第4話
トカゲは乾燥に強い。
多少の湿気は皮膚から吸収して、その熱量さえも利用できる。特に夜は冷える代わりに湿度が上がるから、風に任せて立ちすくむだけでもいくらかマシだった。
だから、手遅れだと気づくのが遅れたのだ。
ホットスポットが見当たらず、どの方角に進んでも何もなく、笑いさえ出てきたところで、俺たちにはもう、歩き続けるだけのエネルギーすら無くなっていた。
真紅の『怒りの空』から降り注ぐ黒っぽい太陽光は分厚い雲にたっぷりと減衰を喰らって、とても熱を運べるような力を残してはいなかった。そんな幽かな熱射は、冷え切った大気が俺たちの皮膚より先に熱を奪い去っていってしまった後だ。
俺が最初に膝を着いた。足首から重要な骨を一つ引き抜かれたように力が入らなくなる。
それきり立ち上がれなくなった。
それに気づいたレザントが振り返る。
レザントは虹色のトカゲの目で俺を見ていたが、やがて自分もその場に座り込んだ。そして自分の掌を見た。九本の指を何度も開閉する。
「参ったな。ここまでか」
「みたいだな」
「いつの間にこんなに消耗していたんだ?」
「わからん。まあ、干し草かじってたのも何日か前だしな」
レザントは手のひらを伸ばし、地面を爪で引っ掻こうとしたが、その程度の力で俺たちの巨体が動くわけがなかった。人間の大人と並んでも、トカゲ人間は軽車両のように大きい。小柄な男なら、俺たちの腹をかっさばいてしまえば、すっぽり中に入れるだろう。その肉体、筋肉と脂肪と強靭な骨格を持ってしても、この消耗状態では這いずることすらできなかった。
「死ぬみたいだな」
「他人事みたいだな、ギグロマ」
「そりゃそうだろう」
俺はなんとか、あぐらをかいて格好つけるフリだけはしてみせる。
「もともと、どうしてトカゲなんかになったのか、この世界でどうすりゃいいのかもわからなかったんだ。こんな、ちょっと寒いだけで死ぬカラダで、どうにかなるわけがなかったんだ」
「死ぬとも決まってないがな」
「そうなのか? 助けのアテでもあるのかよ」
「そんなのない。ただ、トカゲなら、死ぬより前に冬眠するだろうと推測はできる」
「冬眠か。それ、どれぐらい長く保つんだろうな」
「知らねぇ」
「運よく冬眠できたとして、その間に、ここがホットスポットになる確率はどれくらいだ?」
「俺は確率なんて考え方は嫌いだ。いつだって裏目を引くのが、俺なんだ」
「気持ちはわかるよ」
確かに、ツイてなかった。今までの旅――というには、殺風景すぎたが――でも、ホットスポットは少し探せば見つかった。それがここまで見つからず、探索の方向を外し続けたというのは、不運というよりほかはない。
「ギグロマ、苦しいか」
「いや、べつに。おまえは?」
「俺も苦しくない。いよいよ死ぬっていうのに」
「普通の人間なら、凍死する前にブルブル震えて死んでいくんだろうが、どうもこのカラダは寒いというのは感じても、辛いとは思わないらしい。かなりダルイくらいの気分で、死ねそうだ」
「それも悪くないかもな。人間だった時は、肉体の信号のせいで、生きろ生きろとうるさかったが、このカラダなら水に顔をつける程度の覚悟で眠れる気がする」
「そう考えると、永遠にホットスポットを探し続けるより、こんな道端で歩くのをやめるだけで終われるんだから、気楽なもんだ」
「そうだな……」
レザントはまた、難しいことを考えている顔をしていた。トカゲの無表情も、同類ならば見分けがつく。
「なあ。俺たちはここで死ぬ。だが、仮に生き延びたとしたら、どうしたい?」
「そうだなあ……」
ここで何か、気の利いたセリフとか、温めていた考えとか、そういうものをレザントは聞きたかったのかもしれない。
だが、俺の三十年の人生を振り返ってみて、人間だった頃も、トカゲになってからも、俺にはやりたいことも、行きたい場所も、何もなかった。
だから俺は、笑うしかなかった。
「俺にはなにもない。だから、起きてもまだおまえがいたら、おまえについていく」
「感動的なセリフに聞こえるが、もし生き延びたら、俺はおまえにはもっとしっかり自分を持って欲しいと思うよ」
「なぜ?」
「誰かの人生を背負えるほど、俺は大した人間じゃない」
「別に構わんぜ。俺が勝手についていくだけだ。自惚れるなよ。もっと気楽に、俺の人生を滅茶苦茶にしてくれよ」
「……簡単に、言ってくれるな」
レザントはそれきり何も言わなかった。目すら閉じていた。だから、俺もそれにならった。
死ぬのは怖くなかった。
痛みも苦しみもなかった。
ゆっくりと感覚が散っていって、手のひらを握り締めることもできなくなっていくのを味わう。
いつでも簡単に死ねるのに、それでも生きるというのなら。
確かに俺には、理由が必要なのかもしれなかった。
○
もったいぶった言い方は好きじゃない。
結論から言えば、俺とレザントは助かった。
だが、運よく俺たちが眠りに落ちた場所がホットスポットになったわけじゃない。
目覚めた時、気温は確実に氷点下だった。なのに、俺たちの筋肉には充分な熱が補充されていた。
あとからレザントに、目覚めた瞬間のことをよく思い出せと何度も言われたが、俺は何も思い出せなかった。
ただ、冬眠から解凍された直後で、栄養が渡っていない眼球がくれたボヤけた視界の中、何か影のようなものを見た気がする。
荒野の向こうに消えていく、とても大きな影。
それがなんだったのかは、わからない。
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