第8話



 戦いには向かないやつというものは常にいて、俺はそれが悪いことだとは思わない。

 自分に戦闘センスがあるとも思わないし、苦手なことがあるなら得意なこともある。

 現実はどうあれ、俺はそう思っている。



 そのトカゲは、空腹で行き倒れたにしても、みっともなくジタバタと荒野を這いずり回って、ひいひい言いながら、せっかく両手の爪があるというのにろくに使おうともせず、成体のクマに鼻面で小突かれて遊ばれていた。

 なんでこんな目に、と喚いているのがどこか滑稽で俺は助けずに眺めていようかと思ったが、レザントが睨んできたのでしぶしぶ剣を掴んだ。

 こういうとき、俺の相棒は根っこの正義感が出て困る。

 人生は楽しまないと。

 だろ?



 トカゲの獣脚の踏み込みは人間のそれと比較にならない。

 強く前進するための骨格構造だからだ。

 しかし俺はそれを全力では使わず、軽くステップするに留めた。クマが俺を見る余裕があるくらいに。


 クマの目を見るのが俺は好きだ。何を考えているのかわかる。

 いま、このクマは、俺の同族であるトカゲを嬲っていたところを見られた気まずさと、新しいトカゲも同じようにオモチャにできるかどうかと、それからそろそろ潮時で転ばせたトカゲを肉として諦めるか確保するかはともかく撤退に踏み切るべきか、いろんなことを考えていた。獣の眼球のヌメリの中に、その震えが浮かんでいた。

 そして同時に殺気もなく近づいてきたトカゲに対して、なめたい、侮りたいという感情が強く発酵し始めていた。

 気持ちはわかる。何も間違っていない。

 だから、俺のセカンドステップ、本気の踏み込みで接近された時にそのクマは瞬間的な反応ができなかった。

 俺の殺意に気づいた時にはもう、刀匠タカマツ仕込みの刀身がクマのアバラの隙間から心臓の血管を掠めていた。

 切断する必要はない。心臓の循環系統さえ破壊してしまえば生存不能。

 それでも残った酸素と運動エネルギーでクマは雄叫びを上げながら俺の側頭部を破壊しようと掌底を横薙ぎに振り下ろしてきたが、俺と同様に一瞬で接近してきたレザントの居合抜き(鞘なんかないけど)で、その腕を斬り飛ばされてすべてのカードを喪失した。

 巨体数百キロの重量が大地に地響きを鳴らしながら沈み、その濁った目が俺を見上げていた。


『侮らなければよかった』


 そう後悔しながら、その獣は死んでいった。

 別にその目を閉じてやったりはしない。

 コイツもバラして人間の食料と、俺たち向きの防寒具にするだけだ。

 トカゲは冷血なんでね。


「ひ、ひ、ひっ……」

「おい、大丈夫か? 大変な目に遭ったなァ」

「た、助かった……のか」


 小突かれていたトカゲは小柄だった。

 俺が上から覆い被さったらすっぽりと収まってしまいそうだ。

 だが、立ち上がってみると、意外と俺の胸元あたりまでの背丈はあった。恐怖にあまり縮み上がっていたので、小さく見えたらしい。


「あ、あんたら……そうか、人間の刀鍛冶と組んで、獣狩りをしてるトカゲってのはあんたらのことか」

「別に珍しくもない。最近のトレンドだぜ」

「それより、ありがとうはどうした」とレザントは礼儀に厳しい。小柄なトカゲは慌てて頭を下げてきた。


「そ、そうだったな。ありがとよ、おかげで生肉にならずに済んだぜ」

「いいってことよ。俺はギグロマ、この愛想が悪いのがレザント。自分たちでつけたんだ。あんた、名前はあるのか?」

「榎本コウイチローだ」

「ああ、なるほど。人間だった頃の名前か。あんたもいきなり、この世界でトカゲになったのか?」

「みんなそうだろ。最初からトカゲだったやつなんかいない。みんな令和の日本から飛ばされてきてる。俺の知ってる限りじゃ、全員な。あんたら、人間だった頃の記憶は?」

「忘れた」とレザント。俺も思い出したくはないから、肩をすくめるだけにした。

「それより、なんでこんなところうろついてたんだ。このあたりにヒートスポットなんてあるのか?」

「いや、逆だ」


 コウイチローは自分の背後、ささくれた岩盤がうねる丘陵を見やった。


「俺はコールドスポットに行きてえんだ」


 ○


 俺が作った携帯食に、コウイチローは目の色を変えて食いついていた。いろいろ味変でハーブを足したり引いたりして研究していたが、そうか、俺の作る食糧は美味いのか、とそこで初めて実感した。レザントは食えればいいという作りがいのないやつだし(その割によく食べる)、俺自身もあまり味というものに感動しない性質ではあったから、俺は自分が作った携帯食への自信をこんなところでつけることになった。


「なんだこれ、うめぇ。まるでマックのハンバーガーだ」

「わかるよ。おまえも家に帰ったらハンバーガーがご馳走だったんだろ? 料理の嫌いな母親を持つと苦労するよな。ちなみにそれは岩棚の陰に巣を作る青い鳥の卵を混ぜてある」

「げ、有精卵か?」

「粉微塵にして混ぜちまえばタンパク質さ。俺たちは草食だが、卵には植物の繊維と果実の粒子のツナギの役割もある。代謝が上がって、ヒートスポット探しに重宝するぜ」

「なにからなにまですまねぇな。俺も非常食で干し草と木の実くらいは持ってきてたんだが、途中で補給すればいいやと思っていたらぜんぜん生えてなくてな……」

「それで腹減ってあんなクマに追いかけ回されてたのか」

「まあ、そんなところだ」


 俺は防寒着に縫いつけてあるポーチポケットから携行粒食(キブル)を取り出してさらにコウイチローに喰わせてやろうとしたが、レザントに「おまえ全部くれてやる気か?」と睨まれたのでやめておいた。コウイチローは物欲しそうにしていたが、レザントの蛇眼を見て、開きかけた口を閉じた。

 代わりにレザントが、さて、と口を開いた。


「タネを明かせ」

「は?」

「メシも途中補給で済ませようとしていたってことは、長距離を行動しようとしていたんだろ。防寒着だってそのへんの雑種の毛皮、俺たちのより品質が悪い。

 まさか、ヒートスポットのアテもなく動いてたわけじゃないだろう。俺たちトカゲは低温じゃ生きられねぇんだ。

 メシはともかく、おまえは熱源に関しては困らない自信があって動いていた。違うか」


 トカゲにしては感情豊かなコウイチローが初めて無表情になった。俺たちをそれぞれじっと見ている。何か考えているようだ。

 クマの目を見れば気持ちなんかすぐわかるのに、トカゲの目はいくら見つめても夜の闇のように深いだけだった。

 やがて、決断を下したのか、ほっと息を抜き、コウイチローは背中に背負っていたバックパックを地面に下ろして中に手を突っ込んだ。トカゲ流の三本指と長い爪を使って箸のように目当てのものを摘まみとるやり方だ。コイツもトカゲになってから、だいぶ長い時間が経っているのだろう。


「トカゲにならなかったやつも結構いるんだ。実はそいつらから……」

「早く言え早く出せ」

「うう……」


 コウイチローは、水筒のような金属の筒を取り出した。上部にホースが接続されており、その先端にはレバーノズルがついている。俺は何かに似ていると思って少し考えた。

 消火器だ。


「バーナーか」とレザントは飲み込みが早かった。コウイチローが頷く。

「この世界にガソリンはない。ただ、トカゲが立ち入れないコールドスポットには液化した燃料があるんだ。常温だと気化しちまうがな。で、元人間で、かつこっちの世界でも人間のやつらなら、そこにいける。刀匠のタカマツを知ってるなら、言ってなかったか? 液体燃料ならあるって。あいつも元は俺たちと同じ世界から来たらしいぜ」

「これで適当なものを燃やせば熱源になるってことか。まわりに何もなかったらどうするんだ?」

「それでも噴射炎くらいは出る。自分の糞でも燃やすさ」

「湿ってんだろそんなの?」

「うるせえぞギグロマ。糞の話なんかあとでしろ」


 レザントは、コウイチローが取り出したバーナーをじっと見つめながら身を乗り出した。


「こんなもん、人間がそんなに簡単に手放すのか。連中だってこの世界で生きていくのは必死だろ」

「俺は……情報を売ってる。それと交換で燃料を買ってる」


 なぜかコウイチローは恥じているかのように顔を背けた。


「ヒートスポットの情報も、人間には不要に思えても、死にかけのトカゲにチラつかせれば取引のカードになる。俺はあっちこっち飛び回って、いろいろ調べてる。……それぐらいしかこの世界でやれることがないからな」

「で、そんなおまえがわざわざリスクを犯してまで、危険なコールドスポットに行こうとしてたわけだ」


 レザントは口角を長く細く歪めた。笑っているつもりらしいが、獲物を見つけて舌なめずりしている恐竜にしか見えない。


「言え。おまえは何を探してる?」


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