第247話

 お兄さんのことを凝視していると、宏ちゃんがぼくを囲うように、腕に抱え込んだ。

 

「兄貴。そのまま黙ってるなら帰れ」

「ひ、宏ちゃん」

 

 振り仰いだ宏ちゃんの顔は、珍しく不機嫌そのもので、慌ててしまう。ぼくが怪我したことをずっと心配してくれていたから、庇ってくれてるんやってハッキリわかるから。

 

 ――どうしよ。険悪なムードに……!

 

 おろおろしていると、お兄さんがついに口を開かはる。

 

「……成己さん」

「は、はい」

 

 低い声で名前を呼ばれ、狼狽えつつ返事をする。……と、お兄さんは大股で近づいてきて、頭を深く下げはった。

 

「この度は、誠に申し訳ありませんでした」

「……えっ?」

「ずっと……こちらの事情を汲んで、綾人の世話をして貰っていたというのに。嫉妬で我を忘れ、貴方を傷つけた……人として、恥ずべき行為だった」

「お兄さん……」

 

 包帯の向こうから、もごもごと籠った声やったけれど……真摯な気持ちが伝わってくる。

 ぼくは、しばしあっけに取られて――胸の奥が、ゆるゆると安堵に緩むのを感じた。

 

 ――……すっかり、信用をなくしてしもたかと思ってたのに。

 

 ほっ、と息を吐く。

 返事をしようとして――高く抱えられたままなのに気づき、宏ちゃんを振り返る。

 

「宏ちゃん、宏ちゃん。下ろして?」

「……いいのか?」

「うん、大丈夫やで」

 

 にこっと笑うと、宏ちゃんはため息をついた。

 ゆっくりと地面に下ろされて、地面に爪先がついたかと思うと、代わりのように肩を抱かれる。――心配性な夫に苦笑しつつ、ぼくはお兄さんに向き合った。

 

「頭を上げて下さい、お兄さん。ぼくが、勝手に飛び出していったんですから」

「……しかし」

「ぼくが至らなかったせいですし。綾人のこと、誤解やってわかって頂けたんやったら、それで……」

 

 お兄さんは、気まずそうに眉を寄せた。

 椹木さんに事情を聞いて、偶然の出来事やとわかってはる様子やった。

 

 ――……誤解が解けたんやったら、良かった。

 

 宏ちゃんと、綾人のことを誤解されたままなのは嫌やったから、ほんとにホッとした。

 

「すまなかった」

 

 お兄さんは、もう一度頭を下げはった。そんな彼を、少し離れた位置で綾人は見守っている。その目に、慕わしげな感情が揺らいでいるのが見えた。

 ぼくが見ているのに気づいたのか、その目がつとこっちを向く。

 

「あ……成己」

「うん?」

「ごめんな」

 

 申し訳なさそうに言われて、首を傾げた。謝られることなんてないのに。ただ、肩を抱く宏ちゃんの手に、わずかに力が籠る。

 思わず、肩に乗った大きな手を見下ろすと、頭上で声がした。

 

「悪いが、そろそろいいか。成は病み上がりだからさ」

「ああ。気が付かずに、時間を取らせてすまなかった」

 

 えっと思っている間に、話がまとまる。

 

「邪魔をしたな」

 

 近くのパーキングに車を停めてきたらしいお兄さんは、歩き出した。――綾人に「行くぞ」って声をかけることもなく。拒絶してるんやなくて、呼んでいいのか迷っていたんやと思う。

 だって、背中が寂しそうやもん。

 

「あ……」

 

 綾人は、遠ざかるお兄さんの背と、ぼくとを迷うように見比べている。迷う必要なんかないのに。

 ぼくは、笑って手を振った。

 

「来てくれてありがとう! また、連絡するね」

「……うん、ありがと!」

 

 綾人は笑って、お兄さんの後をダッシュで追いかけていった。

 角を曲がるところで、お兄さんに追いついた綾人が、大きな背を叩く。さっそく、何か言い合っているらしい二人が遠ざかっていくのを、ぼくはじっと見守った。

 

「……ふたり、大丈夫かな?」

「ま、大丈夫だろう」

 

 思わず呟くと、のんびりと応えが返った。

 シャツの胸に額をつけると、ふわりと芳しい香りが鼻腔をくすぐる。うっとりしていたら、項を大きな手に包まれて、力が抜けてしまう。

 

「ん……」

 

 宏ちゃんは、静かな声で言う。

  

「あの二人は、番だからな。結局、離れては生きていけないんだよ」

「つがい……」

 

 さらりと言われた言葉に、ドキリとする。

 

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