたのかだいぶ前から」

 必死に現状を理解しようとして言葉を費やしていて気が付いた。そんなすぐに長期主張の話が決まるわけが無いと。

 という事は、千春は真也に今の今まで、直前になるまで黙っていたのだ。

「ご・・・めん、なさい」

 彼女は絞り出すようにそういうと、ついに耐え切れなくなったのか、突然走り出し、真也を置き去りにして、行ってしまった。

 残された真也は、ふざけるな! と、誰に言うでもなく悪態をつきながら、夕暮れの空を見上げていた。



 翌日早朝。

 真也は制服には着替えはしたが、学校に行く気などはなく、そのまま自宅の隣の一軒家に足を向けた。

 表札には佐藤の文字があり、早朝にもかかわらず、家の前にはトラックが止まっており、家の中では様々な人があれやこれやと忙しそうに動いていた。

「すみませ~ん」

 玄関まで行き、中に声をかけると、おじさんが、いそいそと姿を現した。

「おお、真也君。すまないねぇ、千春かな?」

「ええ、そうなんですが・・・・」

「うん? ま、まさかとは思うのだが、もしかして何も聞いてないとか?」

 真也の妙な反応を察したのか、おじさんは大変申し訳なさそうに、伺うような感じで聞いてきたので、言葉ではなく首を縦に振り。

「昨日、聞きました」

「げ。あのバカ娘。いざという時に意気地がない。誰に似たんだ」

「アナタですよ、お父さん。シー君、ごめんね、今首ねっこ捕まえてくるからちょっと待っててね」

「あ、春奈さん、え、あのぉ」

 話し声を聞きつけてきた、小柄な美人が顔を見せるなり、旦那を小突くと、すぐにそう言って奥へと消えて行った。

 小柄なのに力があり、小柄なのに怒らすと無茶苦茶怖いのが春奈さんで、おばさんなんて呼んだ日には、地獄を見るとても怖い人である。

「千里おじさんも、すみません・・・」

「いや、むしろ済まない。本当ならもっと早くに君には伝わっているはずで。そしたら・・・いや、ここからは君らの問題だからあまり言えないが、ともかく、すまない」

「あの、お仕事なんですから、そんなに誤らなくても」

「いや、そうはいかないよ。大人の都合で人一人の人生を同行していいう話は決してないし、娘にも選ぶ権利はある。でも保護者としてはどうしてもこうせざるおえない、という現実があって・・・」

「分かってます。おじさんが、子供にも人権があり、権利があるって。子供のころから耳に胼胝ができるぐらい聞かされていますから」

 この千里という人は実に変わった人で、世の中では子供は子供のまま、親のいう事に従ってればいい、という世間の感性とは違い、子供もまた一個人であり、自由にする権利がある、だからそれを親の都合や、大人の勝手な理屈や理由で、その自由を奪ってはいけない! と、常日頃から口酸っぱく言っていて、平塚家の親も、その理連に共感してなのか、基本的には真也が決めることなどには口出しせず、見守るのと、そのしりぬぐいを何も言わずに行ってくれていた。

「昔から君たちには、そういって育ってもらった。だからこそ、今回は私の至らなさで」

「あの、良いですから。仕事なら仕方ないんですし」

「ちなみに、どれぐらいか聞いてる?」

 不意にされた質問に、妙な不安を感じ、口を開くことができず、首を左右に振る。

 それを見た千里は眉間にしわを寄せ、両手で頭を抱えた。

「何してるんですかアナタ」

「何って、そら、自分のふがいなさに打ちひしがれていてただなぁ。聞いてないらしい、どれだけ向こうに行くのか」

「・・・・」

 千春を連れてくるといって消えた春奈さんが戻ってきたかと思えば、千春の姿は見当たらず、話に加わったのだが、千里の言葉を聞いた途端、その顔絵が阿弥陀如来様のごとくとんでもない怒りの、言っちゃえば怖い、の部類が尋常じゃない顔もなり。

「もうちょっと待っててねぇ」

 言うが早いか、すぐに姿を消し。

 すぐに、アンタ何やってんの! 地を震わすような怒声が家全体に響き渡り、家の中で作業をしていた業者さん含め全員が、身をびくりと震わせ、声のしたほうに視線を向けた。

 しばらくして、目を真っ赤に泣きはらした千春があらわし。

「決着つけないで戻ってきたら。分かるわね?二人とも」

「え、俺も・・・あ、はい。行ってきます」

 満面の笑みを向けてくる春奈に、言い知れぬ恐怖を覚え、真也は千春の手を取り、外に連れ出した。


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