第238話【SIDE:綾人】
「あ、宏章さん」
風呂上がりに、廊下を歩いてたら、ちょうど寝室からぬっと出てきた宏章さんと行き合った。
「綾人くん」
宏章さんは閉めた扉に肩をつけて、首を傾ける。二メートルはゆうに距離をあけたまま、問われた。
「成か?」
「っす。風呂上がったんで、次どうぞって言う」
いつも思うけど、超ハナシ早い。
まあ、オレが宏章さんに話しかけることって、成己かバイト以外で無いもんなぁ。
「ありがとう。成は、少し休んでるから、後で入るよ」
「えっ、成己、具合悪いんです?」
「いや。疲れが出たかな」
「はあ……そうですか……すません」
成己には、いろいろ心配かけちまってるからなぁ。
すまなくて、頭をバリバリかいてると、宏章さんが「心配するな」と言う。
「成は、君に頼られて嬉しいんだよ。君のことを慕ってるから」
「マジすか!」
えー、嬉しいんだが! 俄然テンションが上がるオレに、宏章さんはにこっと笑って頷く。
「うん。友達兼お兄ちゃんとしてな」
お兄ちゃんをやたら、強調されたのは何なんだぜ?
まあ、ヤキモチなんだろうけど。オレでもわかるぞ。
――当の成己は、あんま気づいてねんだけどなぁ。
成己は、オレのこと「にぶちんさんやねぇ」って言うけど、正直言ってアイツのが鈍感だと思うぞ。
宏章さんとか、めちゃくちゃ成己のこと好きなのに、わかってねんだもん。
チラ、と宏章さんを窺う。
「……」
「綾人君?」
今だって、寝室の前からべったり離れねーしな。ダチの見舞いくらいさせて欲しいって。嫉妬深すぎしょ。
慄きつつ、ペコリと頭を下げる。
「宏章さん、成己にお大事にって伝えて下さい。――あと、ありがとうございました」
「前半は了解だが、後半は?」
「もう成己に聞いてると思うんすけど。オレ、朝匡とちゃんと話します。長い間、お世話になってありがとうございました!」
アイツと喧嘩して、こんなにのんびり考えられたのは、初めてで……すげぇ有り難かった。実家帰ったら、「仲直りしろ」としか言われんし、朝匡が迷惑かけるから、ダチの家にも行けねぇ。
今回ばっかは、それじゃマジでキツかったと思うから。
心から感謝を込めて言うと、宏章さんは目を丸くした。
「礼なら、成に言ってやってくれ。俺はあの子を喜ばせたかっただけだよ」
「っす! でも助かったんで、宏章さんもあざす」
にっと笑って敬礼すると、宏章さんは笑った。笑ったら、朝匡と全然似てなくて面白い。
――でも、そうなんだよな。
宏章さんだけだったら、ここには来れてねぇ。
気さくな人だけど、初めて会ったときからガッツリ線引かれてんのわかったし。朝匡と喧嘩しても、匿ってくれるなんて考えたときねぇ。
でも、今回は――成己が居たから……あいつなら助けてくれると思ったんだ。
『綾人、晩ごはん何がいい?』
優しいダチの顔を浮かべて、にまにまする。
「どうかしたかな?」
「いえ。成己は良い奴だなって」
「そうだろ? でも俺のだよ」
「ははっは!」
冗談めかして、思い切り本気のトーンやないかい。
なんで、こんなアレなのに成己は気づかねーのかな。幼馴染補正てそんなデカいもん?
「んじゃあ、オレは寝ますよ! お先に失礼します」
「はい、お休み」
どんだけ待った所で、宏章さんがドアから動きそうにねぇし。オレは諦めて、退散することにして。
「あ」
ふと、振り返った。――幼馴染って言えば……気になることがあったんだ。
「宏章さん。今日、センターに行ったんすよ」
「ああ」
宏章さんは、片眉を上げた。不思議そうにしてる。
オレは言葉を続けた。
「成己は実家だって、言ってて。オレもそう思って楽しみにしてました。けど……」
センターでのことを思い、ごくりとつばを飲む。成己の笑顔と、職員さんとのやりとりと……感じた違和感。
「……成己は、ホントに」
「綾人君」
オレの問いを、宏章さんは遮った。
灰色の目が、鉄みたいに断固としてて、ハッとする。
「何も知らない。あの子は……何もわかってないから。絶対に、何も言わないでくれ」
オレと言うより、扉の向こうを気にした様子で宏章さんは言った。
それはタフでマイペースな宏章さんが、初めて見せた「願い」で。ヤバい藪を突きそうになったことに気づく。
「……!」
オレが何度も頷くと、宏章さんはもとの顔に戻った。
「ありがとう」
「いや……すません」
オレは、頭を下げた。
何も聞けなかったけど、宏章さんの反応でオレの予想が正しいのはわかったから。
しんみりしてると、宏章さんが言う。
「謝んなくていい。成を心配してくれたんだろう?」
「……っす」
「その感情は有り難いよ。成は君を慕っているから、嬉しいだろう」
とことん一貫してる宏章さんに、思わず笑った。
――この人がいるのは、成己にとって良かったんだろうな。
つくづく思う。成己は、この人のことが好きで……それ以上に、必要なんだ。
でもさ。
「お兄ちゃん兼ダチすから、当然す!」
オレはぐんと胸を張る。
頼れる存在は、一人じゃなくてもいいっしょ?
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