海にはちょっとしたトラウマが……
ブレーク局さんのありがたい助力があって、座礁したヨット青年の危機がマリーナに伝わりました。あとは救助を待つだけになりました。遭難者が寂しかろうと会話をつなげていたら、ヨットへのご招待をいただいたわけですが、ちと困った事情がありました。
それは、私が四歳のとき海でおぼれた経験があることが原因です。しかもそれはボートの転覆でした。
ボート転覆といっても、海水浴場で私の父がロープで引っ張るゴムボートが大波を受けてひっくり返ったというだけのことですから、水辺ではまぁよくある小さな事故です。
ボートが転覆した瞬間、私は海中へ投げ出されました。そのシーンは今でもハッキリと覚えています。まず自分の足がヒラヒラと海中を頼りなく動いているのが見えました。そこそこ透明度がある海だったのでしょうね、海中を漂う四歳児の細い足にからみつくように緑や茶色の海藻、ワカメともなんともつかない藻が触れてくるのです。呼吸は転覆したときの恐怖で止めていたため、海水を飲むことはありませんでした。耳にはゴボゴボとくぐもった泡の音が聞こえてきます。
私は海中で何もできませんでした。水泳の知識もない幼児です。ただできたことは、空気をためた頬っぺたを膨らませて、自分の足と海藻を見つめていること、それとボートの縁にめぐらされたロープを両手で握りしめること、それだけです。
ロープを握っていたのが良かったんでしょう。息子の小さな手がロープをつかんでいることに気づいた父がゴムボートごと私を海中から引き揚げて……ことなきを得た。そんな事件です。
今ならPTSDとか上手い言葉で説明できるのでしょう。でも、そういう心理学用語が世間一般に広まる前の事件でしたので、うまく理由を納得してもらう言葉がみつかりません。
私:「いや、泳げないので遠慮します。どうぞ」
確かそんなことを言って断ったと記憶しています。遭難中の青年は「そうですか」と残念そうに言って諦めました。
そのとき私は少しばかり誤解をしていました。青年のヨットが小さい船だと頭から信じていたことです。親戚が持っているヨットがディンギーと呼ばれる、小さな船だったので、そのイメージがあったからです。
後日、お礼の手紙をいただいたのですが、写真に写っているヨットはキャビンを備えた立派な船でした。海洋を帆走するわけですから、ディンギーじゃないですね。その写真を見て、この船なら転覆しそうにないし、快適な帆走がたのしめそう。断ってしまって失敗したかなと軽く後悔したものです。
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