第211話【SIDE:陽平】

 成己のことが、わからなかった。

 ……ご機嫌で、お人よしで。少し頼りないけど、純な優しい奴。それが成己だと思っていたのに……いまのあいつは、くだらない嫉妬で晶を不幸のどん底に陥れようとしている。

 

『許さへんから……!』

 

 涙でぐしゃぐしゃになった、険しい顔。二度とほほ笑まないのではないかと思うほどの、激しい怒り。

 あんな成己は、初めてだった。

 

 ――俺が見ていたあいつは、全部嘘だったのか? 

 

 胸に重石を乗せられたようだった。……もう、何も考えたくなかった。

 だから、晶の為に成己を切り捨てようと、決めたんだ。 

 フリーのアルファに戻って、晶が椹木に捨てられたとき、俺が受け皿になってやろうって。

 

『また捨てられる。だれも、助けてくれない……!』

『そんな事ないわ。晶ちゃんをセンターになんて、行かせるものですか』

 

 なにしろ、共に帰った俺の実家でも、晶は泣き続けていて。母さんの慰めも届かない有様に、とても放っておけなかったし。

 

『もう、自分からセンターに行こうかな……成己くんに、センター行にされたなんて、思いたくないし』

『晶……』

 

 気の強い晶が、身も世もなく泣くのは、痛々しかった。

 晶をここまで追い詰めたことを、成己も、思い知るべきだと思った。あいつは愛されて育ったから、人間がどれだけ利己的か、知りもしない。

 問題ってのは、話し合って解決できないことが殆どで。それがトドメになることもあるってことを。

 

『成己と、婚約破棄したい』

 

 決意を話すと、母さんは強く後押ししてくれた。

 すぐさまセンターに赴き、婚約破棄の手続きをして。あとは、縋りつく成己を振り払って……俺は晶に言ってやった。

 

『もう心配いらねぇ。俺がセンターになんか、行かせねぇから』

『え……本当に?』

 

 力強く頷くと、晶の瞳に光が点った。泣き笑いで、飛びついて来たあいつを抱き留めて――これで良かったんだと思った。

 晶を守る。晶には、俺しかいないんだから……

 縋りつく腕の強さが、愛情と感謝の表れだと信じていた。

 

 




 

 

「……」

 

 陰り始めた光が、窓から振り込んできて、額を撫でる。床に転がった体には、倦怠感がまとわりついていた。

 

 ――なのに、全部嘘だった。

 

 色々と考えているうちに、ずい分と時間が経っていたらしい。一人、天井を見上げていると……喉を締め付けられるように、息が苦しくなる。

 拳を振り上げて、床を叩く。どん、どん、と鈍い音が連続するほどに、手が痛み始める。

 

「俺だけってのは、何だったんだよ……」

 

 文句を呟くことさえ、怠い。もう、今までの全てが、解らなくなっていた。

 だって、晶が椹木を愛していたなら……どうして、「俺だけ」なんて言ったんだ? どうして、婚約者と向き合いたいと、一度も言わなかったんだ。

 

――『俺には、お前だけ……離さないで!』

 

 涙を流して、抱きついて来たのは? あれは、セックスの最中の戯言だったとでも言うのか。

 ぐしゃぐしゃと髪を掻きむしった。苦心して抱えていた荷物が、今さら他人の所有物だったと知らされたような気分だった。

 

 ――晶の奴……どういうつもりなんだよ!

 

 椹木に惚れているかと訊いたときの、真っ赤な顔が浮かぶ。――関係を持った男の前でするには、あからさまで、あまりにも配慮がない反応。

 もし、俺に少しでも悪いと思っているなら……あんな風に振舞わない。


「……っ」


 噛み締めた奥歯から、くぐもった呻きが漏れた。

 それほど好きなら、なにを躊躇してたんだよ。


「くそ……」


 胸の奥が、ぐらぐらと煮詰められるように熱くなる。晶への信頼や、期待を取り戻そうとしても、上手くいかない。

 信じられないほど、ガッカリしていた。

 

「はっ……」

 

 自嘲する。

 俺は――晶のことは、友達だと思っていた。だけど、”晶には”特別に想われているのではないかと、どこかで思っていたらしい。

 馬鹿馬鹿しい、自惚れだった。

 でも、仕方ないだろう? 俺の知ってる晶なら、好きでもない男に何度も抱かれたりしない。まして、本命の男と向き合うのを逃げるためなんて。

 そんな、ばかげた理由でなんて。


 ――だったら、俺は! 何のためにこんなことをしてるんだ……!?


 全て、徒労だったのか。――晶の為に、あれこれ尽くした自分は、道化だったとでも。


「馬鹿みてえ……」


 友人が嫌いな奴と婚約してるんじゃないって、思えれば楽なんだろうに。どうしても、そんな風には思えない。

 晶に騙された――そんな気分が拭えなくて、吐きそうなほどに苛立っている。

 また拳を振り上げた……そのとき。

 

 ――『陽平に頼るのを悪いと思うなら、尚更、ふたりで解決せな……』

 

 突然、成己の必死に訴える声が甦った。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る