第178話

「わあ! すごいお部屋……!」

 

 ぼくはお部屋に入って、びっくり仰天した。

 すっごく広い。いきなりリビングがあって、ベッドルームが隣の部屋に続いてる。大きな窓から絶景の見えるバスルームに、お洒落で上品な調度品たち……どこをとっても、高級感溢れるそこは、まさに。

 

「ここって、まさか……スイートルーム?!」

「おお、そのまさかだなぁ」

「す、すごーい!」

 

 映画とか、ドラマでしか見たことが無いっ。

 ものすごいプレゼントに、ぽかんと口を開けていると……後ろから宏兄に抱き寄せられた。

 

「ごめんな。うちの親が強引で」

 

 少し甘えるように頭に頬を寄せられて、どきっとする。

 

「宏兄……ううん。すっごく嬉しいよ!」

「そうか?」

「こんなに素敵なお部屋でお泊りなんて、映画みたいで……」

 

 口にしてから、ハッとする。

 二人で、『お泊り』。――宏兄と、映画みたいなスイートルームで……!

 それって、もしかして。その……何か、夫婦として大きなイベントが起こってしまったり、するんでしょうか。

 大きなベッドの白いシーツが、にわかに眩しく見えて……ぶわ、と頬が燃え上がる。

 

「あわわ」

「成?」

「な、なんでもないよっ」

 

 不思議そうな宏兄に、笑って誤魔化す。

 

 ――ど、どうしよう。急に緊張してきちゃった……!

 

 背中に感じる宏兄のぬくもりに、心の奥がむずむずとくすぐったい。――俯いてしまうと、宏兄は喉の奥で笑った。ぎゅ、と一際強く抱きしめられる。


「ひゃっ」 

「じゃあ、せっかくだから楽しむか。……成、見てごらん。記念日のプランで、八時ごろにケーキとシャンパンが届くそうだぞ」

「わ、わあ。素敵っ、嬉しいね」

 

 テーブルの上に置かれたカードを示されて、反射的にほほ笑んだ。……火照りのせいで、頬が固い気がします。

 宏兄は明るい声で、「よし」と頷いた。

 

「それまでは、たっぷり時間があるし。色々できるな」

「……!」

 

 ――いろいろってなに!?

 

 口をぱくぱくさせるぼくに、にっと笑いかけ――宏兄は、颯爽とリビングルームを出て行った。すぐに「ジャー」と水音が聞こえてくる。


「えっ」


 慌てて後を追うと……バスタブに向かう、大きな背中があって。どうやら、お湯をためているみたいやった。

 

「ひえ。ど、どうしてお風呂わかしてるん?」

「うん? 入るからだぞ」

「何でですか?!」

 

 まだお昼なのに……!

 パンクしそうな頭で尋ねると、宏兄は大らかに笑った。

 

「パーティで気を張ってて、疲れたろ? そろそろ寛ぎたいんじゃないかと思って」

「え……」

 

 とくん、と鼓動が跳ねる。

 そう言われると……ほっとして、疲れが体にずっしり来てるような。

 

「た、たしかに。ふくらはぎもパンパンで……。お風呂入れたら、きもちいいかも……?」 

「なっ。――湯が溜まったら、成は先に入っててくれ。俺はその間にひとっ走り、横のモールで着替えを調達してくる」

「えっ、悪いよ!」

「遠慮するな。お互いに美しいが、このままじゃ寛ぎにくいだろ?」

 

 宏兄は、茶目っ気たっぷりに言う。

 たしかに、お義母さんにお借りしたお着物……汚してしまったら大変や。ぼくは悩んだ末、ありがたくお言葉に甘えることにした。

 

「宏兄、ありがとう。じゃあ、お先にいただきます」

「はい、どうぞ」

 

 宏兄は、さらりと笑った。 

 ……なんか、大人やなあ。こういう所にきても、気遣いを忘れず……堂々としていて。自分の浮かれぶりが恥ずかしくなって、コホンと咳払いをする。

 

 ――落ち着かなくっちゃ。宏兄は、大人で……それに、まだお昼なんやからっ。

 

 慌ててないで、おいしいお茶を入れるとか。宏兄も疲れてるんやし、ぼくも何かしなくちゃ。

 ぱちんと頬を叩いて、気合をいれていると、給湯完了の音楽が鳴り響く。

 え、早いっ。

 

「お、沸いたな。じゃあ」

「あ……はいっ! お先に行ってまいります」

 

 慌てて、びしっと敬礼する。

 

 ――大丈夫、お風呂の後に挽回しよ……

 

 そう決めて、ふかふかのバスタオルをかごに入れていると……宏兄はくすりと笑って、ぼくの手を引いた。

 

「宏兄?」

「成。脱ぐの手伝うよ」

「……えっ!?」

 

 ぎょ、と目を見開く。

 

「着物を着るの、初めてだろう? 脱がせてあげるから、こっちにおいで」

「えっ、あっ」

 

 大きな手に引かれて、ベッドルームまで連れてこられてしまった。――カーテンが閉まっていても、仄明るい部屋に、どきりとする。

 宏兄は、ぼくをベッドの前に立たせ、そっと腰に手を触れた。

 

「……ぁっ!」

「ほら、じっとして」

 

 大げさにびくついたら、笑い交じりに囁かれる。ますます熱くなった頬を、隠すように俯くと――帯の結び目に、宏兄が指をかけたのがわかった。

 

 ――うわあ。くすぐったい……

 

 しゅるしゅると帯が腰を滑る音が、大きく響く。

 宏兄は、手早く帯を解いて、ベッドに置いた。腰ひもも、解かれる。宏兄の胸に凭れながら、ぼくは石みたいにじっとしてた。

 

「……」

 

 どうしていいか、わからんくて。

 目の前の大きな体に、抱きつきたいような。くすぐったさを、訴えたいような。……でも、何をしても、今よりもっと恥ずかしくなる気がしてん。

 

 ――佐藤さんのお父さんに、着つけて貰ったとき。こんな風に、恥ずかしくなかったのに……

 

 宏兄が、ぼくの肩に手を乗せた。「あ」と思った瞬間、襟を開かれ――するり、水の流れるように着物が剥がれ落ちてしまう。

 

「……あ!」

 

 さ迷わせた目が、宏兄とぱちりと合った。綺麗な目に、ぼくの戸惑った顔が映っていて……ぱっ、と自分でもわかるほど、顔が熱ってしまう。

 なんかね、裸みたいな気持ちになったん。長じゅばんも着てるのに、おかしいよね。

 恥ずかしい? ――どきどきする? 多分、両方。それから……何でか、すごく切ない。

 

「……っ」

 

 じんわり涙が滲んでくる。

 俯いていると……宏兄が、ふと笑うように息を漏らした。そして――

 

「ひゃあ……!?」

「可愛い。項まで真っ赤だな」

「あ、そのっ」

 

 優しい木々の香りに、包まれてしまった。ぎゅ、と抱きしめられ、あたたかな胸に片頬が押し付けられる。

 薄い布越しに背中を撫でられて、内心で「わああ」と叫んでしまった。

 

 ――ひ、宏兄……もしかして……?!

 

 覚悟を決めて、ぎゅっと目をつぶる。

 すると――宏兄が、「あ」って声を上げた。

 

「しまった。ハンガーが欲しかったな……掛けてくるよ」

「……えっ」

 

 ぱっと腕をはなし、宏兄が笑う。

 そのまま、のんびり歩いていく背を見送り……ぼくは、へなへなと崩れ落ちた。

 し、心臓に悪いです……!

 

 

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