第2話


 自分のことをレザントと呼ぶことにする、とレザントが言い出した。


 その頃、俺たちは洞窟の中で焚き火をして、ホットスポットにしていた。

 硬質な爪で石を素早く引っ掻くだけで、簡単に火が点いた。だがそれも所詮は燃料が尽きるまでのかりそめの安らぎでしかない。

 熱はいつだって足りない。肉体はどんどん冷えていく。

 俺はもうそのときには、ギグロマという名前をレザントからもらっていた。だから聞いた。


「レザントか。語源はなんだ? レザーとギガントを組み合わせているのか、それともレ・ザントで何かを反復するって意味なのか?」

「意味なんかない。音で決めた。なんにでも意味があると思うな」


 この、偶然出会ったばかりのトカゲ人間は、いつも口が悪かった。だが、どうしてか、俺はそれをあまり不愉快には感じない。


「意味がないのはいいが、それだと俺は忘れるぜ。なにか語源があれば覚えやすい。たとえばサイヤ人ならナッパとかな」

「別に忘れたっていいじゃねぇか。俺がレガントだろうがリバントだろうが、大して違わない。それに、そうやって意味とか由来を求めて名前をつけ続けるとどうなるか知ってるか」

「知らん。どうなる?」

「ジョン・ジュニアが誕生する」


 ふむ、と俺は思った。やっぱり、こいつの言ってることはよくわからない。


「なんでそうなる?」

「何かいわくがなければ落ち着かないんだろ。そのうちネタがなくなる。そうしてたとえばジョンだらけになって、ジョン・ジュニアとか、ジョン・シニアが生まれる。

 そんなの番号と何が違う?

 ジョン02とか、そういうパスワードとノリが全然変わらねぇじゃねぇか。

 かぶるだけならまだいい。ジョン34932とか、ジョン・ジュニア・ジュニア・シニア・ジュニアとか、そんなんになってもまだ自分の名前に由来が欲しいか? 由来には限りがあるが、音の組み合わせにはまだ多少のゆとりがある」

「なるほど。だから、たとえ呼び間違われたり、覚えにくかったとしても、『オリジナル』の名前のほうがいいってことか」


 炎はレザントのトカゲ面を煌々と照らしていた。レザントはいつも憂鬱そうだった。猫みたいに細い目が、炎をひたすら睨んでいる。


「野菜の名前をつけ終わったから、もう新しいサイヤ人は出ませんとか、今度はかつて絶滅した野菜から名前を取りますとか、それも必ずしも悪いことじゃないのかもしれんが、俺には窮屈だね」

「ふうん。ま、わかった。それなら俺のギグロマっていうのも、音だけで決めたのか」

「ああ。強いて言うなら、おまえは『ギ』って感じの頑固さと、『マ』って感じの甘さが混ざっているような気がしたから、そうつけた」

「炎と氷みたいなもんか」

「おまえは俺をおかしなやつだと思っているのかもしれないが、俺からしたらおまえのほうがよっぽど妙なやつだよ」


 そう言われる筋合いなんぞなかったが、レザントが言うなら正しいのかもしれない。こいつはいつも、あっさりと本質を掴み取る。


「ま、いいや。とりあえず、これでレガント&ギグロナ・ブラザーズの完成だ」

「いちいち否定しないが、間違ってる」

「否定してるじゃねぇか」

「指摘だよ。責めてない」


 レザントは洞窟の壁に、乾燥しきった革の背中を押し当てた。


「こんな世界で、正しいもクソもあるか。悩むだけ時間の無駄だ」

「そうだな。間違ってるといえば、俺たちの指の数だってそうだ」


 俺は焚き火の前に手をかざした。その指の本数は、人間のそれとは違っている。

 左右で十八本。手足ともにそう。

 人間の頃とは感覚が違うが、違和感や不気味さはほとんどなかった。むしろ多少の便利さを感じる。PCに繋ぐマウスで、ゲーミング用のものは追加ボタンが横についているものがあるが、あれを使っている時に近い。

「なんだ、これがあった方が便利じゃん」くらいにしか思わない。

 だが、レザントは違うらしい。どこか忌々しそうに自分の片手、九本の指を見る。


「俺に言わせてもらえば、必ずしも指が増えりゃ便利で進化してよかったとは思いにくい」

「へえ、なんで?」

「指はもともと細いし関節も多い。そういうものは、故障しやすい。そりゃ切り離せるとかなら別だぜ。だが、いまこの指のどれかが骨折したとして」

「痛い話はやめてくれよ……」

「痛いって話をしてるんだよ。普通に考えて、俺たちはトカゲになったが、痛覚まで消えたわけじゃない。指が増えて故障しやすくなったぶん、痛みでうまく動けない――そういう可能性が、指が多ければ多いほど増加するわけだ。そういうデメリットを、たぶんこの身体は『わかった上で』指を多くする、という進化をしたんだと思う」

「さすが、人間だった頃は機械屋だっただけはあるな。そういうノウハウからの知見ってやつか?」

「別に」


 レザントは人間だった頃を思い出すのが、あまり好きじゃなさそうだった。


「ただ複雑な仕組みは、一つの工程が止まっただけで機能しなくなる。指だって複雑な仕組みだ。大腿骨みたいに太くて固ければいいってものじゃない。単純な仕組みではカバーできないものだから、複雑化していく。それがいいとか悪いとかは別にして」

「ふうん。面白いな」

「俺が生きていた頃は、俺の言うことを面白いなんて言うやつはいなかったよ」

「なら気にするな。俺がいる」

「そうだな」


 レザントはため息をついた。


「そうかもしれねぇな」



 じきに焚き火は燃え尽きる。

 俺たちはまた、ホットスポットを探さなきゃならない。

 安心して、落ち着けて、

 死なずに済むどこかに。



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