第309話【SIDE:陽平】

 ――ピリリリ!

 

 カーテンを引いたままの薄暗い部屋に、スマホの着信音が鳴り響く。鋭利な音が煩くて、俺はそいつを遠くへ押しのけた。

 

「……うっせえな……クソッ」

 

 悪態を吐き、グラスに注いだ酒を呷る。――強い酒に、喉がカッと焼けた。俺はひと息に飲み干して、またすぐに酒瓶を傾ける。しかし、

 

「……チッ、空かよ」

 

 忌々しい気分で、呻く。床に空瓶を放り出せば、すでに転がっていた瓶とぶつかり、ゴツンと鈍い音を立てた。

 

「酒……」

 

 俺はふらりと立ち上がった。

 廊下にある、酒のストックを取りに行く為だった。しかし、たっぷりあったはずの酒瓶は、ごっそりと無くなっている。

 

「……さすがに、飲み過ぎたか」

 

 なにせ、ずっと家に籠ってこんなことをしてるからな。

 野江の家を襲撃し、親父に謹慎を言い渡されて――一歩も家から出てねえ。家にあるものを食い、酒を飲んで寝る。太陽以外、何一つ動かない日々を過ごしていた。

 家の中にはゴミと、酒の臭いが充満している。

 

「……あほくせぇ」

 

 自嘲で唇が歪んだ。ラスト一本を掴み上げると、瓶の中でちゃぷんと重い音が鳴る。

 

 ――……成己が買い置いてた酒も、これで最後か。

 

 ふと考えてしまい、カッとなる。

 

「……あんな奴のこと、どうでもいいだろうが! あんな、裏切り者……!」

 

 儚げな面影を浮かべ、罵倒する。酒の空き箱を蹴り飛ばし、グシャリと踏み潰してやった。

 あいつは。成己は……何も知らねえって顔して。まめまめしく、俺に尽くしておいて……あの野郎と!

 

 ダン!

 

 高く振り上げた拳を、壁に叩きつける。

 衝撃が肩にまで響いたが、痛みは感じなかった。感覚を紛らわせるよう、酒を飲み続けていたのだから、当然だ。

 

「……クソッ!」

 

 けれど、心は駄目だった。

 成己を思い出すだけで、胸が焼け焦げる。苦しくて、気分が最悪で……どれだけ酒を飲んだところで、意味は無かった。

 俺は、酒瓶の口を開け、がぶがぶと呷る。

 

「……っは」

 

 くらり、と視界がまわる。

 

「はあっ……」

 

 床に尻もちを搗き、俺は熱い息を吐いた。

 淡い面影に取りつく、黒い人影が脳裏を過る。――ひどい焦燥に駆られ、髪を掻き回した。

 

「成己。お前は……俺のものだろう……!?」

 

 

 

 

 


 

 

 ――ときを、少し遡る。

 

「ふあ……」

 

 フローリングの上に伸びて、欠伸をする。すでに八月下旬、夏季休暇ももう終わるというのに、

 

 ――暇だ。まあ、親に謝りに回らせといて、言うことじゃねえけどな……

 

 とっくに成己以外には、謝りつくしてしまった。父は、晶の親父や椹木と話し合いをしているらしいが、俺は連れて行って貰っていない。

 だから、やることがない。

 何せ夏休みだってのに、去年と打って変わって誰の誘いも無えから。そうなると、本当に勉強するしかなくて、後期の予習もとっくに終わっちまった。

  

『陽平、陽平。映画でも、見いひん?』

 

 今までなら……俺がヒマしてたら、成己が嬉しそうに寄って来たっけ。「待ってました」って顔がムカついて、わざと忙しいふりをしてやることも多かったが。

 胸が、ぎゅうと痛む。

 

「……馬鹿か、俺は」

 

 ……本当は、「可愛いかも」って思ってた。

 ただ、あいつを可愛いって思う俺自身に苛々して、素直になれなかった。あのころ……あいつを喜ばしてやることが、どうしても難しくて。

 優しくしてやれば良かったと、今なら思うのに。

 

 ――『陽平が、ぼくを裏切ったことに変わりはないんやから……!』

 

 怒りに燃える目を思い出し、苦しくなる。

 この前、センターで会った成己の、和やかさのかけらも無い態度。俺を振り払い、走り去った背には……冷たい拒絶しか無かった。

 何なんだよ、と思う。

 

 ――俺は、お前が嘘をついてなかったって……謝りたかっただけなのに。

 

 むしゃくしゃして、ごろりと寝返りをうつ。拍子に、腕の下に引いたブランケットから、ふわりと甘い香が上った。

 

「……あ」

 

 俺は、やわらかい布に頬を寄せると、その香を胸いっぱいに吸い込んだ。

 

 ……成己の匂い。

 

 瑞々しく、優しい花の香りに、気持ちが安らいでゆく。

 このところ、俺はあいつの部屋に入り浸っていた。ここだけは、晶との情事に使わなかったから……成己の気配が色濃く残っている。

 

「はは……」

 

 おかしな話だよな。

 二人でいた頃は、圧倒的に成己が俺の部屋に来ることが多く、入ることは数えるほどだったってのに。

 いないお前を探すように、この部屋に来るなんてな。

 

 

 

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