第251話【SIDE:綾人】

「……はぁ」

 

 流れてく景色を眺めながら、オレは遠い目をした。

 あのとき――成己の検査が終わったと、医師が出てきてくれたから、助かったんだ。

 

――『先生。成は……!?』

 

 廊下の惨状に驚愕する医師に、宏章さんはすぐに駆け寄った。あんなに怒ってたのに、朝匡をあっさり振り捨ててってさ。

 窒息しそうなフェロモンが一瞬で霧散して、オレは必死に咳き込んだ。

 

――『成、成……可哀想に』

 

 宏章さんは、ストレッチャーに乗せられ、運び出されてきた成己にぴったり寄り添っていた。

 看護師さん達が、朝匡を手当するべく近づいていっても、気にも止めないほど。

 成己以外は、目に入らないみたいだったんだ。

 

 

 ――オレ達は、成己に助けられたんだよな……

 

 もし、あと少し……検査が終わるのが遅かったら。朝匡は、どうなっていたことか。まさに、九死に一生ってやつだったに違いない。

 さっきだってさ。

 宏章さん、成己の後ろでめちゃくちゃ厳しい顔してたし。やっぱり、物凄く怒ってるんだと思う。


 ――仕方ない。悪いのは……


 オレは、反対側のドアに凭れるように座る朝匡を、盗み見た。

 

「……なんだ」

「いや。ひどい格好だなって」

「……ほっとけ」

 

 ふいと横を向く。憎まれ口を叩く元気もないらしい。

 

「……」

 

 誰も喋らないせいで、車内はシーンとしてる。

 

 ――気まずすぎる。

 

 たしかに、和気あいあいと話すような気分でもないんだけどさ。運転席の佐藤さんも緊張してるらしく、ハンドルを握る肩が上がっちまってるもん。

 仕方なく外を見ていれば、朝匡のマンションに向かう経路だって、気が付いた。

 

 ――流れで乗ってきちゃったけど。オレ、このまま一緒に帰っていいんかな。

 

「ついてくるな」とは言われなかったから、駄目ではないんだろうけど。

 実はさ、宏章さんと成己の手前、仲直りした体で振舞ったんだけど。オレと朝匡は、まだぎこちないまま。っていうか――まだ話し合いも出来てなかったりする。

 こいつがボコボコになってて、話せる状況じゃなかったってのもあるけど……ちょっと、気持ちの整理がつかなくてさ。

 オレはいったい、何がしたいんだろって。


 

――『朝匡!』

 

 朝匡が殴られてるとき――オレは、咄嗟に体が動いてしまった。

 頭では、成己を殴った朝匡が悪いってわかってるのに。痛めつけられてるあいつを見たら、耐えられなかった。

 血まみれでぐったりしてる朝匡を見ていたら――宏章さんに「酷い」とさえ思って……

 ぶんぶんと頭を振る。

 

 ――酷いのは誰だよ。酷いのは……

 

 朝匡のはずだと、念じるように思う。

 ……でも。

 

 ――『綾人……無事か?』

 

 朝匡は手当てを受けながら、ずっとオレの心配をしていた。自分の方が、酷い有様だってのに。顔の手当てがしづらいからと、諫められても、ずっと。

 ……オレの安否意外に、なにも気にならないみたいに。

 

 ――『無事だよ。なんにもない……』

 ――『そうか、良かった……』

 

 無事な片腕で、オレを引き寄せて。傷だらけの唇から漏れる息は、震えていた。

 心から安堵しているのが伝わってきて、オレは。 

 

「……っ」

 

 シャツの胸を、ぎゅっと握りしめる。――布地がきりきり絞れる音が、痛みそのものみたいだった。

 成己の優しい笑顔が浮かび、泣きたくなる。

 

 ――ごめん、成己。

 

 あいつに束縛されるのが嫌で、成己に助けを求めた。そのせいで、ずっと親身でいてくれたお前が、酷い目にあった。友達として――朝匡を怒って、嫌うべきだって思うのに。

 朝匡に想われているとわかって、嬉しかった、なんて。

 

「オレって、最悪だ……」

「……綾人?」

 

 自己嫌悪で呟くと、朝匡が振り返る。

 

「なんのことだ」

「いや……宏章さんに、オレも殴られとくべきだったかも、と思って」

「……馬鹿言うな」

 

 朝匡の声が一段低くなった。腕を掴まれて、胸に引き寄せられる。

 

「朝匡?」

「そんな事は許さん。もし、お前が殴られたら、俺は道理を忘れるぞ」

「……!」

「頼むから、もう無茶はするな」

 

 弱り切った声に、目を見開く。

 シャツの胸に、頬をつけていると……日なたの匂いに、きつい湿布の臭いが混じっている。それから、血と熱の匂いも。

 ぎゅう、と胸が絞られるように痛くなった。

 宏章さんに殴られた朝匡。

 オレの友達を殴って、自業自得で……でも、オレのために痛めつけられたんだ。

 そう――もとはと言えば、オレがまいた種だった。

 

「……ごめんなさい」

 

 オレが悪かったんだ。

 朝匡は、行きすぎな所もあるけど……オレを心配してるだけだって、知っていたはずなのに。束縛されることに嫌気がさして、自分をないがしろにされていると、からに籠った。

 本当は――逃げないで、ちゃんと話し合うべきだったんだよな。

 そうすれば、成己が酷い目に遭う事も無かった。

 ぎゅ、と唇を噛みしめる。自分が情けなくて、俯くと――目尻を拭われる。

 

「泣くなよ」

「……泣いてねえし」

 

 オレに、そんな資格はない。

 眉をしかめて涙をこらえていると、頭を引き寄せられた。暖かな日なたの匂いに包まれ、ハッとする。

 

「お前が悪いんじゃない。俺が馬鹿をやっただけだ」

「朝匡」

 

 朝匡は、普段の傲慢さはどこへか……切羽詰まった声で言う。

 

「今回のことで……俺が独善的なのは、認める。成己さんと宏章には、また改めて謝罪に行く。これから、お前の言い分を聞くよう、努力もするから……」

「……うん」

 

 後頭部を包まれて、仰向かされる。包帯の隙間から、黒曜石のような目が見つめている。

 

「帰ってきてくれ」

「……!」

 

 返事はのどに詰まって、言葉にならなかった。何度も頷くと、朝匡は少し笑ったらしい。顔は見えないけれど、わかる。日なたと熱い砂の匂いが、たくさん溢れ出しているから。――胸が、喜びに痛くなる。

 

「朝匡」

 

 少し伸びあがって、包帯越しに唇に触れる。朝匡は、いつものように応えようとして……包帯に邪魔され、焦れったそうに呻く。

 

「……すぐ治すから、待ってろ」

「あはは……何言ってんだか」

 

 笑いながら、朝匡が好きだと思った。

 こんなに、人に迷惑をかけて、結局はそれだ。

 好きだから――相手にも、同じように好きでいて欲しいだけなんだ。

 

 

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