第283話

「百井さん、こんにちはっ」

「成己くん、こんにちは。ようこそ、生原稿展へ!」

 

 百井さんは、パッと両手を広げて見せる。芝居がかった仕草が可愛くて、くすくす笑う。

 ぼく達は人目を気にし、通路の端へ抜けた。

 

「大盛況ですね。開催、おめでとうございます」

「はい、おかげさまで! これだけ盛況だと、締め切りに追われながら協力して下さったクリエイターさん達も、浮かばれるってもんです」

 

 百井さんの言葉に、宏ちゃんは大らかに笑う。それから、丁寧に頭を下げた。

 

「毎晩、遅くまで残ってくださった、皆さんのおかげですよ。また、編集部に差し入れ持って行きます」

「いつもお気遣い頂いて、ありがとうございます。皆、お肉美味しかったって喜んでましたよー」

 

 大賑わいの会場の片隅で、こっそりと感謝を述べ合う二人を、ぼくは眩しい気持ちで見た。

 誇りあるお仕事をたたえ合うって、素敵やね……!

  

「ところで、お二人。何か言い合っていませんでした?」

「あ、そうなんです! 新作の恋愛小説のことで、ちょっと……」

 

 不思議そうに尋ねられ、ぼくはハッとする。恋愛小説の展示に近づかせてもらえないことを言うと、百井さんは目を丸くし――ぷっとふき出した。

 

「先生、何を日和ってらっしゃるんですか?」

「いいでしょ、別に。俺はシャイなんですよ」

 

 宏ちゃんは、拗ねたようにフイと視線を逸らした。

 

 ――宏ちゃん、照れてる?

 

 ぼくは、びっくりしてしまう。

 うっすら目元が染まってさえいて、心底恥ずかしそうに見えた。

 

「宏ちゃん、なんでだめなん? ぼく、見たいな」

 

 腕を取って、じっと灰色がかった瞳を見上げる。宏ちゃんは、「うー」とか「あー」とかもごもごと言うばかりで、答えてくれない。

 

「……?」

 

 こんなに煮え切らない宏ちゃんは珍しい。なにかを隠したがっているみたい。

 そして、その”なにか”は……甘いような、気恥ずかしいもののような、気がする。

 ぼくはてっきり、陽平とのことを思い出さない様に、黙ってくれてたのかと思ってたんやけど……不思議な反応に、気が焦ってくる。

 

 ――どうして? 今まで、何でも読ませてくれたのに……

 

 すると、百井さんが爆弾を落とした。

 

「成己くん、許してあげてください。さすがの先生も、やけくその私小説はきまりが悪いみたいです」

「え」

「百井さん!」

 

 ぼくが息を飲んだのと、宏ちゃんが真っ赤になって噴火したのと、同時やった。

 

 

 

 


 

 

「……」

 

 喫茶室の丸テーブルにふたりで向かい合って、コーヒーを飲む。

 他のお客さんが賑わって、がやがや楽しそうに話している分、ぼく達のテーブルの静けさが際立っていた。

 

「……成、ケーキ食べるか?」

「いえ、大丈夫です」

「おう……」

 

 つっけんどんな返事に、宏ちゃんは眉を下げる。

 百井さんがお仕事に戻らはってからというもの。ぼく、糸が切れたみたいに、いやな態度をとっちゃってる。

 

 ――ああもう、なにをしてるんやろ! こんなん、呆れられちゃうってば……!

 

 自己嫌悪でいっぱいの心の中、ぽかぽかと自分を叩く。それでも……なんだか胸が気持ちが悪くて、うまく笑えへん。

 だって、私小説の恋愛ものだなんて!


――宏ちゃんは、大人で素敵なひとやから。そりゃ、恋だってあるって……わかってましたけどっ。


 理屈じゃなくて、いややった。

 小説にしたいほど、思い入れのある恋が、宏ちゃんにあることが。

 身勝手で、幼稚なわがままやんね。ぼくだって、陽平と婚約していたくせに――


「……っ」


 コーヒーカップの黒い水面に浮かぶぼくの顔は、くしゃくしゃやった。見ていられずに、ソーサーに戻す。

 すると、同じくカップを置いた宏ちゃんが、神妙な声で言う。


「なあ、成。ごめんな」

「……えっ?」


 ドキリとして、顔をあげる。宏ちゃんは、真剣な表情で、ぼくを真っすぐ見つめていた。


「読むな、なんて言って。お前が、どれだけ俺の仕事に誠実で居てくれてるか……軽んじたいわけじゃないんだ」

「……!」


 ぼくは、ハッと息を飲む。


「俺は、お前にだけだよ。欠片も不安なく、作品を預けられるのは」

「宏ちゃん……!」


 情熱的な言葉に、頬がぱあ、と熱を持つ。

 さっきとは違った意味で俯くと、ぼくはもごもごと話した。


「うれしい……宏ちゃんのお手伝い、ずっとさせてもらって。そんな風に言ってくれるなんて」

「いつも思ってるよ。ありがとうな」


 力強い声音に、ますます頬が火照る。


「……で、でもね。ぼくがいやなんは、そうじゃなくて」

「ん?」

「えと……あの。恋愛の私小説なんやなあって。ちょっと、もやもやして……」


 気持ちが浮上したせいか、ぽろりと漏らしてしまう。宏ちゃんの切れ長の目が、まん丸くなる。


「へっ?」

「ご、ごめんね、面倒で。忘れて」


 宏ちゃんの、びっくりしてる様子に、居た堪れなくなる。


――そうやんね。小説の内容にまで、焼き餅やくなんて、重たすぎるもん。


 羞恥が極まって、思わず俯くと――ぱしりと手を握られる。


「お前のことだよ」


 低い声が、優しく響く。


「え……」

「お前のことを書いたんだ」

 


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