第5話



「気に入らねぇな。まったくもって気に入らねぇ」


 レザントはご機嫌斜めだった。

 せっかく助かったのに、という感覚はコイツにはない。

 そして、俺にもない。


 死ぬはずだったところを、たまたま誰かが『熱』を置いていってくれたおかげで、助かった。

 嬉しいとか、生きててよかった、という喜びよりも、不自然だし、大した金も払っていないのに身分相応な贈り物を貰った時のような、釈然としない気分がある。

 居心地が悪いというか。

 死ぬ覚悟をしていたのに、いい終わりだったと思ってもよかったのに、それを邪魔された不服もある。

 命をもらっておいて、この言い様なんだから、俺たちもよほど屈折している。

 だが、生きるということが、より大きな苦しみにぶつかるだけだという信念があるやつにとっては、生きてりゃご満足だろうなんて態度はカンに触って仕方が無い。確かにレザントの言うとおりだ。

 気に入らねぇや。


「神様かな。こういうことをするバカには心当たりがある」

「おまえのそういう涜神論は嫌いじゃないが、どうもそんなロマンチックじゃないみたいだぜ」

「というと?」

「タイヤの跡がある」


 レザントの悪夢のような九本指、その足平が掴む地面に、確かに車両のものと思われる轍が残っていた。俺は刑事のようにそのそばにしゃがんだ。


「何か持ってきたのか? ヒーターみたいなものを。あるいは車の排気ガスか」

「排気ガスも200℃以上になるからな。俺たちを暖めるには充分だが、それにしちゃあ俺たちにも周囲にも煤が残ってない。それに、いったいなにがどうして悲しくて、トカゲを排ガスで暖めたりする? そもそも、俺たちが見つけた人間に関して言えば、とても車両を作れるような文明じゃなかったぜ」

「どこかにもっと発展した共同体でもあるのかもな」

「その説はあり得る」


 レザントは俺の意見をすぐに否定したりはしない。


「わからねぇな。俺たちを暖めて何か意味があるのか? どんなメリットがある?」

「あるとすれば、そいつらもよくわかってなかったんじゃねぇか?」と俺。

「何を?」

「やつらが、まあ単独行動かもしれないが、そいつらが俺たちが『暖まるかどうか』わからなかったってのはどうだ。それの正体がヒーターだったにせよ、排ガスだったにせよ、そいつにはそれを使ってみるとどうなるかわからなかった、とか」


 外したかな、と思った。レザントはトカゲ面でもわかるほどの無表情で黙り込んだ。俺はこういう沈黙が苦手だ。合ってるなら合ってる、間違ってるなら間違ってる。はっきりとした答えが欲しい。絶対的で疑心暗鬼に陥らなくても済む安心確実な答え。

 そんなものはないにしても。


「たとえば、なんだ。使ってみて、それがどうなるかわからないから、寝こけている俺たちで試した。……何を?」

「さあ。それはわからねぇ。おまえが考えてくれ」

「いや、おまえが考えろ」


 レザントはいやに強気だった。怒らせたのかと思ったほどだった。


「おまえが思いついたんだから、おまえが最後まで考えろ、ギグロマ」

「そういうのは、苦手なんだがな……おまえのほうが上手だよ、レザント」

「人を褒めて逃げを打つな。おまえのそういうところは嫌いだ」

「う……」


 痛いところを突く。確かに俺は、そういうところが臆病なんだ。

 褒めてりゃいいんだろう、なんていうのは、生きてりゃいいんだろう、と同じくらい、鈍磨しきった阿呆の考えだ。確かに。


「そうは言ってもな……まあ、もしヒーターだったら、俺たちで試す前に自分で使ってみて、効果がわかるだろう」

「そう。そうだろう。たまたま俺たちで最初に試した、という可能性もあるが、普通は何もないところで試してみる。もしくは、何もないところでは使えないとか」

「俺たちに使う時だけスイッチが入る、とか?」

「それなら使ったやつは俺たちから離れていかない。俺たちを便利な道具として回収したはずだ。まあ、トカゲがいったいどんなスイッチになるかわからんがな」

「つまり、そのヒーター野郎は、『効果を確かめた後で、俺たちから離れた』。……使い方を理解したから?」

「ああ。満足したんだ。使い方がわからなかったものを、使ってみて……」

「何かの機械か」

「かもな。車で運んできて、俺たちに使ったのか。それともその機械そのものに自走能力があるのか。タンクローリーみたいに」

「熱を運んでいたローリーだったのかもな。試しに熱を捨ててみたとか」


 あるわけないか、そんなもの。

 そう思って次の案を考えようとしたとき、ぼそっとレザントが呟いた。


「ヒートポンプか」

「ヒートポンプ? なんだそれ」

「エアコンだよ」


 レザントは記憶の中にある知識を言語化する時の、再生機械のように虚ろな目をした。


「外気の熱を吸収して部屋の中に送風すれば暖房。逆に室内の熱気を吸って屋外に捨てれば冷房」

「ああ、エアコンってそういう仕組みなのか」

「たぶんな。俺だって神様でもなけりゃ専門家でもない。適当言っても文句いうなよ」

「それならそれでいいじゃねぇか。ただの思考実験なんだから」

「思考実験ね……」


 レザントは顎の下の肉を指先で爪弾いた。鋭利な爪でそんなことをすれば、血でも吹き出しそうでひやひやする。


「しかし、冬眠してる俺たちを起こすには、それこそ排ガス級の熱が必要だったはずだ。ただの日射光なら、ここにも多少は注いでるんだからな」

「そんなハイパワーなエアコンなんて存在するのか?」

「さあな。あるとしたら、相当な電力、あるいは燃料が必要なはずだ」


 俺は周囲を見渡した。誰かが癇癪を起こして全て破壊されてしまった後のような、空虚な砂漠を。


「この荒廃した世界で、そんなものあるのか?」

「少なくとも、この荒れ地を走破しやすいタイヤは開発されてるな」

「じゃ、その走るエアコン屋さんが、冬眠したトカゲを助けて回ってるって?」

「それはない」


 レザントは、まるで相手のことを知っているかのようにニヤリと笑った。

 いつかどこかで、同じような笑い方をしたやつを見た気がした。


「もし俺たちを助けるつもりなら、こんな寒々しい場所に捨て置くか? このまま次のホットスポットを見つけられなきゃ、俺たちはまたオネンネだぜ」

「ああ、そうだった」


 よくよく考えれば、俺たちは冬眠から覚めた場所で、一歩も動かずうだうだと議論を重ねていたのだった。その間にも、血のような熱が大気に吸われて身体が冷えていくのに。

 俺は笑った。なぜか愉快だった。


「バカには難しいや」

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