第301話

 男の人は、女の子の迫力にまろぶように逃げて行った。

 

「本当に、ありがとうございました……!」

 

 ぼくは、深々と頭を下げる。

 

「危ないところを助けて頂いて……なんてお礼を言うたらいいか」

「何てこと、ないない。でも、危ないよ? 君みたいな子が、こんなところ一人で歩いてたら」

 

 女の子は背を屈め、優しい言葉をかけてくれた。ぽんぽん、と華奢な手に頭を撫でられて、ぼくは目をパチクリする。

 

「あ、あのっ」 

「塾帰りか何か? 良かったら、私の車で送っていくけれど」

 

 鋭利な刃物のような眼差しに、慈愛が光ってる。

 

 ――ひ、ひょっとして、年下やと思われてます……?

 

 がん、と頭に金ダライが落ちてきたような気持ちになる。

 この子は、名門の女学院の制服を身にまとっているところから、中学生くらいやと思う。

 そんなに……た、たしかに頼りないか。助けてもらったものね。一応、成人してるのに情けない――とほほと思いながら、ぼくはほほ笑んだ。

 

「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで……センターに送迎を頼みますので」

「そう? なら、開けたところに出るまで一緒に行くよ」

 

 女の子は闊達な笑みを浮かべた。

 笑った拍子に、唇から鋭い牙が覗いて――今さらのように、彼女がアルファだと気付く。でも、それより笑顔が幼くて、この通りとの違和感が凄かった。

 

 ――そういえば、この子もどうしてこんなところに。一人だと危ないよね……

 

 にわかに心配になる。

 そして、「一緒に行こう」と頷きかけたときやった。――ざわざわとどよめきが。雷雨のように激しい足音が、猛烈な勢いで近づいて来た。

 

「――成!!」 

 

 

 

 

「宏ちゃん!?」

 

 血相を変えて走り寄ってくる大切な人に、ぼくは、びっくりして棒立ちになる。

 と――目前に長い腕が開き、がばりと抱きしめられちゃう。――ぶわ、と森の香りが放出され、頭がくらくらする。

 

「成、良かった……!」

「どうして、ここに……?」

「帰ったら、お前が飛び出してったって聞いて。なにかあったらと、気が気じゃなかった」

「え……!」

 

 ぼくは、目を瞠る。

 

「そんな……よく、ぼくがここに居るって」

 

 狼狽えて尋ねると、宏ちゃんはぼくの首輪に触れた。

 

「どこに行っても、迎えに行くって言ったろ。……ごめんな、遅くなって」

「……宏ちゃんっ」

 

 ぎゅう、と抱きしめられて、吐息が震える。

 宏ちゃんのフェロモンは安堵に満ちていて、シャツは雨に降られたみたいに濡れていた。

 

 ――どれだけ、探し回ってくれたんやろう。

 

 ぼくは、ひしと広い背中にしがみついた。

 

「ごめんなさい、宏ちゃん。心配かけて……!」

「いいんだ。お前が無事なら」

 

 大きな手に背を撫でられ、瞼が熱くなる。熱い肌から香るフェロモンに、体がふわふわと浮かぶような心地がした。

 そのとき、


「……野江さん?」


 女の子が、呆然と呟いたのが聞こえた。

 

――わあ、人前やった!


 年下の女の子の前で、夫に甘えてしまった事に、顔から火がでそうになる。けれど、宏ちゃんは平然として、ニコリと笑った。


「お久しぶりですね」

「お久しぶりです。じゃなくて、そちらの方は……」


 女の子は、わなわなと震えながら、ぼくと宏ちゃんとを見比べている。どうしたんやろう。


「妻の成己です。助けて頂いて、ありがとうございました」


 女の子は、真っ青になった。


「えー!!」



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