第222話【SIDE:朝匡】

「話を戻すが。兄貴は、綾人君とちゃんと話した方がいいんじゃないか?」

 

 サンドイッチの包みを剥ぎながら、宏章は飄然と話題を戻した。俺は、チッと舌打ちする。

 

「ふざけんなよ。綾人を匿って、会わせねえのはてめえだろ」

「ん? 俺が「会わせない」なんて言ったか?」

「どの口が――店に近づくだけで威嚇しやがるのは、どこのどいつだ」

 

 なめんな。

 俺だって、激務の合間を縫って、何度も綾人の様子を見に行ってるんだ。だが、ボンクラのお前が遠慮なしに威嚇しやがるせいで、阻まれてんじゃねえか。

 強引にブチ破ったら、殴り合いしか残っていないようなそれを……学生時代ならまだしも、今の俺は買うことは出来ねえ。

 

 ――野江の後継が、兄弟と乱闘騒ぎなんて起こすわけにいかねえと、解ってやってやがる。

 

 忌々しい気分で歯噛みしても、宏章はどこ吹く風で咀嚼している。……こいつ、殆どてめえで食ってるじゃねえか。俺が胡乱な目で見つめていることも知らず、宏章は悠長にコーヒーを飲み、ふうと息を吐いた。

 

「別に、兄貴だけを警戒してんじゃないからな。俺にも色々ある」

「あ? 何か恨みでも買ってんのか」

「はは。逆だよ、逆……」

 

 宏章は一しきり肩を震わせ、愉しそうに指を組んだ。

 

「そろそろ、頃合いだなぁと思ってんだ。ぶっちゃけて言うと、俺はいま兄貴どころじゃないね」

「……何やるつもりかは知らんが、家に迷惑かけんなよ」

「あはは。わかってるさ」

 

 上機嫌に鼻歌でも歌いそうな様子に、嫌な予感しかしない。

 まあ、こいつも野江家のアルファとして、最低限の分別は持ってるはずだ。自分の精神衛生の為にも、そう考えておくべきだ。

 と、俺は――目の前のアホが、持参した土産を全ててめえで食う非常識をかますのを、じっと見ながら思った。

 

「ともかくさ、兄貴。俺はあんたが、ちゃんと話し合うつもりで来るなら、拒んだりしないぜ」

 

 コーヒーを飲み干し、ウェットティッシュで手を拭うと、一息ついたように宏章は言った。

 

「本当だろうな。そんなこと言って、また邪魔しやがったら……」

 

 今まで散々邪魔された分、にわかには信じがたい。

 じっとねめつけてやると、宏章はムカつく呆れ顔で、見返してくる。

 

「そんな事、する意味ないだろ。あんたらが拗れてる以上、話し合う以外に解決策は無いんだ。俺はな、そういう場の提供とレフェリー役を買って出てやるつもりだってある。ただ、綾人君を強引に連れ戻すのだけは、勘弁しろって言ってんだ」

「……何だてめぇ。今回は、やたら優しいな」

 

 今までになく、綾人に肩入れしている弟に胸がざわつく。

 

 ――この野郎、そう言えば最初からおかしい。……今まで、俺と綾人の事にはノータッチだったくせに、やけに首突っ込んできやがって。

 

 俺達兄弟は、三人そろって家を出てるから、さほど顔を会わせる機会はない。海外にいる妹より、国内でチャランポランしてるこいつとは、ちっとくらい頻度が高いくらいのもんだ。

 だから綾人も、宏章とは俺の弟として面識があるくらいで。こいつの家を頼るなんて、初めての事だった。 

 宏章は、俺の苛立ちを嗅ぎ取ったのか、目を細めた。

 

「止せよ兄貴。可愛い弟にまで」

「クソが、可愛いわけあるか」

「心配しなくても、俺のスタンスは今まで通りだぞ。ぜーんぜん、「兄貴たちがどうなろうが、お好きにどうぞ」って思ってる」

「ほう? じゃあ、今回はどうしたワケで親切なんだ?」

「成だよ。あの子が、すごく頑張ってるから、上手く行って欲しいんだ」

 

 宏章は笑って、蜂蜜をどろどろに煮詰めたような、甘ったるい声で答える。

 げえっと思ったが、顔には出さずに「そうかよ」と頷いた。

 

「可愛い弟の親切は、無駄に出来ねえな」

「うん。ごちそうさま」

 

 皮肉をスルーし、宏章は手を合わせた。さっさとゴミをまとめて、帰り支度を始める。

 

「そう言うわけだから。彼と話し合う気持ちになったら、いつでも来いよ」

「……」

「あ、忘れるとこだった」

 

 頷くのも業腹で、黙っていると――宏章が、ランチバスケットの底から、何か取り出した。

 デスクの上に、ソフトボール大の黒いものがごろんと二つ置かれる。

 

「なんだこれは」

「お握りだろ。これは兄貴宛だから、置いておくぞ」

「はあ?」

「手のかかる兄貴は、メシもろくすっぽ食ってねえんじゃねえか、だとさ」

 

 ひらりと手を上げると、宏章はさっさと帰って行った。わけが解らねえ上に、最後まで勝手な野郎だ。

 




「ったく……」

 

 不格好な握り飯を、手に取った。

 ずっしりと、でかさに違わぬ重量感が伝わる。黒い海苔に覆われたそれは、お世辞にも美味そうとは言えない。

 だが、何故かうっちゃっておく気になれず、ラップを外し、口に運ぶ。

 

「……ゲホッ!?」

 

 一口齧り、咳き込んだ。

 

「何だこれ、辛ぇ!?」

 

 その上、独特の臭気とねばつく食感。恐る恐る、飯の玉を半分に割り……目を見開く。

 

「これは……納豆とキムチに、ゆで卵か? どういう取り合わせだよ!」

 

 パンチの効いた臭いに、午後も仕事があるのに、どうしてくれんだ宏章の野郎――そう思ってから、ハッとする。

 こんな酔狂な飯を、嬉しそうにかき込んでいた奴が浮かんだ。

 

『いいじゃん! 栄養がある上に、ヘルシーでうまい!』

 

 山盛りの白米にキムチと納豆、ゆで卵を乗せたどんぶり飯。あいつが得意メニューだと、よく作っていた。

 

『ぐおっ、辛すぎる! お前、舌がどうかしてんじゃねえのか?』

『何だよ、美味いだろ!? 文句あるなら、カマボコでも齧っとけよ!』

 

 ぎゃあぎゃあと言いながら、食卓を囲んだことを思い出し、ぐっと胸に詰まる。

 この握り玉は、間違いなく綾人の手作りだ。

 スパイシーな臭気を放つ握り飯に、もう一度かぶりついた。

 

 ――綾人……

 

 やっぱり、美味いとは思えない味だ。辛いし、匂いはきついし、飯粒は握り過ぎて潰れてる。

 だが――やたらと胸に染みる。食べるごとに、どっぷりと寂しくなって、綾人が恋しくなった。

 

「……はぁ」

 

 二つ、勢いで完食してしまい、俺は息を吐く。

 しばらくぶりに固形物を入れた胃が、ぎりぎりと軋んでいた。だが……体の内側から、ほこほこと温もる気分も、久しいものだった。……悪くない、そう思える。

 

 ――くそ……話し合い、するしかねえか……

 

 今でも、何が悪いのかはわからない。

 だが――そろそろ、あいつの不在が、身に染みて堪えてきているらしい。

 

「宏章の思惑通りはムカつくが……成己さんにも、あんま迷惑かけっと悪いしな。仕方ねえ」

 

 そう決めちまうと、俺はさっと片付けをしてから、フリールームを後にした。

 来たときより、ずい分マシな気分になっていた。

 

 

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