第271話【SIDE:宏章】

「な……なんでっすか?」

 

 俺の言葉に、綾人君は動転して問い返した。

 

 ――なんで、か……

 

 重苦しい気持ちを堪えながら、言葉を継ぐ。

 

「端的に言えば、成と距離を置いてほしいんだ。二度と、この前のようなことが起きないように」

「……!」

 

 綾人君はさっと青褪めて、身を縮めた。

 

「あ、あの時のことは、本当にすみませんでした。オレ、本当に反省してます。でも……オレ」

 

 友達をやめたくありません、と項垂れて言う。物怖じしない子なのに、おどおどしているのはそれだけ成と離れたくないからか――俺は、ため息をつきたいのを堪えた。

 

「この前のことは、俺も反省したんだ。成を喜ばせてやりたくて、浮かれていたんだな。君と兄貴の関係が、一筋縄でいかないと知っていて……俺さえしっかりしていれば、大丈夫だろうと」

 

 成は、家族の絆に憧れがある子だ。

 綾人君や兄貴に受け入れて貰えたと、本当に喜んでいて……だから、今回のことも懸命に心を尽くしていた。

 

――『宏ちゃん、ずっと助けてくれてありがとう。綾人とお兄さん、きっと上手く行くよね』

 

 にこにこと笑っていた成を思い出し、胸が締め付けられる。――上手く行くどころか、成は不当に責められた上に、怪我まで負った。自分の見通しの甘さを、責めても責め切れやしない。

 あんな思いは、ごめんだった。

 

「俺は、あの子が何より大切だ。今回のことは、俺が甘かったせいだ。今後は、危険な目に遭う可能性は、なるべく遠ざけておきたい」

「そんな……」

 

 綾人君はよろけて、カウンターに手をついた。うう、と呻き声が漏れる。泣いているのかもしれないと思ったが、言葉を続ける。

 

「だから、君を解雇する。――もともと、兄貴のプレゼントの為の短期バイトの予定だったし、納得してくれるね?」

「……っ」

「その封筒は遠慮なく受け取ってくれ。成が君と過ごせて喜んでいたから、その謝礼だ」

 

 プレゼント代さえなんとかなれば、ここで働く理由も無くなる。店は、俺と成がいれば回るし、手が足りない時は休めばいい。

「うさぎや」は、成の為の居場所だ。――成を脅かすものはいらない。

 

「……すみません」

 

 少しの沈黙の時間の後――綾人君は、呟くように口にした。

 俺は、しらず止めていた息を吐く。

 

「解ってくれたなら、良かった――」

「……けど。どうか、成己と話させてくれませんか」

 

 思いがけない言葉に、俺は一瞬呆気にとられ――深く眉を寄せた。

 

「成と話してどうするんだ」

「ちゃんと謝りたいんです! それに、成己とオレは友達だから。いくら宏章さんに言われたんでも、一方的に友達やめるなんて、そんなん出来ないです」

 

 綾人君は、「とても納得できない」と顔にも声にも表わして、俺を見た。

 胸の奥がざわりと蠢く。

 

「それは無理だ」

「お願いします……! 成己に言われたんなら、オレは諦めます。でも、そうじゃないなら聞けません! 成己はオレとダチになれて嬉しいって言ってくれたから――」

「いい加減にしてくれ」

 

 なお言い募る綾人君を、俺は遮った。

 

「成が、君との絶交を望むかどうかって? そんなもん、成が望むはずないだろう」

 

 成にあれだけ親切にされて、何故解らないんだ。腹立ちまぎれに言うと、綾人くんは目を見開く。

 

「なら……なんで?」

「なんでって、さっきも言ったはずだよ。成を危険な目に遭わせたくないからだ。君と友達でいる限り、成はまた巻き込まれるだろう?」

「……っ!」

 

 成が綾人君と絶交することを望んでないなんて、わかってる。こんなものは、俺の完全なエゴだと。だが……今回のことで、はっきり解ることがある。

 

 ――今回の結末は、兄貴と綾人君が招いたものだ。

 

 そもそも一番悪いのは――出会ってからこっち、ちっとも発展性のない二人の言動じゃないか。普通、家主のことわりなく、来客を家には入れない。そのことに逆上し、何も悪くない者に手を上げたりはしない。

 俺の罪は、二人がそんな性格だと知っていて、成に近づけたことだ。

 

 ――だから、俺が対処する。優しいあの子が傷つかないよう、なにも気づかせないままで。

 

 俺は、胸に滾る感情を逃がすよう、深く息を吐く。

 

「聞き分けてくれるね」

「……っ、オレは……」

「成には、君から辞めたと伝えておく。君も――あの子を悲しませたくないと思ってくれると、願っているよ」

 

 綾人君は、くしゃりと顔を歪めた。

 

 






 

 

 

 

 蛇口をひねり、ボウルにいれた西瓜に冷水を浴びせる。

 勢いよく皮にぶつかった水が、ぴちぴちと跳ねては、顔を濡らした。

 

「……」

 

 深く、重い息を吐く。

 

 ――これで良かった。

 

 ふらふらと、気の抜けたように店を出て行った綾人君を思い浮かべる。

 成の友人を遠ざけたと思うと、気は晴れないが……これで、ひとつの問題は消える。

 

「まずは上々ってことだ」

 

 独り言ち、西瓜の上に布巾をかけると、水量をしぼった。……食べ物に罪はない。

 濡れた手をタオルで拭っていると、とんとん、と微かに足音が聞こえた。

 

「宏ちゃん」

 

 ひょこ、と奥から顔を出したのは、成だった。物凄くばつの悪そうな顔をしていて、思わず頬が緩む。

 

「成、起きたのか」

「ごめんね、宏ちゃん……こんなに遅くまで寝ちゃうなんてっ」

 

 ぱたぱたと小走りに駆け寄ってきて、かわいい。無理させたし、もっと寝ていても構わないのに、成は真面目だ。

 

「気にするな。疲れてるんだから」

 

 指先で髪を梳くと、ふわりと頬が色づく。色が白いから、俯いても照れているのがはっきりとわかるのも、また好ましいな、と思う。

 

「ありがとう、宏ちゃん」

「こちらこそ」

 

 成と居ると、あたたかなものが胸に溢れてくる。

 ふと、成が西瓜に気づき、目を丸くした。

 

「立派な西瓜やねえ。宏ちゃん、誰か来てはったん?」

「ああ、少しね。成の知らない人だよ」

 

 俺は笑って、答えた。

 

 


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