第224話

 ――どうして椹木さんがここに……?

 

 ぼくは、和やかに挨拶を交わしつつ、椹木さんのまわりが気になって仕方なかった。

 だって、伴侶のいるアルファがセンターに来る用事なんて、一つくらいやんね?

 この近くに、”例のあの人”がいるんやないかって、気が気やない。なんたって、今会いたくない人ナンバーワンやから。

 

「あのう、椹木先生。今日はお一人なんですか」

 

 と、綾人がずばりと切り込んでくれた。すごい綾人……と内心で手を合わせていると、椹木さんは穏やかに答える。

 

「はい。本日は、私用ではありませんので」

 

 それから、中谷先生に目を合わせる。先生はにっこりと笑って、頷いた。

 

「椹木様は、センターにとってなくてはならない方ですから。本日も、素晴らしいお話を持ってきてくださってね」

「いえ、そんな。こちらこそ、中谷先生にはいつもお世話になっております」

 

 お二人のやり取りに、ぼくははっとした。

 そうでした。椹木さんのお仕事は、製薬会社の所長さんやってこと、すっかり失念してた。

 

 ――蓑崎さんの婚約者さんやってインパクトが、強すぎて……

 

 たらりと冷や汗をかく。長年の恩人の経歴をうっかりしてしまうなんて、恐るべき蓑崎さんへの苦手意識……!

 反省しつつ、先生と椹木さんを見比べる。――二人が小脇に抱える四角い鞄に、小さいころから何度も見た光景が、ふと思い出された。

 

『成己くん、ごめんね。少しだけ待っていてくれるかい?』

 

 中谷先生を訪ねてくる、きっちりしたスーツを着た男性たち。場所は診察室だったり、詰所だったりまちまちで……スーツの人も毎回同じ人じゃなかったけど。

 いつも、四角い鞄を持った人たちが来ると……お薬が変わってん。

 

 ――……素晴らしいお話って、ひょっとして新しいお薬かな? もし、新しい抑制剤だったら……たくさんのオメガにとって、朗報になるに違いない。

 

 なんて色々想像して、期待に胸がふくらんだ。

 

 

 それからね。中谷先生は、椹木さんを送るところだったそうなので、お別れしたんよ。

 二人の背を見送ってから、ぼく達も図書室に向かった。ぼくらの他に利用者はいなくて、のんびりと利用させてもらって。綾人は勉強、ぼくは読書とマイペースに時間を過ごす。

 

「なあ、成己。これ教えて」

「これは……ええと。ちょっと待ってね、参考書持ってくる」

 

 図書室のありがたいのは、解らへんことがあってもすぐに調べられることやね。

 ぼく達は、宏ちゃんから連絡が来るまで、そこで勉強に没頭した。

 

「うーん、捗った~」

「綾人、すっごいテキスト進んだよね」

「おう!」

 

 ロビーに向かう綾人の足取りは、弾むみたいやった。

 和やかに談笑しながら歩いていると、「成ちゃん」と呼び止められた。振り返ると、涼子先生が手を振りながら、駆け寄ってきはるとこやってん。

 

「涼子先生!」

「ああ、良かった。帰るまでに間に合って……」

 

 胸を押さえて、肩で息をする先生にぼくも駆け寄った。

 

「先生、走って来てくれたん? ありがとうねえ」

 

 今日は忙しくしてるって、他の職員さんから聞いてたから、嬉しい。

 にこにこしながら背中を擦っていると、先生は「おおきに」と身を起こす。

 

「もう大丈夫や。――野江様、お騒がせしてしまって申し訳ないです」

「あっ、いえいえ! 全然すよ」

 

 綾人は、ぶんぶんと頭を振る。ぼくは、綾人に涼子先生を紹介した。綾人はすぐに笑顔になり、先生と握手をかわした。

 

「ああ、この方が噂の! はじめまして、田島綾人です」

「ご丁寧にありがとうございます。立花涼子と申します、成己くんがお世話になってるそうで……」

「いやいや、こちらこそ!」

 

 和やかに談笑するふたりを、ぼくは嬉しい気持ちでみくらべた。

 涼子先生は、ぼくがお世話になって来たお姉ちゃん先生で、綾人はぼくのお兄ちゃんで友達やから。大切な人に大切な人を紹介できるって、いいね。

 

「涼子先生、めっちゃ忙しいって聞いたよ~。新しい子を受け持つって」

「そうやねん! もう目がまわりそうやわ。って言うのも、成ちゃん以来の零歳児の受け持ちでな。しかも、成ちゃんときと同じ居住区やねんで」

「ええっ、そうなん! すごい偶然やねえ」

「せやろ! 私も驚いたわ」

 

 驚きに声を上げると、涼子先生は頬に目いっぱいの笑みを浮かべた。

 

「赤ちゃん来る前に、壁紙も床もみーんな張り直さなあかんやろ。そのチェックが大変で……」

「そうなんやあ。ぼくのときも、大忙しやったて言うてたもんねぇ」

「えっ」

 

 びっくりしてる綾人に、ぼくは説明する。

 親兄弟以外のオメガのフェロモンに、ストレスを感じるオメガもいる。やから、センターでは居住者が入れ替わるたびに、居住区を大改装するんやで。

 

 ――『たくさんの人が、大事なお金と時間をかけて作ってくれたお部屋やからね。大切に住むんやで』

 

 って教えてもらったときは、身も引き締まる思いでした。

 

「そうなんだ……」

「ええ、もうくたびれますわ。まあ、楽しみなんが一番ですけどね。任せてもらえるなんて、有難いことやし」

「ふふ。その子も、涼子先生が教育係でラッキーやわ。ぼく、ほんまに幸せやったなーって思うもん」

「成ちゃん……おおきに」

 

 声を滲ませた先生につられて、ぼくもちょっと目が潤んでしもた。

 

「ほな、成ちゃん。気をつけて帰りや! 綾人さん、お会いできて良かったです。失礼しますね!」

「はい、さようなら!」

「こちらこそ!」

 

 ぎゅっと手を握って、来たときと同じように慌ただしく、先生は戻っていった。弾むポニーテールを見送っていると、綾人に肩を引き寄せられた。

 

「わっ、どうしたん」

「……うん」

 

 なんだかしょんぼりしているように見えて、ぼくは目を丸くする。肩に寄せられた頭を、ぽふぽふと撫でる。

 

「ごめんね。疲れちゃった?」

「いや。なんかごめん……オレ、部屋見たいなんて言って」

「あっ、ううん。ごめんね、話しが流れてしもてて!」

 

 お家に帰ったら、アルバムがあるから見て貰えるやろか。けっこうお気に入りのインテリアやったから、興味持ってもらえてうれしい――そう言うと、がばって抱きしめられる。

 

「あ、綾人?」

「……オレ、頑張るわ!」

 

 顔を上げた綾人の瞳に炎が燃えていて、ぼくはちょっと狼狽える。

 

「なんでっ? もう頑張ってるよ」

「サンキュ! でも、もう決めた……いっぺん、朝匡と話す!」

 

 突然の、決意の籠った宣言に、ぼくは「ええっ!」と叫んでしまった。

 

 

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