第310話【SIDE:陽平】

 日が暮れると、晩飯を作った。

 

「……っし。こんなもんか」

 

 今晩のメニューは、いわしハンバーグだ。成己のレシピで食事を作ることが、もはや習慣になっている。

 料理も慣れてくるとなかなか楽しいし、何より身体にいい。

 

「いただきます」

 

 手を合わせて、もくもくと食う。

 

 ――一人で食っても、買い飯よりも空しくならねぇのも良いところだな……

 

 TVのワイドショーが、芸能人の不倫だの、アザラシが川に出ただの、つまんねえニュースを垂れ流す。

 

「チッ……うるせえな」

 

 うだうだと話すコメンテーターに、苛立つ。いっそ「切ってやろうか」と思うが、チャンネルを切り替えるに留めた。

 ……つまんねえTVでも、つけていないと静かすぎるんだ。

 

 ――『陽平、おいしい?』

 

 正面で、世話を焼くやつがいねえせいで。


「……っ」


 やわらかい鰯の身を、奥歯で噛みしめる。苦々しい思いと裏腹に、成己のメシはどうしたって、優しい味だった。

 ニュースを聞き流しながら、無心でおかずを食い、白飯を一杯つぎ足して、食事を終える。

  

「……ごちそう様でした」

 

 皿を洗い、リビングに戻ってくると――TVの話題が切り替わっている。「桜庭宏樹」の名に、心がドキリと跳ねる。

 

「ああ……そうか。そういう時期だったな……」

 

 軌跡社で開催される、生原稿展――今年も行こうと思っていたのに、すっかり忘れていた。


 ――去年は、成己と行ったっけ。


 朝早くから並んだのに、桜庭のサイン本が手に入らなかったんだよな。


『嘘だろ……俺らの推し作家が人気すぎる』

『う~、悲しいけど嬉しいなぁ』


 それでも、何だかんだ楽しくて。「来年は手に入れようね」と笑い合ったんだ。

 ぎゅ、と胸が痛む。

 

「……原稿展、か……」

 

 行ってみるのも、悪くないかもしれない。

 







「げ。すげぇ混んでんな……」

 

 翌日、さっそく軌跡社に向かった俺は、長い待機列に唖然とした。

 

 ――だりぃ……すでに帰りてぇ……

 

 だが、桜庭の為なら仕方がない。

 入り口で入場券を貰い、つづら折りの列の最後尾に並ぶ。

 休暇中のせいか、家族連れが目立った。わあわあ話す声に聞き耳を立てれば、やはり殆どが桜庭目当てらしい。

 

 ――こんなに並んでて、サイン本は行き渡んのか……?

 

 企画サイトに「桜庭先生、流血のサイン本追加!」と書いてあったが、不安になってきたじゃねえか。

 今日の目当ては、何と言ってもサイン本だからな。

 自分のと……できれば、保存用にもう一冊は手に入れたい。

 

 ――……成己の奴は、もう買ったかな……

 

 野江の奴が、桜庭を嗜んでいるとは聞いたことがない。興味が無ければ、こんな暑い思いをしてまで、列に並ぶかは怪しいと思った。

 

「……あいつの分も」

 

 ふと、呟いた自分に驚く。


――買って、どうする。わざわざ、野江の家に渡しに行くなんざ御免だろ?


 鼻で笑おうとしたが、

 

『ありがとう、陽平』

 

 サイン本を受け取って、目を輝かせるあいつの幻がちらついて仕方ない。

 

「……チッ」

 

 暑いせいだ。あんまり暑いから、馬鹿げたことを思いつく。

 俺はバッグからタオルを取り出し、頭からバサリとかぶった。

 

 ――……順番が来るまで、なんか読むか。

 

 スマホでリーダーを開き、読みかけの本を開く。――愛する人を奪われた男が、恋敵を完全犯罪で殺し、後釜におさまろうとするドロドロのサスペンスだ。

 桜庭の長編読切だが、かなり胸糞の悪い話のせいか評価は分かれている。

 俺も四年前……刊行された直後に読んだときは「無し」と判じた。

 

――『ぐすっ……悲しいお話やねえ……』

 

 けど、成己は違ったんだよな。

 さんざんにこき下ろす俺に、むきになって反論していたっけ――

 

『桜庭にしちゃ、トリックしか見るとこがねえ。全編通して、負け犬の遠吠えじゃねえか。ラストでヒロインにバレるのもダサいし、何がしたかったんだよ』

『そんなことないよ。怖いけど、切ないラブストーリーやんっ。二人がもっと話してれば、運命は違ったかも、って……!』

『成己は恋愛脳すぎ。もっとさ、物語ってもんを読めよなぁ』

『もー! ええやろ、ぼくは好きなの!』


 成己は頬を膨れさせ、大事そうに本を抱えていた。 

 婚約者になって、すでに半年は経った頃だったけど。俺達はそうやって、くだらない話ばかりしていた。

 

 ポタリ。

 

 スマホの液晶に、雫が落ちる。

 ずっと俯いていたせいで、汗が頬を伝い落ちてきたらしい。俺は乱暴にタオルで頬を拭い、深く息を吸い込んだ。

 

「……はぁ」

 

 この本は――成己の部屋にあったのを見て、久しぶりに読み返そうと思ったんだ。

 たまには、駄作を読むのも悪くねえってさ。

 それがどうして……今は主人公の気持ちに、共感できるところがあるんだよな。

 

 ――この俺が、負け犬ってか?

 

 そう思うとムカつくが、前と同じに「駄作」と切り捨てられそうにない。

 この手のひら返しを、成己なら何ていうだろうか。「そうでしょう」って、得意そうに笑うんじゃないか……そう思うと、衝動的にメッセージのアプリを開いていた。


 ――四年前の、桜庭の長編のことなんだけど……お前は、

 

 「まだ好きか」、と打とうとしたときだった。

 やわらかな笑い声が、聞こえてきたのは。

 

 ――成己?

 

 俺は弾かれたように、振り返った。


「……!」

 

 あわい茶色の髪が揺れて、一瞬ドキリとしたが――すぐに、違うと分かる。後姿が、あいつよりふくよかだし、俺の父親くらいの男と、腕を組んでいたから。

 

「……んだよ」

 

 安堵したような、ガッカリしたような。

 ため息を吐いて、スマホに目を落とせば……間抜けなメッセージが躍っている。

 

 ――何やってんだ、俺は! ストーカーじゃあるまいし!

 

 急激に我に返り、顔面が燃え上がった。

 画面ごと文章を消すと、スマホをバッグに投げ入れる。

 

「大変お待たせいたしました。どうぞ、お入りください!」

「……あ」


 ちょうど、にこやかな係員に声をかけられた。 

 没頭して読んでいるうちに、列がかなり進んでいたようだ。

 俺は羞恥を振り切るように、入場した。



 

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