第203話【SIDE:陽平】

「お前さあ、ママのこと何とかしろよ」

 

 部屋に戻ってきて、開口一番に晶はそう言った。

 

「はぁ?」

 

「立ち話は困る」と言うので、仕方なく家に上げたら、この態度って。

 

 ――こないだの事で、ひと言もねえし……何なんだよ。

 

 その上、意味がわかんねえけど、晶の方はブチ切れているらしかった。真っ白い額に青筋が浮かび、苛々とテーブルを指で叩いている。

 威嚇めいた行動に腹が立って、俺は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。殊更ゆっくり飲んでいると、晶が「陽平!」と怒鳴った。

 

「んだよ」

「話してんだろ。真面目に聞けよ」

「……聞いてるって。俺の母さんがなんだって?」

 

 尖った声で詰め寄られ、面倒になる。話を促せば、晶は言う。

 

「お前のママが、椹木の家に訪ねてくんだよ! 毎日、毎日……!」

「え?」

「やれ「見舞い」だ、「土産」だってさぁ……! 頻繁過ぎて、使用人にも怪訝に思われるし、困ってんだよ。それとなく来ない様に言っても、「なら家に遊びにいらっしゃい」「ずっと居てくれてもいいから」って言うんだぞ……?!」

 

 晶は、テーブルに拳を叩きつけた。

 わなわなと細い肩が震えているのを見ながら、俺は唖然とした。

 

「マジかよ……」

 

 まさか母さんが、椹木の家にまで訪ねて行くとは思わなかった。――そんな大胆な行動に出る程、俺と晶を結婚させたいのか? 母の執念にぞっとしていると、晶に胸倉を掴まれた。

 

「お前、ママに何吹きこんだ? 俺はお前と結婚なんて、死んでもごめんだぞ」

 

 そんな言い方があるか、とムッとした。別に、俺だって晶の婚約を壊そうなんて思っていないのに。

 細い手首を握り、振り解く。

 

「……何も言ってねえよ、ただ、母さんは、俺とお前が寝たのを知ってるから」 

「はぁ?! もう……ママなら、解ってくれてると思ってたのに……」

 

 晶は、悔し気に髪を掻きむしった。

 手の中でペットボトルを回しながら、俺は複雑な気持ちを持て余していた。――そんなに苛立たなくていいだろ?

 

「……なあ、ちゃんと話そうぜ。母さんは突っ走ってるけどさ、お前をマジで心配してんだよ」

 

 母さんは、晶が婚約者と上手くいっていない事を、ずっと案じていた。それで、息子の俺と結婚するならと、夢中になってしまったんだろう。――それは、俺たちが家で寝ちまったことにも原因があるし、ちゃんと話すしかない。

 そう、言った。しかし、

 

「なんで俺が。お前、自分のママくらい一人で宥めろよ」

 

 心底不思議そうに言われて、目を見開いた。

 

「何、言ってんだよ。俺たちのことを誤解してんだぞ? ちゃんと二人で……」

「だ・か・ら! それはお前のせいじゃん。陽平ちゃんが、ママにきちんと説明できねえせいで。俺が、お前と寝たくて寝たみたいになっちまうんだろ!」

「けど、母さんはお前を案じてるんだよ。お前からも言わないと、納得なんて」

「うっせえなぁ。アルファのくせに、母親くらい、黙らせらんねーの? お前がそんなだから、俺が迷惑被ってんじゃねーかよ!」

 

 晶が、苛立たしげに怒鳴る。その言葉に――さあ、と血の気が引く気がした。

 

「お前さ……母さんが迷惑って、流石にねえんじゃねえの?」

 

 自分でも、驚くぐらい冷えた声が出た。

 晶も、俺の空気が変わったのに気づいたか、怯えたように肩を震わせる。

 確かに、晶にも婚家での立場があるはずで。母さんの行動で、椹木に勘づかれたらと思うと、嬉しくないのはわかる。

 だけど。

 

『晶ちゃん、椹木の家で上手くいってないみたいなの。心配よね』

『いつでも、いつまでも居てくれていいのよ。晶ちゃんなら息子同然だもの』

 

 母さんは、あれだけお前を案じていたじゃねえか。

 

「言葉が過ぎんだろ。お前、母さんにどれだけ婚約者の愚痴言ったよ。お前が、遊びに来て、母さんが迷惑がったときあったかよ?!」

 

 許しがたい言葉だった。なんでそこまで、自分を思う人の気持ちを無視できるんだ?

 

「……そんなの、ママは自分の家だからだろ。俺は、椹木の家で、どれだけ肩身が狭いか……!」

 

 震える唇が吐き出したのは、それでも反論だった。心のどこかが倦んでいく気がしながら、俺は言い返す。

 

「お前がそう言うから、母さんは心配してるってんだろ。何が不満なんだよ」

「だからッ……わかんねぇのかよ。陽平ママが、お前との関係匂わせたらっ……あの人に、捨てられる」

 

 悲痛に震える声に、俺はため息を吐く。可哀そうと思う余裕もない。

 

「だから。そんな奴に捨てられても大丈夫なように、俺は……もう何なんだよ、お前。どうしたいんだ? ただ単に、椹木にバレたくないだけか」

「それは……」

 

 珍しくしどろもどろになる晶に、疑問が湧きおこる。

 まるで、椹木と別れたくないみたいだ。

 そのとき――野江のパーティを思い出した。嫌いなはずの椹木の腕に、大人しく抱かれていた晶の姿を……

 

「お前さ……本当は、椹木に惚れてんの?」

 

 その問いの効果は、覿面だった。

 

「あ……俺は、あの人のことなんて……」

 

 晶は色が白いから――赤くなると、本当に目立つ。指先まで赤くなって、おろおろと視線をさ迷わせるさまは、間違いようもなく「肯定」を表していた。

 

「はは……」

 

 乾いた笑いが漏れる。

 

 ――なんだ、そう言う事だったのかよ。

 

 晶は、椹木に惚れていた。口で何と言おうと、別れたくないし、そのつもりもなかったんだ。 

 だったら、俺は何だ。――晶は、俺にしか頼れないと、思っていたのに。

 

『誰とでも、こんなことすると思うなよ。お前は、弟だから……』

 

 そう言って、身を寄せてきたお前を抱き留めた。――それができるのは、俺だけだと信じていたから。

 なのに、違ったのか。お前には、頼りたい相手が居たってことなのか?

 

  じゃあ、俺は……一体、何のために!

 

 酷い吐き気がこみ上げてきて、口を覆う。――昨夜からずっと見ていた、成己の笑顔が浮かんだ。それから、婚約を決めた日の、嬉しそうな泣き顔も。

 その顔が、次第に悲し気に歪んでいき……暗闇に溶けるように消えていく。

 

「陽平……?」

 

 呆然と立ち尽くしていると、晶におずおずと腕をとられる。俺は、なんでか芯からゾッとして、身を躱した。――触れられたくなかった。

 

「帰れ」

 

 冷たく言い放ち、自室に籠る。

 晶の怒鳴り声が背を追っかけてきたけれど、今は何も響かなかった。

 

 


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