第287話

 翌朝、ぼくは、早くに目を覚ました。

 まだ、明け方だけれど……すでに朝は近づいているのか、お部屋は薄明るい。見慣れない調度に、「お泊りしたんや」って寝ぼけながら、思いだす。

 

 ――……ひろちゃん、眠ってる。

 

 宏ちゃんは、すうすうと深い寝息を立てていた。いつも、パッと目を開けてしまう彼だけれど、今朝は全然その様子もない。

 

 ――ずっと、気を張ってくれていたから……疲れたんやねえ。

 

 ぼくは、じっと寝顔を見つめた。……朝の光に照らされた長い睫毛、なめし皮のように綺麗な肌。命そのものみたいに、きらきらしてる。

 胸が、きゅうって切なく締め付けられた。

 

 ――大好き。今でも、信じられない……

 

 昔……センターに居た頃、二人でお昼寝をしたことを思い出したん。

 アクテビティルームのクリーム色の絨毯に、オレンジのブランケットを敷いて。いつも、ぼくが先に眠ってしまったけど……一度だけ、宏ちゃんの寝顔を見たことがある。

 

「……」

 

 そ、と宏ちゃんの頬に触れる。――少年のころと変わらない、案外にあどけない寝顔。

 あのときは……夕日に照らされて、綺麗で。

 すごく、すごく切なかった。

 

 ――『あまり、仲良くしちゃいけないよ……』

 

 ……宏ちゃんは夕焼けと一緒やって、わかっていたから。

 だから、起こさない様に、じっと息をひそめていた。……夕日が沈んで、夜が来るまでは、見つめていたかったから。

 

 ――ねえ、宏ちゃん……もう朝だよ。

 

 ぼくはいま、朝を一緒に迎えてる。不思議で……まだ信じられない。

 わけもなく泣きたくなって、唇を噛み締める。すると――無意識にか、伸びてきた腕に抱き寄せられる。広い胸にくっついた頬から、とくんとくんと力強い鼓動が伝わってきた。

 

「……宏ちゃん」

「……ん……成……」

 

 眠たげな声が、ぼくを呼ぶ。目を閉じたまま、もっと近くに抱きかかえられる。

 

「……まだ早いだろ……もうちっと寝よう……」

 

 あやすように、ぽんぽんと背を叩かれる。とても、あたたかくて……泣きたいほどに嬉しい。

 

「……おやすみなさい、宏ちゃん」

 

 やがて、訪れた眠気に、うっとりと身を委ねた――

 

 

 

 

 

 

 

「わーん、チェックアウトに間に合わないようっ」

 

 二度寝して、まさかのお昼前に目が覚めるなんて……!  

 大慌てで、荷物の整理をしていたら、宏ちゃんがのんびりと言う。

 

「そんなに焦らなくても。レイトだから、のんびりしてていいんだぞ」

「そうやけど……宏ちゃん、ごめんね。朝ごはんも食べられなくて」

 

 ぼくの寝坊のせいで、朝ごはんも食べ逃してしまったんやもん。

 

 ――朝ごはんのビュッフェ……このために、センター認証のホテルにしてくれたのに。

 

 申し訳なく思っていると、宏ちゃんは鷹揚に笑って、頭を撫でてくれた。

 

「昼に食いに行けばいいよ。ここのビーフシチュー、美味いって評判だぞ」

「……宏ちゃん~」

 

 ぼくのこと、甘やかしすぎですっ。

 すん、と感激で鼻を啜っていると、宏ちゃんに抱き寄せられる。そのままベッドに仰向けに、二人で倒れ込んだ。

 

「わあっ」

「荷造りも済んだことだし。部屋を出るまで、ゆっくりしよう」


 悪戯っぽく囁かれ、ぼくはくすりと笑った。宏ちゃんの笑顔の前に、うだうだ言っているのはもったいない気がしてしまうん。

 

「そうやねっ」

 

 それから――ぼく達は、時間までお部屋でいちゃいちゃして過ごした。

 デートのこととか、原稿展のこと、戦利品を見ながら喋ったり……ゆっくりと流れる時間を味わった。





 

 けれど――家に着くなり、和やかな時間は破れてしまった。

 余裕をもってチェックアウトをして、ホテルのレストランで、お昼ご飯を頂いたん。評判のビーフシチューは、とても美味しくて、ふたりで「来て良かったね」って言い合って。

 朗らかな心持で、ぼくたちは家路についたはずやった。

 

「えっ……!!?」


 ぼく達のお家は、ひどい有様で―― 

 お店のシャッターは割れて、可愛い赤いポストは首からぐにゃりと折れていた。きれいに並べていた鉢植えも、台風が過ぎ去ったように打ち倒され、土を零している。

 

「どうして……!? だれがこんなこと……!」

 

 呆然と立ち尽くしているぼくを背に庇い、宏ちゃんは重く呟いた。

 

「成、俺から離れるなよ」

「あ……」

 

 こくこくと何度も頷く。宏ちゃんは、ぼくの肩を抱き、何処かへ電話をかけ始めた。


 ――何が起こったの……? 


 ぼくは呆然としながら、宏ちゃんのシャツにくっついた。すると、肩を抱く手に力がこもる。

 

「大丈夫だ。俺がついてる」

 

 力強い声に、安堵があふれる。

 やっと、呼吸をすることが出来た気がして――すうと大きく息を吸い込んだ。

 

「……!?」

 

 その瞬間、ハッとする。

 恐ろしい現場には……薔薇の匂いが強く香っていた。

 

 

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