第206話【SIDE:陽平】

 思えば、その片鱗が見えたのは――成己が「襲われかけた」と言った時だったかもしれない。

 

『本屋さんで、変な人に絡まれたん……偶然、居合わせた宏兄が助けてくれて、なんもなかってんけど。フェロモンのせいやないかなって、怖くて……』

 

 その日、ひどく不安そうな顔で、成己は訴えてきた。

 じっと俺を見上げる目には――「側に居て欲しい」という期待が見えるようで。その様子に、むらむらと怒りがこみ上げた。

 

 ――襲われたなんて、そんな簡単に言えることか? 晶は、誰にも言えずに悩んでいたのに。

 

 そもそも、開花前の成己のフェロモンは温和だ。

 俺でさえ、理性が揺るがされそうになる晶のフェロモンと、あまりに性質が違う。幼げな容姿と相まって、他人の欲情をそそったりしないはずだ。

 詳しく聞けば、やはり顔見知りの店員だったらしい。

 

 ――何やってんだよ……ほいほい勘違いさせやがって!

 

 成己は、不必要に愛想が良いところがある。誰にでも笑いかけて親切にしてやるせいで、勘違いされてしまうこともしばしばだった。出会ったときから、何度苛ついたか知れない。

 襲われない様に気をつけていても、怖い目に遭う奴がいるのに――成己の軽率さに、腹が立って仕方なかった。

 

『俺にどうしろって?』

『え……』

 

 きつい言葉をぶつけてやると、成己は目を見開いて、「信じられない」と言う顔をした。青褪めて、しどろもどろに弁明し始めるのが、後ろ暗いことがある証に思えて、苛立ちが治まらなかった。

 そもそも、「野江に助けられた」だなんて……他のアルファを引き合いに出すところも、あてつけがましい。

 

 ――お前は、俺のオメガだろうが。もっと自覚持てよ!

 

 俺の存在を軽んじられた気がして、めちゃくちゃ面白くなかった。

 その後、晶が成己に自己防衛の大切さを説いてくれなければ、もっと怒鳴っていたかもしれない。

 

『ごめんなさい』

『……っ』

 

 泣きそうに、小さくなっている成己を見たとき――少し罪悪感が湧いたけれど。厳しく言うのは、あいつの為でもあると思った。

 晶と一緒に居て、オメガがどれだけ危険と隣合わせが、初めて知った。

 成己と過ごす日々に、そんなことは感じなかった。だから――不注意で、身を危険に曝して、傷つくのは成己なんだ。

 

『陽平。成己くんって、世間知らずなところあるし……そう責めてやんなよ。世話になってるぶん、俺が色々教えてやるから、安心しろ』

『……サンキュ。頼む』

 

 晶の申し出が有り難かった。成己も、これでしっかりするだろうって。

 そう思ったのに、間違いだった。

 成己は、俺の心配も晶の気遣いも、全部ふいにし――あろうことか、野江を頼り始めた。

 


 

 

『なんで、野江の奴と……!』

 

 晶の付添いで行ったセンターで、野江と寄り添っている成己を見た時、愕然とした。

 

 ――あれ程、言ったのに。フリーのアルファの側に居るって、馬鹿なのか?!

 

 成己は悪びれるどころか、俺に反抗さえした。

「大切な用の付き添いを頼んだだけだ」、「陽平が無視するから悪い」と。

 確かにその日、俺は成己を無視した。だが……前夜、近藤に襲われた晶を庇いもせず、責めるような真似をしたあいつに、お灸を据える意図だった。

 

 ――『ひどいよ。ぼくのことは、怒るのに……』

 

 晶を悪者にした成己に失望しなかったのは、あいつへの友情のたまものだ。

 自分が未開花だからって、晶の苦労を解りもせず……俺を責めるなんて、馬鹿な真似だと。くだらない嫉妬は止めて、自らを省みて欲しかったのに。

 反省するどころか、野江を頼るなんて――俺が思っていたより、成己は余程したたかな奴だったらしい。

 

『俺の都合がつかなきゃ、他の男を頼るのかよ! 晶とは大違いだな』

 

 正直、裏切られた気分だった。

 成己は――裏表がない、良い奴。世間知らずの、純なお人よし。そう言う、自分の中の「評価」が覆るような感覚。

 息苦しいほどに腹が立って、成己に色々と言葉をぶつけたと思う。けれど、成己は傷ついた顔をしても、反抗し続けた。――野江を悪く言うのを止めろ、と。

 その頑なさに、ますます焦燥した。

 

 


 

『何よ、それ! 成己さんって、やっぱりセンターのオメガね。慎みがないったら』

 

 成己の顔を見たくなくて実家に帰れば、母さんが待ち構えていて。根掘り葉掘り聞かれる内に、事情をすべて話してしまっていた。

 アルファとして、叱責されるのかと思いきや、母さんは烈火のごとく成己に怒った。

 俺の方が狼狽えて、成己を庇うほどの勢いで。

 

『慎みが無いって。成己と野江は、幼馴染だし……さすがに、浮気なんて』

『甘いわよ、陽平ちゃん。オメガはねぇ、その気のないアルファと二人きりになんてならないの!』

 

 母さんは、きりきりと眉をつり上げていた。

 

『間違いが起きたに決まってる。だから、アルファの店でバイトなんて反対だったのに。お父さんが甘やかすからだわ』

 

 成己が野江の店で働きたいと言った時、母さんは猛反対していた。俺も嬉しくはなかった。ただ、父の言いつけで進学を諦めた成己に、それまで制限するのは流石に憚られて、口を噤んだ。

 その思いが――こんな形で、裏切られるとは思わなかった。

 

『許せないわ。晶ちゃんは、酷い婚約者で我慢してるのに。成己さんたら浮気して、うちの子をないがしろにするなんて』

 

 俺を気遣う母さんの言葉が、胸に刺さった。やはり、客観的に見ても、成己は俺に当て付けようとしているとわかって。

 

――あの成己が、俺に不満を持って、野江と浮気を……? 

 

 そんな奴じゃない。

 流石に、浮気なんて……成己は、そんな汚い奴じゃないはずだ。

 成己のことが、わからなくなりかけていた。

 

 

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