第136話【SIDE:晶】

「――いない?」

 

 センターの受付で、俺は耳を疑った。

 事務員は、淡々と頷く。

 

「はい」

「どういうことです。春日成己さんは、入所していないということですか?」

「はい。当センターには、入所していらっしゃいません」

 

 鸚鵡返しのような事務員の応えに、困惑を隠せない。

 

「じゃあ……彼がどこに居るか、教えて貰えませんか?」

「申し訳ありません。守秘義務がございますので……」

 

 職員は、にべもなく言うと、業務に戻ってしまった。態度の悪さにムッとしたが、黙って踵を返す。構ってる場合じゃない。

 

――どういうことだ? 成己くんがいないなんて――

 

 センター出身の成己くんには、他に行くところがないはずだ。

 思案しながら、建物の外に出る。眩むような日差しが頬を焼き、手で庇を作った。まだ車に乗る気にならず、庭園をぶらぶらと歩く。

 

「もう買い手がついた……は、ありえないよな」

 

 婚約破棄されたオメガは、著しく市場価値が下がる。

 それに、陽平ママが成己くんのしたことを、社交界で説明してくれたから……見る目のあるアルファは、彼に見向きもしないはず。

 ふと脳裏に浮かんだのは、"幼馴染"にべったり甘える、成己くんの姿。

 

 ――ひょっとして、あの人のところにいる、とか……?

 

 いや……さすがに、そこまで馬鹿じゃないか。あの人は、野江家のすねかじりで有名な次男坊。側に居たって、引受人にはなれないんだから。

 

「……でも、成己くん世間しらずだし。状況がわかってないってことも……」

 

 陽平って婚約者がありながら、あの人との関係を断ち切らないくらいだし……。疑わしい気持ちと、信じたい気持ちでせめぎ合う。 

 

 ――ともかく、バイト先ってとこに行ってみよう。

 

 そう思ったとき、どこからか鐘の音が聞こえてきた。

 

「……何?」

 

 辺りを見回すと……緑の植木の向こうに、チャペルがあるのが見えた。あれこれ思考しているうちに、こんなとこまで歩いて来ていたなんて。

 賑やかな歓声といい、どうやら結婚式をしていたようだ。

 

「へえ。センターで結婚する人なんているんだ……」

 

 興味をひかれて近寄ってみると、扉の周りに礼服を着た人々が集っている。ちょうど、フラワーシャワーを行っているらしく、みんな笑顔で、花びらを振りまいていた。

 

「おめでとう!」 

「おめでとう……!」

 

 舞い上がる紅白の花吹雪は、美しく――俺は、その主役に何気なく目を向けた。

 そして、「あっ」と凍り付く。

 

 ――成己くん……!?

 

 純白のヴェールに、ブーケ……花嫁の象徴を身に着け、はにかんでいるのは成己くんだった。

 

「ありがとうございます……!」

 

 泣き笑いの顔で、祝福に応えている。その肩を支えるように抱く新郎は……なんと、あの野江さんだった。

 花びらと、笑顔の人々に揉まれるように歩む、新郎新婦。二人は寄り添って、満面の笑みで祝福を受けている……!

 

 ――どういう、こと……?

 

 俺は、呆然と立ち尽くす。

 目の前にある光景が、とても信じられない。

 どうして……成己くんが、結婚してるんだ? ――出来るはずないのに。まさか野江家が、あの男を支援したって言うのか?

 

「いや……そんなことより」 

 

 成己くんの満面の笑顔を、信じられない気持ちで凝視する。

 

 ――なんで、そんな風に笑えるんだ? 陽平は、どうでもいいのかよ……!?

 

 酷い裏切りに、手足が冷たくなり……視界がふっと暗くなる。立っていられなくなって、植木に手をついた。

 

「……おやっ、大丈夫ですか?」

「!」

 

 蹲っていると、しゃがれた声が降ってくる。カメラを持った、剽軽な顔の老人が俺を窺っていた。弱みを見せたくなく、すぐに立ち上がる。

 

「……大丈夫です。お気遣いなく」

「いや、暑いですねえ」

 

 老人は口で言いつつ、上機嫌に太鼓腹を震わせた。礼服を着ているところから、この老人も式の参列者に違いない。離れた場所にいるのは、手に持ったカメラで彼らの様子を撮っているからか。

 俺は、そっと老人に話かけた。

 

「……素敵なお式ですね」

「うん? そうなんですよ! 見て、新郎がぼくの友達でね。いい男でしょ」

「はは。おめでとうございます」

「ありがとう! オメガと結婚なんて、男の夢叶えてるよねえ。しかもさ、あの可愛い新婦さんとは幼馴染で、本当に仲良しでさ」

「……そうなんですか」

「ぼくはね、二人は絶対に結婚すると思ってたんですよ。ははは……」

 

 老人はシャッターを切りながら、饒舌に話した。見知らぬ誰かにも、話さずにいられないほど浮かれているらしい。――俺の反応が、徐々に冷え込んでいくことにも気づかずに。

 

 ――はは……やっぱり、ずっと裏切ってたのか。

 

 情報が貰えるのは好都合だったので、話したいようにさせながら……俺は、花嫁を見た。

 嬉しそうにブーケを掲げ、参列者になにか呼びかけている。浮かれきった笑顔に、胸が氷のように冷えこんでいく。彼への軽蔑、失望……信じていた分、反動は大きい。

 

「……信じられねぇ」

「え?」

 

 俺の呟きに、老人が首を傾げる。答えずにほほ笑んで、その場を去った。

 

 ――何だよ、あれ。汚らわしいオメガ、そのものじゃねーか……!

 

 陽平に話したときは、冗談のつもりだったことが――現実だったなんて。

 やっぱり成己くんは、ずっと陽平を裏切って、あの男と繋がっていたんだ……。

 陽平が婚約を解消したときも、内心では大喜びだったんだろう。むしろ……婚約破棄さえ、彼らが仕組んでいたことなんじゃないか――?

 

「……クソッたれ!」

 

 花壇の紫陽花の花を、引きちぎる。――移り気の、浮気の花。ぐしゃぐしゃにもぎ砕き、地面に投げ捨てた。それでも気が治まらず、何度も踏みにじる。

 

 ――陽平は、お前のせいで苦しんでるのに……! あっさり捨てて、へらへら笑いやがって!

 

 地面ににじられ、汚く汚れた花弁を見下ろし、息を吐く。

 白い薔薇のブーケより、よほど彼にはお似合いだ。

 

「このままじゃ、済まさない」

 

 俺は強く決意し、ある場所へ向かった――

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る