オンザロックと言われても

 その時の会話を記憶に頼って再現してみます。


私:「□□1□□□、シグナル59ファイブ・ナインです。どうぞ」

相手局:「〇〇1〇〇〇ポータブル1、こちらからも59です。ところで、ちょっと困ったことになってまして。どうぞ」


 困ったこと? 交信でそんなことを言われたのは初めてでした。なんだろう、いちゃもんでも付けられるのだろうか。不安に思いつつ交信を続けました。


私:「どうされましたか。どうぞ」

相手局:「いまヨットに乗っているんですけど、オンザロックしました。どうぞ」


 オンザロック? 私の頭の中に氷を浮かべたウィスキーグラスが想起されました。ですが、ヨットで困ったこと、しかも岩と言えば考えられるトラブルは座礁でしょうか。


私:「□□1□□□、座礁したということでしょうか。どうぞ」

相手局:「そうです。〇〇沖でオンザロック、△△マリーナへ救助要請してもらえないでしょうか。どうぞ」


 ヨットの青年はオンザロックという表現が好きみたいで、一向に座礁という単語を使いません。しかし、マリーナへ救助要請とはどんな事態なんでしょう。まったく船舶事情に疎いのですが、警察とか海上保安庁とかしかるべき機関へ通報しなくて良いのでしょうか。本来であれば、非常通信の宣言をすべきレベルの事態ですが、オンザロックという不思議な言葉とマリーナへの連絡ということで、私は非常通信の宣言をためらいました。


 また当時は携帯電話が普及する前のことです。人里離れた場所をあえて求めて移動運用しているわけですから、公衆電話もありません。


私:「事情は了解しました。ただ、ここは辺鄙な山の上で近くに電話がないんです。ところでバッテリーの残量は大丈夫でしょうか。どうぞ」


 私はヨットの青年が電池容量の少ないハンディ機を使っている可能性を恐れたのです。電源を喪失した無線機はタダの箱となり、救助の手がかりを失ってしまいますから。


相手局:「そうですかぁ、電話までどれくらいありますか? どうぞ」


 あせる私の問いをスルーして、青年はバッテリーのことを教えてくれません。


私:「2時間ほど山を降りたところにあったと思います。それよりバッテリー、バッテリーは大丈夫ですか? どうぞ」

相手局:「ヨットだから大丈夫です、大きなバッテリーを積んでます。どうぞ」


 なるほどそれなら安心です。このまま交信を続けても問題ないことが確認できました。となると、私が出来ることは何でしょう、時間をかけて山を降りて電話をかけることだと決心したところへ「ブレイク」という声が入りました。「ブレイク」というは、交信中の局に対する割り込み要請です。会話に参加したいときや交信中の電波が他局の邪魔をしているときに使われます。


私:「ブレイクさん、どうぞ」

ブレイク局:「〇〇1〇〇〇ポータブル1、先ほど交信した△△1△△△です。いま公衆電話の横にクルマを止めています、代わりに連絡しましょうか。どうぞ」


 それは、まさに天からの助けの声でした。

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