第142話【SIDE:陽平】

『――ぃ。陽平』

 

 柔らかな声に、名を呼ばれている。

 

「……成己?」

 

 ふと気づくと、成己が側に立っていた。

 小さな顔にあどけない笑みを浮かべて、俺を見上げている。

 

『陽平』

 

 成己が嬉しそうに、俺の手を取る。やわらかな髪が、ふわりと揺れて――鼻先を淡い香りが掠めた。朝露に濡れた花のような、瑞々しい香り。懐かしさを覚え、手を伸ばせば……

 

『あっ……』

「――!」

 

 指先が掠めた拍子に、成己のシャツが霧のように消えてしまう。

 一瞬のうちに、裸身をさらした成己は、恥じらうように両腕で身を隠した。華奢な肩や、細い手足……白く抜けるような肌に、俺は目を奪われる。


『……』


 成己は頬を火照らせて、恥ずかし気に目を伏せていた。

 かっ、と頭が熱くなった。喉がからからに渇く。俺は、衝動のままに、その体を抱こうとし――

 

「……成己っ?」

 

 触れる前に、成己がかき消えてしまう。

 暗闇が広がる、寒々しい場所に一人取り残されていた。すると――棒立ちになる俺の耳に、あえかな息づかいが聞こえてくる。

 

『……っ、ぁ……』

「……?!」

 

 弾かれたように振り返れば、黒い人影に抱かれる成己の姿があった。

 

『……はぁ……っ……』

 

 成己は、見知らぬ腕に抱かれ、せつなげに眉を寄せていた。一糸まとわぬ肌が、あざやかな桃色に染まり……快楽を感じているのだと、俺に知らせる。

 耐える様な息づかいは、かすかな甘さを含んでいた。 

 

「何を、してんだよ……成己!」

 

 俺は、胃が焼けきれそうな不快感に襲われた。

 けれど、成己は素知らぬ様子で、男を抱きしめている。俺に見せたことのない、陶然と艶めいた表情を浮かべて。

 

「成己ィッ!!」

 

 怒鳴りつけた瞬間だった。暗い影が歪み――野江の姿に変わる。

 いけ好かない男は、我が物顔に成己を抱きしめていた。

 

「お前……!」

『残念だな。成はもう、俺のものだ』 

 

 野江は、薄い唇を愉悦に歪め――ゆっくりと見せつけるように、成己の顎をすくった。 

 そして、愛おし気に顔を近づける。「待て」……そう叫ぶ間もなく、成己の小さな唇を、野江の唇が覆う!

 

「――――触るなあッッ!!!」

 

 触るな、触るな、触るなッ……!

 それは俺のだ。

 俺だけが、知っていていいんだ! 目の前が真っ赤になるほどの、狂騒的な怒りに支配される。喉から、獣のような声が漏れ、動かない四肢が痙攣する。

 

 ――動け、動け畜生……!

 

 あいつを殴らなきゃ、気が済まねえってのに! 歯噛みする俺の前で、野江は、あのやわらかな場所を、蹂躙し続ける。生々しい水音とかすかな喘ぎが、鼓膜に張り付いた。

 

「やめろ……ぉぉおおおッ!」

 

 咆哮が喉を裂き、四肢が破裂しそうに膨らんだ。

 ――ぐわん、と目の前の景色が揺らぐ。

 

 

 

 

「――ッッ!!」

 

 突如、眠りから覚醒した。

 

 ――夢……か……?

 

 夢の破れた反動で、飛び起きたらしい。暗い部屋に、マットが鋭く軋む音を立てた。

 見まわせば、眠りに落ちる前と、かわらない寝室の風景が広がっている。

 

「は……」

 

 荒い呼吸の漏れる口を、手で覆う。頬がぐっしょりと寝汗に濡れていた。Tシャツが背に張り付いて、不快だった。けれど、先までの不愉快さとは、比べ物にならない……

 暫し、呆然と息を吐いていると、隣で呻き声が聞こえた。

 

「んん……陽平?」

「……晶」

 

 眠りを遮られて不機嫌そうに、晶が眉を顰める。掛け布団がずり落ちて、裸の胸が露わになっていた。素肌に残った情交の痕から目を逸らすと、晶は気だるそうに欠伸をする。

 

「どうかしたわけ? ……眠ったばっかだろ」

「いや……」

 

 疑問に答えられずいると、晶が手を伸ばしてきた。頬に、しっとりした手が触れる。

 

「――成己くんの、こと?」

「……っ!」

 

 すり、と頬を慰撫される。

 俺は、カッとなって晶を押し倒した。

 

「あっ……」

「……クソッ……!」 

 

 肩をマットに押し付けると、晶の目が見開かれる。

 

 ――俺は、今どんな顔をしているのだろう?

 

 夢の残像を振り払うように、白い体に挑みかかった。

 

「……おい、陽平……!」

「……ッ、うるせえっ」

 

 白い肌を乱暴にまさぐれば、甘い呻き声が上がる。晶の首筋から、濃厚なフェロモンが香り、意識が酩酊する。俺は、獰猛な感情に支配され、晶の足を左右に開いた。


「あっ!」

 

 ぐい、と腰を押し込めば、晶はのけ反った。がくがくと痙攣する体が、快楽の極みに到達したことを知らせている。――たった一突きでか……唇が、皮肉に歪んだ。

 

 ――どいつも、こいつも……オメガがっ!

 

 俺は細い腰を掴み、幾度も打ち付ける。晶がシーツをかき回し、ベッドをずり上がっていく。許さず、馬乗りになり責め立てると、Oの字に開いた口から甲高い嬌声が迸った。

 

「だめ、激しい……!」

「うるさい! お前は、これが好きなんだろうが……!?」

  

 今は、目の前のオメガを、追い込んでやることしかない。何も考えたくなかった。

 それに、すぐに――抗議の声が、歓喜の色を帯び始める。

 

「ああ……もっと……!」


 誘うように充満するフェロモンに、舌打ちが漏れる。

 興奮で真っ赤な視界の中で、白い体が淫らにくねっていた。白い腕が伸びてきて、俺の体に絡みつく。

 

 ――『……宏兄』

 

 ふいに、夢の中の光景が、フラッシュバックする。

 成己の細い腕が、あの男を抱きしめていた――自らのアルファだというように。 

 だから何だ? あれはただの夢だ……

 

 ――『成己くん、結婚したんだよ……!』

 

 昼間の晶の声が俺に現実をもたらし、動きが止まる。

 そうだ――成己は、結婚したんだ。あの男と。あの男のオメガになり、俺にしたように……側に居るのか?

 

 ――近い将来……あの夢が……現実に、なるっていうのか?

 

「……うるさい!」

 

 俺はよくわからない感傷を振り切るよう、叫んだ。白い体をねじ伏せ、激しく責め苛む。

 オメガは、こうされたいんだ。誰だっていいんだろうが……!

 

「クソ、クソッ……!」

 

 息も絶え絶えの白い体を押さえつけ、最奥に激情を解き放つ。

 腰を震わせると、汗がばたばたと雨のように散った。

 

「は……」

 

 荒い息を吐く。――暑さで、頭がぼうっとしていた。

 目に汗が入り、視界がかすむ。鬱陶しくて、目を閉じると――まぶたの裏に白い面影が浮かんだ。

 

『陽平』

 

 ……あどけない笑みを浮かべた、小さな顔。

 

「成己……」 

『嬉しい。陽平……』

 

 何故か……

 かつてキスしたときの、あいつのはにかんだ笑顔が浮かび――ぱちん、とはじけて消えていった。

 

 

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