第3話


 死体の傷跡に、レザントは自分の爪を寄せた。


 内側から肉が炸裂したようなその一筋は、レザントの爪の幅に吸い込まれるように一致した。顔を真っ二つに引き裂いたその一撃は、おそらくこの人間に苦痛と恐怖をもたらした。その痕跡がくっきりとあるし、腹部への一発こそ致命傷だったとわかる。内臓が引きずり出されている。

 レザントはゴミのような死体をゴミのように荒れ地に放り捨てた。元・人間とはいえ、かつての同族に特別な憐憫があるわけじゃないらしい。俺もそうだが、コイツも別に善人じゃない。冷血なトカゲなのだ。


「俺たち以外に、トカゲがいるらしい」

「そうらしいな。それにしてもひどい。あたり一面、血の海だ。集落だったみたいだな」

「この世界でも、人間は群れないと生きていけないらしいな」


 吐き捨てたレザントには、ありありとヒトに対する憎しみが透けていた。これだけの憎悪の表情を浮かばせられる感情があるなら、レザントがこの集落の大量虐殺をやったとしても別段におかしくはない。だが、コイツは俺とずっと一緒にいた。


「群れたところで、俺たちには勝てない。文明も、石器時代程度みたいだな」

「ああ。それにしても、コイツらなんで殺されたんだろうな」


 俺は手持ちの干し草をかじった。


「トカゲは肉を食わない。俺たち自身も驚きだが、このカラダは『草食』だ。どの死体も、喰い殺されたような形跡がない。それに、ここはホットスポットじゃない……俺たちには寒すぎる。ヒトにとってはそうでもないみたいだが。みんな薄着だ」

「見りゃわかる。遊んでる」


 レザントは男の死体の下半身を爪先で蹴飛ばした。それだけで死体は風に揺られた花びらのように跳ねて転がっていった。子供用の人形みたいだ。


「昔、俺の親父が、テレビゲームをしてた」

「へぇ、どんな?」

「銃で敵兵を殺すゲームだ。流行ってただろ。親父はいつも、敵兵の股間ばかり狙って撃ってた。悶えて死ぬ様を見るのが楽しかったらしい。これをやったやつらも、俺の親父と一緒だ」


 レザントの言うとおり、どの死体も、男はペニスを、女は胸を引き千切られていた。子供でも容赦なしだ。

 吐き気は覚えなかった。だが、背筋が少し冷たくなった。それが快感なのか恐怖なのか、俺にはよくわからなかった。


「ひどいな」

「さあ、ひどいかどうかはわからない。こいつらだって、立場が逆転すれば、俺たちトカゲをオモチャにして殺していたかもしれないしな。猿なんぞ信用できるか」


 だが、とレザントは言葉を継いだ。


「これをやったやつらは楽しんでいた。それだけは間違いない。優位な立場に立って、絶対に負けない勝負をゆっくりと風呂にでも入るみたいな気持ちで味わい尽くしてから、立ち去ったんだ」

「血がまだ温(ぬく)い。ここからそう遠くには行ってないな。やるか?」


 レザントが俺を驚いたように見る。


「おまえ、そんな義とか情とかで動くのか」

「さあ。そうした方がいいのかと思って」

「少しは自分で考えろ」


 レザントは不愉快そうだった。俺はいつも、自分ではそんなつもりがないのに、誰かを怒らせる。


「これをやったのは一人じゃない。でなけりゃ、こんなに集落まるごと皆殺しになんて出来るか。いくらなんでも殺し損ねた生き残りがいたり、途中で飽きたりして立ち去ったはずだ。少なく見積もっても、これは五人以上で殺ってる」

「追いかけて見つければ、その答え合わせができるな」

「たった二人で勝てると思うか。俺たちはまだ、このカラダにすら慣れ切っていないんだぞ」


 その真剣な眼差しと問いかけは、どうも俺にはピンボケして見えた。

 勝てるかどうかと、追いかけるかどうかが、俺の中では上手く繋がらない。

 その戸惑いを察したのか、レザントは諦めたように首を振った。そして言った。


「俺たちが来た方角には戻れない。ホットスポットがないからな。だから、それ以外の方角、三方のどれかに進む。連中に遭遇しないよう祈りながら」

「そうするか。よし、人間どもの倉庫から、食える野菜でも残ってないか探してくる」

「それと、防寒具があったらかっぱらおう。ここはやはり寒い。連中に出くわす前に、ホットスポットを見つけ損なって、冬眠しちまうほうがありえる」

「ああ、どうもこいつら、獣の狩猟はやってたらしいな。あの死体が良さそうな革を着てる。貰ってくか」

「トカゲの革じゃないといいがな」

「困るのか? まあ、クマの毛皮のほうが暖かそうだ」


 レザントはまた俺を困ったように見て、いつものようにため息をついた。

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