第299話

 お義母さんに肩を掴まれて、はっとする。

 

「気持ちはわかる。でも、朝の話も、最後まで聞いてやってくれるかい?」

「あ……」

 

 困った顔にお願いされて、頬が熱った。――親であるお義母さんの前で、取っていい態度じゃなかった。怒りの火が小さくなり、申し訳なさが戻ってくる。

 

「す、すみません。取り乱して……」

「いや、宏章のことを想ってくれて、嬉しいよ。でもね、こいつもああ見えて弟想いだから、大丈夫だよ」

 

 ふくふくした手に背を叩かれて、頷く。お義母さんは満足げに頷くと、お兄さんを目で促した。

 

「……このところ、綾人の様子がおかしかったんだよ」

 

 お兄さんは絞り出すように話しだした。

 

「成己さん。あなたからの連絡を無視したと思えば、暗い顔をしたり。問い詰めたら、やっと吐いたんだ。――宏章に、あなたとの交際を止められた、と」

「……綾人が?」

 

 思わず息を飲む。お兄さんは、畳みかけてきた。

 

「綾人と共に居ると、成己さんが危険な目に遭うと言われた、と。あなたを理由にされて、綾人が断れるはずがないだろう」

「そんな……」

「綾人が嘘をつくような人間でないと、解ってくれているな」

 

 ぼくは狼狽えて、頭を振る。

 

「たしかに、綾人はウソを吐く子じゃありません。でも、宏ちゃんだって、同じです……!」

「成己さん。宏章はあなたが思うほど、純じゃない。目的の為なら、平気で人を排除するやつだ」

「そんなこと、ありませんっ。宏ちゃんは――」

 

 ひどい言いざまに、カッとなって言い返す。すると、

 

「俺は兄だ。俺の方が、あいつを解ってる!」

 

 お兄さんは、苛立たし気に吐き捨てる。強い怒りのフェロモンをぶつけられ、一瞬、目の前が暗くなった。

 

「……ぅっ」 

「成くん!」

 

 倒れそうになったぼくを、お義母さんが抱きとめてくれた。

 

「こら、朝! そんなに怒ることないだろ」 

 

 お兄さんの燃えるような目が、お義母さんに向くと幾分和らいだ。

 

「おふくろなら解るだろう? あいつはヘラヘラして見えて、自分の領域に入り込む奴に容赦がない。危ういところがあるやつだって」

「……それは。たしかに、そういうところもあるかもしれないけどー」

 

 お義母さんの答えに、ぼくは目を見開く。すると、「わからないけど」と前置きし、お義母さんは言う。

 

「宏はさ、お兄ちゃんたちと違って、自由に育ったせいかな。マイペースな性質だから……勿論、悪い子じゃないよ。でも、自分の思い通りにしなきゃ気が済まないところがね、あるから。ひょっとしたら、綾くんのことも……」

「そんな……」

 

 ぼくは、がんと頭を石で殴られた気がした。

 お義母さんは、ひょっとしたらと言いつつも……その口ぶりから、ほとんど確信しているんやって解ってしもたん。

 

 ――宏ちゃんは、そんなことしない……!

 

 ぼくは、もどかしい思いで頭を振った。

 だって、宏ちゃんは……とても、優しい。綾人の事を気遣ってくれたの、ぼくは知ってるもん。

 

「ごめんなさい……ぼく、信じたいです。宏ちゃんのこと」

「成くん」


 お義母さんが、目を瞠る。お兄さんは悔しそうに顔を歪めて――ぼくを睨みつけた。


「あなたは、綾人の事は信じないのか。友人のあなたの為に、あいつは身を引いたのに……これじゃ、あいつが余りに哀れじゃないか」


 綾人の事を言われると、胸がざくりと痛む。


――綾人。悲しんでること、知らなくてごめんね。


 返信のないメッセージに、「お兄さんと上手く行ってるんだ」って、思ってた。

 楽天的な自分を、殴りたい。


――ごめん……謝っても済まないけど、謝りたい。


 それでも……ぼくは、ゆっくりと息を吐いて、自分の考えを整備した。お義母さんとお兄さんの顔を見、口を開く。


「綾人の事も、信じてます。だから……きっと、行き違いが起きてるんやって思います」


 綾人も、嘘を吐く子じゃない。でも、宏ちゃんのことも信じてる。


「ぼく、宏ちゃんに聞きます。でないと、納得できないんです」

「……話にならん。あいつが正直に言うわけがない」


 唾でも吐くような口ぶりに、胸が冷やりとする。でも――心を奮い立たせて、言った。


「いいえ。宏ちゃんは……話してくれます! 気づけなかったぼくが、悪いだけで……嘘なんか、つかない人ですっ」

 

 言えないことはあっても、嘘を吐く人じゃない。

 綾人を首にするなんて、信じられなかった。

 万が一、そうだったとしても――宏ちゃんの口から聞かないと、何も信じたくはなかった。


――ぼくが、それを証明するんだ……!


 ぼくは、シアタールームを飛び出した。

 引き留める声が、背中に聞こえたけれど……何も考えられなかった。

 

 


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