第297話

 陽平は、荒れ狂っていた。

 凶暴な虎のように店の周りを徘徊し、ドアをがんがん蹴りつけ、ぼくの名前を叫び続ける。

 

『成己! 出て来いってんだろうが! 俺の言うことが、聞けねえのかッ!?』

 

 シアタールームに陽平の声が響き渡るたび、ぼくは髪の毛が太るような、恐ろしい羞恥に襲われた。

 

 ――どうして……!!? なんで、こんなこと!

 

 あんな陽平、信じられない。

 ぼくは、ガタガタと震える膝を握りしめ、画面から目を逸らそうとする。なのに、陽平の声は情け容赦なく、耳に突き刺さってくる。

 成己、成己って……ぼくがここに居るのを知るかのように、重い怒声。

 

 ――やめて!

 

 部屋の空気に、体が切り刻まれそうやった。

 

『あの男と居るのか……寝てるのか!』

 

 とんでもない言葉を叫ばれて、思わず立ち上がる。

 

「やめて! 止めて下さい……!」

 

 これ以上、見ていられない――泣きたい気持ちで機器に走っていこうとすると、長い腕に遮断される。

 

「お兄さん……!?」

「あなたに見てもらうのは、確認のためだ。壊れたものはないか。――この男は城山陽平で間違いないか。最後まで見てもらいたい」

「……そんな」

 

 ぼくは、お兄さんの顔を凝視した。

 この映像を見続けるなんて、耐えられない。まして、お義母さんとお兄さんの前でだなんて。

 

「お願いです、どうか……」

「成己さん、大切なことだ。あなたには責任がある」

「……っ」

 

 お兄さんは、断固として頷かなかった。

 黙ったままのお義母さんの方は見られなくて、ぼくはへなへなとソファに腰を下ろす。

 

 ――宏ちゃん。

 

 宏ちゃんに側に居て欲しかった。でも、それ以上に……いないで欲しい。

 これを宏ちゃんが見たと思うと、消えたくなる。

 

『成己ー!!』

 

 映像では、店の方に回った陽平がシャッターを蹴り壊していた。陽平の叫ぶ猥雑な言葉と、作動したセキュリティのサイレンの音が、響き渡る。

 

『成己ぃ……! この、裏切り者がぁあ!』

『坊ちゃん! 坊ちゃん、お止めください! 通報されます!』

 

 暴れる陽平を、車から飛び出してきた男性が、羽交い絞めにする。――城山家の運転手の小川さんやと、わかる。初老の彼は、顔を真っ赤にして、暴れる陽平を必死に抑えつけていた。

 城山家にお世話になったとき……親切にしてくれた人やった。

 

 ――陽平、何をやってるの。怪我させちゃうやんか……

 

 騒ぎを聞きつけた近所の人が駆けつける。小川さんに加勢して、陽平を取り囲んで、連れていく。

 

『離せ! 成己ーーッ!』

 

 やがて……陽平は暴れながらも、親切な人にお団子にされ、引きずられていく……



 

「……無様な」

 

 ぼそりとお兄さんが呟くのが聞こえた。

 その声音の冷たさに、胸がざっくりと切り裂かれる気がした。

 

「……ごめんなさい……本当に……」

 

 恥ずかしい。

 

 ――どうして、陽平……?

 

 なんで、こんな事をするの。

 じわじわと涙がこみ上げてきて、もう謝ることしか出来なかった。


「お義母さん、お兄さん……申し訳ありません」

「ええ……まあ、気にすることないよ。考えようによっては、顔見知りの方がマシっていうか」


 お義母さんは、少し青褪めながらも、優しい言葉をかけてくれはった。

 頭を下げたまま、泣くのを堪えていると――映像を止めたお兄さんが、言う。


「成己さん。城山陽平はあなたの婚約者だったな」

「……はい」


 断定型の問いに頷くと……お兄さんはため息を吐く。


「この後、通報によって城山はお縄になりかけた。当主が圧力をかけたから、捕まらなかったが」


 言葉がでなくて、頷くしか出来ない。


「ずるいなあ。こんな真似しておいて」

「城山の当主は真面と思っていたが……どうやら、親ばかが過ぎる」

「全く。野江に対して、なめた真似してくれるよ」


 二人のやり取りに、ますます居たたまれなくなる。


「申し訳ありません……こんなことをするなんて。ぼくに出来ることがあれば、何でもさせてください」


 ぼくの元婚約者がしでかしたことを、どう責任を取れば良いのかわからない。


「元婚約者のことまで、弟の伴侶のあなたに負わせるつもりはない。ただ、あなたに関わりがあることだから、知っておく必要があると思っただけだ」

「……はい」


 淡々とした声音で言い、お兄さんは皮肉気に片頬をつり上げた。


「宏章に任せていたら、あなたは”また”知らないままになるだろうからな」



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