第204話【SIDE:陽平】
自室に籠り、俺はぼんやりと床に寝そべっていた。晶が、いつ帰ったかもわからない。興味も無かった。
俺の頭を占めていたのは、「晶が椹木に惚れていた」と言う、馬鹿馬鹿しい事実だけ。
――何だよ。まるで、話が違うじゃねえか……
俺は、天井を睨みつける。
思い起こすのは、晶が椹木と婚約したと、聞かされた日のことだった。
『晶ちゃんのお父様の意向で、婚約が決まっちゃったんですって。椹木家のアルファで、十も年上の人なのよ』
あれは、七年前――俺が中学に上がったばかりの頃だった。中二だった晶は、椹木との婚約を決められてしまった。
夕飯の最中に、母さんから聞かされた俺は、思わず箸を取り落とした。
『……晶が、結婚? 嘘だろ!』
『本当なのよ。可哀そうに、晶ちゃん……そんなよく知らない人となんて。蓑崎さんも酷いことするのね』
俺はあいつが見合いをしていたことも知らなかったし、完全に寝耳に水で。しきりに心配する母さんの言葉を、信じられない思いで聞いていた。
――晶が結婚……あいつ、大丈夫なのか!?
晶は、自らのオメガ性を否定している。
小五で第二次性徴を迎えてから、その傾向がますます顕著になっていた。一度、ヒート明けに体調を気遣ったら、ボコボコに殴られて。
――『死ねよ、変態!』
青タンだらけにされたけど、気の強い晶が泣いているのを見たら、悪かったと思った。それ以降、きつい抑制剤を飲んでまで、俺や周囲にそれを悟られまいとする姿を見れば、尚更だ。
そんなあいつが、アルファと婚約だなんて……
俺は晶の精神状態が心配で、何度も蓑崎家に向かった。
『帰れよ、くそアルファ! お前の顔なんて、金輪際見たくない!』
『……ごめん』
けれど、晶に会うことは出来なかった。
悲痛に泣き叫ぶ声を、ドア越しに聞くばかりで……俺は、無力だった。
――後継者から外されても、俺達は友達だった。でも、流石に限界かもしれない……
結局、話すことも叶わないまま――晶は留学することになり、アメリカへ旅立った。婚約者の椹木と離れ、俺や母さんとも交渉が途絶えた。
母さんはしきりに心配して、アメリカに押しかけそうなほどで。
一度、仕事の都合でアメリカへ行った父さんが、「晶君は元気にやっている」と音信を伝え、ようやく落ち着いた。
それから、晶について一切の便りも無くなった。
その分、ずっと心残りだった。
『あれ。お前、陽平?』
『晶……?!』
だから、晶と再会したときは驚いた。
近藤に、客寄せとして参加させられたテニスサークルの新歓で――全くの偶然だった。
『久しぶりだなぁ! 何、お前。全然変わってねぇじゃん!』
晶は笑って、俺の肩を叩いた。あんな形で別れたことも、七年のブランクも感じさせない態度で。そのことに、長年の胸のつかえが取れる気がした。
『うるせぇな。俺だって、色々あったんだよ』
『はは。陽平ちゃんのくせに、生意気。ママは元気してるか?』
俺たちは、安い居酒屋を抜け出し、差しで飲んだ。――楽しい酒だった。離れていた時間の、答え合わせのようにしゃべりまくって。晶もまた、ずっと上機嫌だったのが嬉しかった。
だって、二度と会いたくないと言われたのに、こんな風に笑い合えるとは思わなかった。
『お前が、婚約!? へぇ、そんな奇特な子がいたんだ?』
『んだよ。悪いか……』
俺が婚約したことを話すと、晶は驚いていた。
しきりに成己のことを聞きたがるんで、俺はかなり照れくさい思いをする羽目になり、幾分酒を過ごした。その流れで、成己に会わせることを約束させられちまうほど。
『くそ……揶揄いやがって』
『いいじゃん、幸せなんだからこんくらい……羨ましいなあ』
『……え?』
晶は、暗い顔で呟いた。
その夜は、それだけだったけど――婚約者と上手くいっていないと、わかるのは直ぐだった。
学年と学部は違うものの、同じ大学に通っていることがわかったんだ。俺たちは、それから頻繁に会い、交流を深めていった。
『わあ、この子が成己さん? 可愛いじゃん!』
ついに成己に紹介した夜、晶はうちに泊まっていった。
気さくな晶は、成己とすぐに打ち解けて。成己もいつも通り、俺の友人を歓迎しているようだった。晶はオメガだが、そんなんじゃない。……成己なら、わかってくれるとは思っていたが、ほっとした。
『……成己くんは、幸せだな。お前みたいなやつが、恋人で。パートナーなんだもんな』
客用の布団を出してくる、と成己が席を外したタイミングで、晶がふと呟いた。
晶が俺を褒めるのは珍しくて、面食らってしまった。
『何だそれ。おちょくってんのかよ?』
『違うし。お前なら、子どものことばっか言いなさそうだし。成己くんとは、元々友達だったんだろ? そういうアルファって、案外いねえからさ』
暗い顔で褒められて、俺は胸が騒いだ。
『婚約者は、そうじゃねえのか?』
『それが普通なんだよ。アルファがオメガを飼うなんて、子ども欲しい以外ないし』
晶らしくない、諦めたように投げやりな言葉。
『センター行になりたくねえから、好きでもない男と婚約する。オメガにはそれが普通なんだ』
再会してからというもの、晶はそうして俺に弱みを見せた。昔じゃありえないことで……それほど晶が弱っているのかと、ますます心配になった。
――俺が、何とかしてやらねえと。昔、何も出来なかった分まで……
俺はそう、心に決めた。
今にして思うと、ずっと俺を跳ねのけていた晶に頼られるのが、嬉しかったのかもしれない。
だけど、その時は……俺は何もわかっちゃいなかった。
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