第269話【SIDE:宏章】

 その事実は、明るい日差しのように、常にあの子に降り注いでいた。 

 

「中谷先生、こんにちはっ」

 

 例えば――アクティビティルームで、成と遊んでいるときなんかにも。

 主治医の中谷先生が様子を見に来たので、俺の膝に座っていた成は、行儀よく飛び起きて、挨拶をする。

 

「こんにちは。お邪魔してます」

「やあ、こんにちは。成己くん、宏章くん」

 

 一拍遅れて、俺も頭を下げると、先生はにこやかに会釈した。

 俺が成と遊んでいると、いつもセンターの職員の誰かしらが、様子を見にやって来る。

 

 ――甲斐性なしの次男坊と、仲良くなり過ぎないように見張ってるのか? 

 

 そんな、ひねくれた考えが頭をもたげたのは、最初の頃だけだった。

 

「中谷先生、あのね。ひろにいちゃんが、ご本読んでくれてたんですっ」

「そうかぁ、良かったねえ。いつもありがとう、宏章くん」

「いえ。俺も、成といるのが楽しいですから」

 

 まろぶように駆け寄った成に、中谷先生は笑み崩れている。可愛くて仕方ないというような、その表情を見ていればわかる。

 俺なんかは関係なくて――ただ、成を構いたくて、彼らがやってきているのだと。

 

 ――そりゃそうだ。成は可愛いもんな。

 

 先生を見上げ、懸命に話している小さな頭を見つめ、ひとりごちる。――笑い合っている様子は、仲のいい親子のようで、微笑ましい。

 ふと、何かに気づいた成が、明るく声を弾ませた。

 

「先生、可愛いネクタイですねっ。どうしはったんですか?」

 

 先生の胸には、猫柄のネクタイが揺れている。

 普段は地味な色の無地やストライプなどを好む先生には、意外なチョイスだなと俺も思っていた。すると、中谷先生は、照れたように頭を掻いた。

 

「ああ、これは……娘がね、父の日に選んでくれたんだよねえ」

「……!」

 

 はっとして、小さな頭に目を落とす。

 すると――成はもう笑っていた。

 

「わあっ、すてき! いいなあ」

「そうかい? 浮かれてつけて来ちゃったんだけど、おじさんには可愛すぎるかなあ」

「そんなことないですっ。先生、すっごい似合ってますっ」

 

 成が、ぴょんぴょんと弾むたびに、やわらかな髪が揺れていた。可愛らしい仕草に、中谷先生は相好を崩して、頭を撫でてやっている。

 

「ありがとうね、成己くん」

 

 成は、嬉しそうに頬を緩ませる。大好きな先生が喜んでいて、本当に嬉しいんだろう……成は優しい子だから。

 暖かな光景を眺めながら、拳を握りしめる。


 ――なんで、こんな事をするんだ。


 解ってはいた。

 センターの先生たちは、成を愛しているから――”特別の証”として、彼らの身内の話をするんだと。

 あたかも、「仕事以上の繋がりが私達にはあるんだよ」と、示すように。


「先生、すてきなこと、教えてくれてありがとう」


 成も、その想いに気づいてるから、いつも笑っている。


 ――けど……先生たちは、知らないんだ。


 満足げに去って行く、その背を見送っているとき……この子が、どんな顔をしているかを。

 次の仕事に向かうために、振り返らないから。


「成、おいで」

「ひろにいちゃん?」


 ひょいと抱き上げると、成は目を丸くする。それから、にっこりと笑って肩にしがみ付いてきた。


「ひろにいちゃん、どうしたの?」

「先生ばっかりで、寂しかったぞー。俺にも構ってくれ」

「わあっ、ごめんね! ひろにいちゃん、さみしくないよー」


 小さな手が慌てたように、俺の頭を撫でる。いとけない愛情に、頬が緩んだ。

 

 ――かわいい、成……俺が必ず、お前を救い出すからな。


 悲しい特別ばかり、大切にかき集めないですむように。

 そう胸に誓い、小さな体を抱きしめる。淡い花の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐった。

 



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