第279話

 肌に、やさしく触れられる感触がして、ふっと意識が浮上する。

 

「んっ……」 

 

 薄目を開けると、大きな影が、覆いかぶさっていた。

 ぼくの肩口に顔を埋めているけれど、宏ちゃんなのはわかる。長い黒髪に、がっしりした肩の浅黒い肌と……漂う芳醇な香りを、間違うはずない。

 

「あっ」

 

 あばらの浮いた脇腹を、熱い手のひらが撫ぜていく。ふと――どうして、服を着てないんやろって疑問がもたげた。何か、エッチしてるみたいやない……?

 いつのまに、って思うけど……頭がふわふわして、思い出せない。

 

「成……好きだよ」

「!」

「心配しなくて大丈夫だ。俺に身を委ねて……」 

 

 低い声が、甘く囁く。とろん、と耳から蕩けそうになって、疑問が消えてしまう。

 

 ――大丈夫。宏ちゃんやもん……夫婦なんやから。

 

 安心して力を抜くと、強く抱き寄せられて、お尻を大きな手のひらに包まれる。

 胸の尖りに口づけられて、甘えた声が漏れた。意識が半分、微睡の中にあるせいか……身も心もふわふわして覚束ない。

 

「あぁ……っ」

 

 なのに、甘い刺激は鋭敏で。丁寧な愛撫に、体のあちこちが燃えてしまう。

 やがて……体を指で押し開かれた。腰の奥できゅう、と長い指を締めつけて、目の前に火花が散る

 

「ああっ」

 

 広い背にしがみついて、快楽に夢中になっていると……囁かれる。

 

「……気持ちいい?」

 

 声も出せずに頷くと、宏ちゃんは嬉しそうに喉を鳴らした。ずっと、指で弱い場所をくじられて、涙が溢れだす。

 

 ――きもちいいよぅ……

 

「ひろちゃん……」

「成……」

 

 狂おしい声で呼ばれて、肩を甘噛みされる。とても鋭い牙なのに、肌を破らないほどに優しい。――きゅう、と胸が締め付けられる。

 傷つけないでくれる優しさが、嬉しい。でも……

 

「もっと、して……」

 

 切なさに押し出されるよう、口にする。

 ぼくは、宏ちゃんの頭を抱え込むように、ぎゅっと抱きしめた。両脚をゆっくりと開いて見せると――息を飲む声がした。

 

「宏ちゃんが、欲しい……」

 

 正気ならきっと、恥ずかしくて言葉に出来ひん。半分眠っているような今だから、口にできる本心やった。

 

「お願い……」

 

 恥ずかしさに鼻を啜ると、唇にあたたかな感触が落ちた。

 やわらかく啄まれて、うっとりする。と……宏ちゃんの指を含んだ場所に、もう一本添えられた。キスをしたまま、くすぐられ続けて――吐息が震えた。

 

「……はぅ……っ」 

「力を抜いて」

 

 熱い声に、ドキドキしながら頷く。

 長い指が探るように……本当にそっと、なかへ潜り込んでくる。二本の指を包んで、強い圧迫感と快楽が背筋を走り抜けた。

 

「ああ……っ」

 

 目の前が真っ白になって、ぼくは意識を失った――

 





 

 ふと目を開けると、寝室は薄赤い光でいっぱいになっていた。

 一瞬、自分がどこにいるかわからなくて、目をパチパチする。

 それから、急激に目が覚めた。

 

「……わっ、夕方?!」

 

 慌てて身じろいだ拍子に、お布団がベッドから滑り落ちる。

 お布団にくるまってほかほかになった体を、冷房の涼しい風が撫でていく。しっかりと着込んだパジャマに、「いつのまに着替えたんだろう?」と少し不思議に思う。


「よいしょ……」


 もそもそとシーツの上を這うと、腰の奥が甘く痺れる感じがした。「あっ」と驚いて、マットに倒れ込む。

 たっぷりとマッサージされた後みたいに体が軽くて、芯がない。


「寝過ぎたのかなぁ……?」


 おそるおそる、枕元のスマホを見て、ぎょっとする。――四時間も経ってる!

 

「ウソ~、こんなに寝ちゃうなんて」

 

 ちょっとだけお昼寝するつもりだったのに、大失態や。

 枕を腕に抱えたまま、マットにへたり込んでいると――とんとん、と階段を上がってくる音がした。

 

「成、起きたのか?」

 

 音を聞きつけたのか、宏ちゃんがひょこっと寝室に入って来た。エプロンを身に着けた姿に、夕飯の支度をしていたんやって気づいて、恥ずかしくなる。

 

「宏ちゃんっ。ぼく、ごめんなさい。寝坊で」

「そんなこと気にするな。――少しはスッとしたか?」

 

 小さくなって枕に額をつけていると、宏ちゃんがふき出した。明るい笑顔を見ながら、ぼくはおずおずと頷く。

  

「うん、すっきり目が覚めました」

「そうか。腹は減ってるか?」

 

 優しく問われた途端、おなかがきゅうと音を立てた。小説のようなリアクションに、頬が熱る。

 宏ちゃんは笑って、ぼくの頬を撫でた。


「なにか食べよう」

「うう……ごめんなさい」

「あんだけ頑張れば、腹も減るさ。飯より、まず軽いものが良いよな」


 宏ちゃんは、にこにこと話しを進めている。どこか浮かれた様子に、ぼくは首を傾げた。


――宏ちゃん、なにかいいことあったのかな……?


 じっと見上げていると、宏ちゃんは「ん?」と首を傾げた。


「どうした?」

「ううん……ありがとう、宏ちゃん。ぼく、起きるよ」


 えい、と気合一発にベッドから降りようとして、足が立たない事に気づく。


「あ、あれ? ぼくったら、また……」


 まな板に横たわるお魚みたいになっていると、宏ちゃんが苦笑した。


「持ってくるから、無理するな」

「ごめんね」

「いいんだよ」


 宏ちゃんは、ぼくの頭をひと撫でし、部屋を出て行った。

 大きな背を見送って、はふうとため息を吐く。


「うー。最近、こういうのも多いなあ……」


 家の事、めっちゃしたくなるのもやけどね。それで、すごくいっぱい寝てしもたあと、きまって足腰が立たなくなっちゃうんよ。


「張り切り過ぎだぞって、体が言うてるんやろか……?」


 でも、体はふにゃふにゃやけど、微熱っぽさも無くなってる。気分もふわふわして、すっごく気もち良い。ただ――そっとお腹に手を当てる。

 ここに、行為の後のような甘い痺れが残ってるん。

 

 ――そういえば。なにか、夢を見ていたかも。甘い……

 

 目が覚めた今、断片的な記憶しかないけれど。恥ずかしくて、口には出せないような夢。

 ふしだらな自分に、赤らんだ頬をさすっていると、

 

「お待たせ」

 

 宏ちゃんが戻ってきて、はっとする。

 

「わあ、ありがとうっ」

 

 慌てて笑顔を作り――お盆の上のお菓子を見て、本当に目を輝かせた。

 

「これ、パイナップルケーキ? どうして?」

「成が休んでる間に、西野さん達が来てな。台湾土産だそうだ」

「わああ……嬉しい。これ、有名やんね」


 台湾に行ってきた土産話はまた今度ねと、言伝て行ってくれはったんやって。忙しいのに、訪ねて来てくれたなんて嬉しい。


――しかも、センター認証店で買ってきてくれはるなんて……ありがたいなあ。


 いそいそと手を合わせると、宏ちゃんは目を細めた。


「成、たくさん食べていいぞ」

「えへへ、ありがとう。宏ちゃんは、プリン沢山食べてね」

「ありがとうなー」


 偶然にも、プリンを作っておいて良かった。

 って言うのも、宏ちゃんって好き嫌いはないのにね。パイナップルだけはどうしても無理なんやって。

 気まずそうにしてるのが可愛くて、きゅんってしちゃう。


「――美味しい!」

「うん。美味いなあ」


 甘酸っぱいケーキに、舌鼓を打つ。

 ふにゃふにゃの体に染みこんでいくみたいで、すごく美味しかった。


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