第270話【SIDE:綾人】

 車窓に、とあるお店の姿が流れ込んできた。


「……ふぅ」


 オレは、緊張でバクバクする胸に手を当てる。手土産のスイカが、急にずしんと重い。


「綾人様、私は近くの駐車場でお待ちしてます」

「ありがとう、佐藤さん!」


 店の手前で降ろしてもらい、頭を下げた。すいすいと遠ざかる車を見送り――オレは、戦場に赴く気持ちで振り返る。


「……ようし、行くか!」


 数日ぶりに訪れた、年上の義弟のお店。オレは、その妻である、友達の見舞いに来たのだ。


――成己は「大丈夫」つってたけど、やっぱ心配だし……バイトが始まるまでに、もう一回きちんと謝っておきたいしな! 


 気合を込め、インターホンを鳴らした。







「やあ、綾人君。驚いたよ」


 応対してくれた宏章さんに、店の方に通される。休業日だから、誰もいない。

 オレは、直角に頭を下げた。


「突然、押しかけてスミマセン。ええと、これはお見舞いのスイカです」

「これは、お気遣いありがとう。美味しそうだ」


 宏章さんが持つと、大玉のスイカが小さく見える。

 オレは、ひとまず受け取って貰えたことに、ホッとした。


――宏章さん、今日は機嫌どうかな……いつもと同じに見えっけど……


 こないだ謝りに来た時は、めちゃくちゃ怒ってる感じだったからさ。

 正直、門前払いも覚悟してたんだ。

 オレは、この場にいない友達の顔を浮かべ、ぴしりと背筋を正す。


「宏章さん、この前のこと、本当に申し訳ありませんでした。お世話になったのに、成己を怪我させるなんて……」


 カウンターに入って何かしていた宏章さんは、ぴたりと動きを止める。


「それで、あの……成己のお見舞いがしたいんです。大丈夫か、心配で」

「……残念だけれど、成はまだ寝ているから」


 静かな声に遮られる。オレはぎょっとして、固まった。


――成己が、昼まで寝てるなんて。よっぽど、具合が悪いのか?!


 居候してたとき、成己はいつも早起きだったのに。

 オレはさーっと青ざめる。カウンターに手をついて、身を乗り出した。


「な、成己は大丈夫なんすか……?! 頭とか……」

「昨日、センターで診てもらったが、異常はないそうだ。ただ、今日は疲れて起きられなくてね」

「……そうですか」


 最悪の事態じゃなかった。

 太い、安堵の息を吐くと――宏章さんが、穏やかに言う。


「成を、心配してくれてるんだな」

「当たり前っすよ! オレの大事なダチすから……オレのせいで、傷つけて……」


 後半、申し訳なくて尻つぼみになっちまった。すると、宏章さんが徐ろに問うてくる。


「今日は、兄貴に話してきたのか?」

「え。その……ハイ。一応、お見舞いに行くって。朝匡は、宏章さんと成己によろしくだそうで……」 

「そうか」


 宏章さんは、頷いた。

 穏やかな調子だけれど、いまいち何を考えているかわからない顔だ。

 もっとも、宏章さんという人は、いつもそんな感じだけど。


「今日、君が来てくれて助かったよ。俺の方も用があったもんでね」

「えっ」


 意外な展開に、目を見開く。

 宏章さんは、カウンターの上につい、と手を置いた。引いた後には、厚みのある封筒が残っている。


「え、これは……」

「君のバイト代だ。色々あって、渡せていなかったから」

「わ……ありがとうございます!」


 反射的に、頭を下げる。


――でも、給料日でもないのに、なんで?


 不思議に思って、手に取るのを躊躇っていると、「どうぞ」と促された。オレは一礼し、受け取ってみて――目を見開く。


「えっ……これ、多くないすか?!」


 宏章さんの喫茶店は、時給が高い。最初に説明を受けたとき、驚いたぐらいだったしな。

 けど、それにしても……多すぎる。オレがここでバイトをさせてもらったのは、数えるほどもないのに。


「こんな沢山、貰えません」


 封筒を突っ返すと、宏章さんは目を細める。


「気にせずに、受け取ってくれ。それだけあれば、兄貴へのプレゼントも買えるだろう?」

「いやいや……そういうわけには!」


 少し決意が揺らぐものの、断固として首を振る。


「迷惑をかけた上に、これ以上よくしてもらうわけには行かねえっす……!」

「それなら、尚更だ」

「……え?」


 どういう意味――戸惑っていると、宏章さんはにこりと笑った。


「綾人君。本日付けで、君には店を辞めてもらう」




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