第199話

「いらっしゃいませー!」

 

 数日後――うさぎやでは、綾人の元気のいい声が響いていた。

 営業を再開したばかりの店内には、駆けつけてくれた常連さんたちで、賑わっている。

 

「杉田さん、お待たせいたしました。本日のランチですっ」

「ありがとう、成ちゃん!」

 

 品物をサーブすると、杉田さんは嬉しそうに手を擦り合わせた。――宏ちゃんのお店を待ち望んでくれていたとわかる、暖かい笑顔。有難くって、顔がほころんだ。

 

「いやあ、営業再開、嬉しいなあ。元気な新人さんも入って、ますますいい感じだね」

「ありがとうございます……! すごく頼れる仲間なんですよっ」

 

 杉田さんの視線を追って、お客さんの注文を取っている綾人を見る。

 飲食店でバイトしていた経験と、持ち前の明るさで、彼はもうすっかり馴染んでいた。楽しそうに働く様子に、安堵がこみ上げる。

 

 ――綾人、活き活きしてる。良かったなあ……

 

 ぼくは、あの夜……綾人が、履歴書を持って寝室に訪れた時のことを思い出した。

 

「――オレ、考えたんだけどさ。朝匡んとこ戻るにしても、初志貫徹はしてえんだ。でないと、なんか負けそうな感じがしてさ」

 

 真剣な顔で、綾人が訴えたのは……お兄さんに誕生日プレゼントを贈りたいということ。そして、その資金のために、うさぎやで働かせて貰えないかってことやったん。

 宏ちゃんは突然の提案に目を瞠りつつ、言った。

 

「店はそろそろ再開させるつもりだったし、手伝ってくれるのは有難いが……」

「お願いします! どうか、オレを働かせてください!」

 

 綾人の意志は固かった。

 なにか気兼ねしてへんかな、とか。無理してへんか、心配やってんけど――活き活きした様子を見れば、取り越し苦労やったんやってわかる。

 カウンターの向こうの宏ちゃんと、目が合う。嬉しそうな笑顔に、ぼくも笑い返した。

 

「店長、ナポリタンとオレンジジュース入りました!」

「了解ー」

 

 元気のいい声が、響いた。お店がますます活気付いていて、ぼくも頑張るぞ、って気合が入る。 

 コーヒーと、お食事の良い香り……お客さんたちの、楽しいお喋りの溢れる中、ぼく達はせっせと働いた。

 

 

 



「ありがとうございました!」

 

 最後のお客さんを見送って、本日の営業が終了した。

 ぼくは、お店の前を軽く掃除する。たった半日で、砂埃がたっぷり溜まってた。


「~♪」


 夏の夕方の仄明るい空に、鳥が群れて飛んで行く。真昼の焼けつくような暑さは薄れて、生温い風が吹いていた。


「よいしょっと」


 掃除道具を片して、軒先に置いてある「営業中」の看板を持ちあげた。これを持って入れば終わり――そう思ったとき。


 ……成己。


 ふと、誰かに呼ばれた気がした。少し掠れた、甘い声。


――……陽平?


 思わず、その場に釘付けになっていると……お店の中から、「成―」と宏ちゃんに呼ばれた。

 はっ、とわれに帰る。


「あ……はーい!」

「お疲れ。代わるよ」


 近づいて来た宏ちゃんが、ぼくの看板をひょいと奪う。「あっ」と思う間もなくて、過保護な夫に苦笑してしまう。ぼくは、ぺこりと頭を下げた。


「ありがとうございますっ、店長」

「なんの。働き通しで腹減ったろ。ホットケーキでも食べて、休憩しようか」

「わーいっ。ぼく、お茶入れるね!」


 疲れた時の甘いものは、最高やんね。ぼくは、軽い足取りで、お店に飛び込んだ。

 お皿を拭いてくれていた綾人は、聞こえていたみたい。すでに三枚のお皿をカウンターに置いていて。顔を見合わせて笑ってしまう。


「もう、綾人ってば」

「はっは。準備が良いと言いたまえ」

「ふふ、ほんまに可愛いんやから。ねえ……宏ちゃん?」


 笑いながら振り返って、目を丸くする。


「……」


 宏ちゃんが、じっと店の外を見ていた。――どうしたんやろう。少し不安に思っていると、宏ちゃんはドアを閉めた。

 穏やかな笑みが、振り返る。

 

「いや、何もないよ。ひと雨きそうだなって、思ってただけだ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る