第221話【SIDE:朝匡】

「朝匡、お前に面会が来てるぞ」

 

 同僚のシウに声をかけられ、俺はモニターから顔を上げた。

 面会の予定なんか無かった筈だが――そう思考してから、ある面影が浮かぶ。

 

「誰だ?」

 

 食い気味に尋ねた俺に、シウは肩を竦める。

 

「彼だよ」

 

 そう言って、体を脇に逸らしたときに、ラボの入口にでかい人影が立っているのが見えた。

 

「!」

 

 想っていた相手ではない解り、知らず舌打ちが漏れる。

 あいつどころか――ウザく、厄介でしかない野郎。

 俺とよく似た顔立ちに、忌々しいほど暢気な笑顔を浮かべた弟に、米神が引き攣っちまう。

 

「帰れ! と伝えとけ」

 

 モニターに向き直ると、シウが呆れ声で言う。

 

「そんなわけに行くか。せっかく、弟が訪ねてきてくれたんだろ」

「ただの暇人だ」

「またそんな事を。いいから行けよ。そんで、ランチでもして一時間は帰って来るな。お前がずっと缶詰めなせいで、みんな気兼ねしてんだから」

「……」

 

 俺は、渋々席を立った。

 ゲートを出ると、宏章はへらへらと笑みを浮かべ、手を振っている。

 

「よう、兄貴。昨夜ぶりだな」

「宏章……何しに来た」

「チェさんに聞かなかったのか? 飯だよ」

 

 宏章は、片手に提げたランチバスケットを得意気に振った。

 

 

 

 

 

「あれ? 一階のダイニングじゃないのか。あそこの方が、いい景色なのに」

 

 空室のフリールームに案内すれば、宏章は不平を述べやがる。いちいち煩いやつだ。

 

「お前の格好のせいだ。だらしねえ服で、社内をうろつかれちゃ困るからな」

「へぇ。心配してくれてありがとな」

 

 せっかくの嫌味をスルーし、宏章はパイプ椅子に腰かける。

 ランチバスケットをデスクに置いて、中から色々と取り出し始めた。出るわ出るわ、山ほどのサンドイッチ、紙の器に入ったサラダ。それからコーヒー。店でもするつもりか、こいつは。

 

「おい……」

「兄貴も座れよ。話は食いながらでいいだろ?」

「俺はいらねえ。さっさと用件を話せ」

 

 苛々と、せっついてやった。仕事を中断させる弟なんぞと、メシを食う気分じゃない。

 

――綾人の話をしに来たに決まってるのに、何を勿体ぶってやがる? 

 

 と……宏章は、可哀想なものを見る目で、俺を見た。

 

「……これだから、兄貴は。そんな言葉、これを作った人が聞いたら、悲しむだろうな」

「え?」

 

 このランチバスケットは、宏章の私物のはずだ。てっきり、こいつが作ってきたのだと思ったが、違ったのか?

 淡い面影が候補に浮かび、動揺する。

 

「まさか、成己さんか。そりゃ、悪かっ……」

「はあ? なんで成の飯を、兄貴なんかに食わせないといけないんだよ。俺が作ってきたに決まってんだろ」

 

 こいつ、ぶん殴ったろか。

 体の脇で拳を固めていると、宏章の野郎は、手を合わせて食い始めた。

 

「食うのかよ!」

「俺も食ってないんだよ。で――話はしないのか? 食い終わったら帰るぞ、俺は」

「……チッ」

 

 椅子を引いて、ドカンとケツを下ろす。宏章はむかつく横目で見た後、二つ目のサンドイッチにかぶりつき、飲みこんでから言った。

 

「綾人くんだが……なかなか元気を取り戻してきた。メシも睡眠もとれてるそうだ。トレーニングと勉強にも、前向きに取り組んでる」

「……そうか」

 

 知らず、息を吐く。思い出されるのは、家で最後に見たやつれた横顔だった。

 ……少しは回復したのか。

 

「礼なら、成に言ってくれ。あの子が傍について、色々世話を焼いてくれてるから」

「……ふん。最初からそのつもりだ」

 

 優しげな義弟に感謝の念が湧く。里心がついている綾人には、いい癒しとなったに違いない。

 

「今夜、すぐに綾人を迎えに行く。世話になったな」

「はあ?」

 

 宏章は、片眉を跳ね上げた。

 

「兄貴さ、単細胞って言われないか?」

「あ?! てめえ、誰に向かって――」

「だって、考えてもみろよ。兄貴と離れて、綾人君は具合が良くなったんだぜ? 兄貴んとこ戻ったら、またくり返しじゃないか」

「ぐっ……」

「どうせ、自分の何が悪いかなんて、解ってないんだろ?」

 

 流れるような指摘の嵐に、ぐっと言葉に詰まる。

 

 ――くそ、この野郎。ちゃらんぽらんのくせに、言いたいこと言いやがって……

 

 しらっとした顔で、フォークにレタスを大量に突きさしている弟を睨む。

 大体、俺の何が悪いってんだ。 

 今、考えてみても――俺の言いつけを破り、こそこそと働いていた綾人に問題がある。酒を出すような店で、大したボディーガードも連れずに。あいつには、オメガとしての自覚が無さすぎだ。

 

 ――『どうしても欲しいものがあったんだよ!』

 

 ふと必死な顔で怒鳴りつけてきた、綾人を思い出す。

「俺に言えばいい」と、「なんでも買ってやる」と言ったのに、あいつは頑として首を縦に振らなかった。

 どうして、そんなに意固地になるのか。身を危険に曝す程の事なのか?

 

「俺は――あいつがホイホイと危険な目に遭うのが許せないだけだ。万一のこと、なんて考えるのも忌々しい。アルファなら、誰でもそうだろうが」

「まあ、解らんではないな」

 

 宏章は、ずずとコーヒーを啜る。こいつもアルファ……所詮は同じ穴の狢だ。

 オメガに惚れたが最後、欲しくて欲しくて、気が狂っちまいそうな――そんな病気にかかっている。

 

「けど、兄貴は極端すぎるんだよ。俺には考えらんないよ。可愛い恋人を束縛し過ぎて、泣かせるなんてさ」


 そのくせ、分別臭いことを言うからムカついた。


「黙れッ。お前の方こそ「山を買ってくれ」とか言ってただろうが」

 

 四年ほど前に……俺の家にふらっとやってきて、いきなりそう言ったのはどこの誰だ?

 ハイキングやソロキャンプの為か? なんて、聞くのも馬鹿馬鹿しいような面をしていやがったくせに。

 

「はは。あの時は、”美味しい松茸の生える”山をありがとな。今年は成と行くつもりだよ」

 

 宏章は、くっくっと喉を鳴らして笑う。

 くそ、すっかり対岸の火事みたいなツラしやがって。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る