第201話【SIDE:陽平】
しばらくウダウダしていたが、腹が空腹を訴え始める。
寝込んでいる間、水とゼリー飲料だけは飲んでいた。それも、キッチンまで取りに来るのが面倒で、満足ではなかったから。
「なんか、食うか……」
ベッドから下りると、空のペットボトルをぐしゃりと踏みつける。捨てに行く気力もなく、放り出したものがそのままになっていたらしい。
……動けるようになった途端、片づけかよ。億劫で、気が塞いだがどうしようもない。
ひとりで体調を崩すと、こんなことにも煩わされるのか。
「だる……」
何にせよ、ゴミ袋をとってこないといけない。それなら、まず何か食って、掃除はそれからだ。
のろのろと寝室を出れば、寝込む前と大差ないダイニングに迎えられる。投げ飛ばしたティッシュ箱さえ、そのまま落ちていて、三日前にトリップしたような錯覚に陥った。
――……晶の持って来た食材を冷蔵庫に突っ込んだ自分を、褒めてやりたい。
放置していたら、寝室どころじゃない惨状に迎えられただろう。
冷蔵庫を開いて、さらにため息がでた。
「……」
食えるもんがない。
牛乳は、期限が切れてるし。つまみ用のチーズやハムなんて、病み上がりに食うにはヘビーすぎる。
期限間近のヨーグルトを取って、椅子に座った。大して食いたいものじゃないけど、手ごろに食えそうなもんがこれしかない。
「……いただきます」
無糖のすっぱいヨーグルトを、機械的に口に運んだ。冷たいもったりした食感が、何度も喉を滑って、胃に落ちる。
美味くはない。……本音を言うと、ただ寒い。病み上がりに、何食ってんだろうと思う。
『……陽平、つらい?』
心配そうな、やわらかい声がふと甦り、スプーンを握る手が止まる。
体調を崩したとき、何度も聞いた……成己の声だった。
『なにか食べられそう?』
そう聞かれて、「なにが食いたい」と言えば、にゅうめんでも雑炊でも、なんでも出てきた。一度、何気なく「ざる豆腐」と伝えたら、それも。
――そんなもの、一度だって食いたいって言ったこともなかったのに……どうして。
成己は、センターで構われてきたせいか……誰よりもまめまめしく、俺を看病した。
体を拭い、汚れ物を片付けて、俺の飯を作って。――なのに、魘されて目を覚ますと、いつも傍にいた。
『しんどいねえ。すぐ良くなるからね……』
そう言って、額を撫でる手は、水につけたように冷たくて。それが俺の熱で、じわじわ温もっていくのを感じると、胸が苦しくなった。
どこかへ帰りたいと、強く願うような……泣きたいような感情にさらされて。
「……っ」
喉が、ぐっとつまる。
……ホームシックなのだと、思っていた。あの実家でも、離れれば恋しくなるのだと。
だって、ここは俺の家じゃないから。
――なのに……なんで、今も同じ気持ちになるんだ。
スプーンを、きつく握りしめる。無理矢理に、ヨーグルトの残りをかきこんだ。
これ以上、くだらない感傷に浸りたくない。――とんでもない答えに、辿りつきそうで、怖かった。
ソファに寝転んで、ダラダラしているうちに、夕方になる。
結局、掃除もしていない。怠惰だ――そう思うものの、どうにもしんどい。
「……」
積んでいた電子書籍を消化していれば、時間は過ぎた。返信を急ぐ連絡なんかも、殆ど来ていない。強いて言うなら母さんくらいだが、
『返事は?!』『なんで連絡しないの!』『ひどい』……
かなりヒステリックな文面に、今はまだ触れたくないと思う。
……俺が体調を崩しているとか、そういう風に考えてくれないんだよな。
それが、俺への母さんの評価なのかもしれない。
「……はぁ」
逆に、晶の奴からは一切の連絡がないのも、滅入る。
喧嘩したとはいえ、俺の体調が悪いのを、知ってるはずなのに。おおかた、俺が謝るまで連絡しないつもりだろう。
喧嘩をして、向こうから謝ったことはない。
――いつでも俺が悪いんだ。晶も、母さんも……
俺はアルファだから、当然だ。
二人は大変だから、俺が守ってやらなきゃ……そう思おうとして、以前より断固とした決意にならないことに驚く。
「……なんで」
あんなに強く、思えたのに。
……成己が居たときは。
「……っ!」
考えたくない!
寝返りをうつと、スマホが新しく通知を鳴らす。
SNSからだ。西野さんの投稿があったという――消すはずが、タップしてしまい、俺は息を飲む。
「……成己?」
西野さんの投稿した写真のなかに、成己がいた。
後ろ姿だが、わかる。華奢な背中と、エプロンの紐の絡む細い腰……いつも、キッチンで見ていた光景だ。
「なんで、成己が?」
西野さんの投稿を確認すれば、『七月の試験帰りに、芽実と友人の家を訪ねたときの』とある。
『美味しいのご馳走になっちゃった! 新婚さんの二人にも』
数枚ある写真は、コーヒーとホットケーキ。結婚指輪が光る、白く華奢な手と、浅黒い肌のでかい手。頭がカッとなる。
――んだよ、この当てつけみたいな……!
苛々と画面をスクロールすると、西野さんと佐田と、成己の写真が現れた。
「……っ!」
目元はシールで隠れているけれど、にっこりと笑った口元。見慣れた成己の笑い方だった。
――成己。
何故か、目が離せない。
呆然としていると、新規コメントがついた。
『あーこれ。美味しかった』
と、佐田らしきアカウントから。すると、
『だよね! お店再開したら、絶対行くんだ~』
すぐに西野さんからの、返信がつく。
俺は、そのやり取りを見るともなしに眺め……アプリを閉じた。
なんとなく……本当になんとなく、成己の写真を保存してから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます