第141話

 ――チュン、チュン……

 

 鳥のさえずりが、聞こえる。

 瞼の裏が、明るい。ぼくは「うう」と呻いて、傍にある温かなものに顔を押し付けた。すると――低く笑う声が聞こえきて、ぱちりと目を開く。

 

「……ひゃ!?」

「おはよう、成」

 

 宏兄の顔が目に飛び込んできて、ぼくはぎょっとした。

 

「ひ、ひろにい?」

「おう」

 

 穏やかなほほ笑みを浮かべ、宏兄がぼくを見つめていた。ぼくは、宏兄の腕に抱きついて、眠り込んでいたみたい。

 かああ、と頬が熱くなって、慌てて身を離す。

 

「わあっ」

「離れちゃうのか? 可愛かったのに……」

「可愛くないですっ」

 

 残念そうな宏兄に構わず、ぼくは太い腕を擦る。長時間くっついてたせいで、きっと痺れてるから。大失態に、汗がふき出す思いやった。

 

 ――昨夜は……わあわあ泣いて。そのまま眠り込んでしもたんや……!

 

 思い出すと、羞恥心に身が焦げそうになる。

 勝手に迫って、泣いて……一人で眠ってしまったやなんて。ぼくときたら、めちゃくちゃ迷惑なやつやんか!

 

「ご、ごめんなさ……んっ」

 

 謝ろうとした唇に、長い指がぴたりと押し止めた。

 宏兄の優しい眼差しが、光のように降り注いでくる。

 

「謝らなくていい」

「で、でも。ぼく、結局……」

「俺は嬉しかった。お前の気持ちが聞けて――」

 

 優しく、頬を撫でられる。くすぐったくて、目を閉じると――額にキスされた。目尻や、鼻の頭にも。顔中をやわらかく啄まれて、ぽうっと熱ってしまう。

 

「あっ……宏兄」

「成、好きだよ」

「んん……っ」

 

 唇が、重なり合った。その温かさを受けていると、ぼくはもう、広い肩にしがみ付くしかない。――優しくて、甘い感覚。じわじわと、胸の奥をくすぐってくる。

 

「……ゃっ……」

 

 昨夜と同じように甘やかされて、瞼が熱を持つ。じんじんって、甘痒くなる胸の内が怖くて……ぎゅっと目を閉じると、宏兄は動きを止めた。

 ぼくは、ハッとして青褪める。

 

「あ。ご、ごめ……」

「わかってる」

「え……」

 

 滲む視界に、優しい顔が映る。そっと、愛しむような手つきで、唇に触れられた。

 

「昨日――お前が唇を許してくれたときに、わかってるよ」

「……!」

「ゆっくりでいいんだ。俺は一生かけて、成のことを愛するから……」

 

 そう言って宏兄は、ぼくを腕に囲う。

 大きな手に頭を撫でられて、泣きそうになった。

 

 ――宏兄。なんで、こんなに優しいの……?

 

 得難い人やと思った。

 ぼくなんか、自分でも嫌になるくらい面倒なやつやのに。どうして、こんなに優しくしてくれるんやろう?


「……っ」


 胸が、あつく震える。「ありがとう」じゃ到底足りなくて、ぼくは手を伸ばした。

 

「宏兄……」

「ん?」

 

 寝起きで下ろしたままの長い髪に、そっと触れる。

 宏兄は僅かに目を見開いたけれど、好きにさせてくれた。それをいいことに、さらさらの黒髪を耳にかけると……ぼくは、宏兄の首に抱きつく。

 

「成?」

「あのね。ぼく……がんばりたい。ちょっとずつでも、宏兄の奥さんになりたい」

「――うん」

「やから、また……」

 

 続きは、言葉にならなかった。

 宏兄の唇に飲みこまれてしまったから。――そして、それはぼくの望んでいたことだった。ぎゅっとしがみついて、優しいキスにうっとりと目を閉じた。

 

「成……かわいい。もっとキスさせて」

「宏兄……」

 

 たっぷりと甘やかされて、盛大に朝寝坊してしまったのは、言うまでもない。

 恥ずかしがってたら、「新婚らしくて良いじゃないか」って宏兄は、上機嫌やった。

 ぼくも……ほんまは嬉しかったのは、ひみつなんやけどね。

 


 

 その日から、ぼくと宏兄の「本当の新婚生活」が始まったん。

 二人でゆっくり、幸せな日々を積み重ねていくんやって。これ以上、大きな事件なんて起きないと――

 ぼくは、心から思ってた。

 

 

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