第125話

 ふわり――雪のように白いヴェールが、顔の前におりてくる。薄布越しの視界に、涼子先生が沁みる様な笑みを浮かべている。

 

「ああ……きれいやねえ、成ちゃん」

「涼子先生……」

 

 ヴェールの裾を直してくれる、その指先は……小さいころ、髪を梳いてくれて。怪我をしたら手当てしてくれた。ぼくの大切な、お姉ちゃんの手。

 

「……ありがとう、涼子先生!」

 

 泣いちゃだめ、って涙をこらえる。屈めていた体を、ゆっくりと起こし――にっこりと笑った。

 

「うん! こちらこそや」

 

 涼子先生は少し鼻を啜り、中谷先生の肩をばしんと叩いた。

 

「さて、ここからは先生やね。いっちょ気張ってくださいよ」

「うん……ずびっ」

 

 ハンカチをずぶ濡れにしていた先生が、ガクガクと頷いた。エスコートを引き受けてくれた中谷先生なんやけど――さっきから、ずっと泣いてはるん。

 ぼくと涼子先生は、笑顔を見合わせる。

 

「中谷先生、泣かんといて? ぼく、これからも来ますから」

「わ、わかってるんだよ。でも……小さかった成己くんがって思うとねえ」

「やれやれ」

 

 涼子先生が、オーバーリアクションで肩を竦める。ぼくも笑いながら、中谷先生の背を擦った。小さなころ、負ぶってもらったことを、ふと思い出す。

 先生は、ハンカチで顔を拭うと、腕を差し出してくれた。

 

「ずびっ。――では、行こうか」

「はい」

 

 そっと腕を添えて、チャペルの扉の前に立った。

 先生たちの想いのこもった、カスミソウと白い薔薇のブーケをぎゅっと抱く。「さあ行くぞ」って、ちいさく息を吐いていると……先生が言う。

 

「成己くん、一ついいかい」

「はい、中谷先生」

「嫁いでも、きみは私たちの大切な子だからね。困ったことがあったら、必ず頼るんだよ」

「……!」

 

 はっとして、見上げると――ぼくの幼いころから変わらない、優しい笑顔。そのときね、なんだか……中谷先生と、涼子先生に見守られてきたんやって、すごく実感したん。

 

「はい、先生……!」

 

 ぼくは何度も頷いて、先生と約束した。

 


 

 

 

 扉が開かれると――わっと大きな拍手に迎えられる。

 真っ白いバージンロードには、たくさんの花が飾られていて――両脇には、ぼくと宏兄の大切な人たちがいた。

 

「成己くん!」

「成ちゃん!」

 

 お世話になったセンターの職員さんたち。みんな、ぎゅうぎゅうに座りながら、笑顔で手を振ってくれてる。

 

「成己ーっ、綺麗だぞ!」

「ばっ……慎みを持て、馬鹿!」

 

 綾人がスマホを振り回し、歓声を上げる。隣にはお兄さんがいて、窘めるように肩を抱いてた。

 

「店長~、成ちゃん! おめでとう!」

 

 うさぎやの常連さんたちまで……みんな、大きな笑顔を浮かべて、拍手を贈っていてくれた。 

 

「……うっ」

 

 あまりに暖かい光景に、ぼくは胸がいっぱいになる。

 泣かないように唇を噛み締めて――中谷先生に支えられ、一歩一歩、踏みしめていく。

 

「――成」

 

 十字架の下ろされた、祭壇のそばに……光を受けながら、宏兄が立っていた。

 いつの間に替えたのか――白いジャケットが似合っていて、とても素敵や。せやのに、眩しい光を見るように、見つめられて……ぼくは面映ゆくなる。

 ほほ笑んだ中谷先生が、ぼくの手をそっと、宏兄の手に導く。ゆっくりと――宏兄に託されたぼくは、逞しい腕をそっと掴んだ。

 

「宏兄……」

「成、すごく綺麗だ」

 

 そういう宏兄の笑顔こそ、ベール越しにも輝いてる。眩しくて、ぼくは胸が詰まった。

 

 ――こんなことが、あるなんて……

 

 ほんの、十日前まで――ぼくはどん底にいたのに。

 こんなに、祝福されて結婚するなんて、夢にも思わなかった。あたたかな歓声や、チャペルの窓から降りそそぐ光に身を揉まれて、ふわふわと宙に浮かんでいるみたい。

 

「っ……」

 

 ……夢だったら、どうしよう。

 本当のぼくはまだ、あの雨のなかに取り残されてるのかも――そんな不安が、胸を苛む。

 

 ――……怖い。

 

 宏兄の腕を、きゅっと握った。しゃくりあげるのを堪えていると、そっと手を包まれる。隣を見れば、「大丈夫だよ」って言うように、宏兄が優しい顔で頷いた。

 

「成、大丈夫だ」

「ひろにい……」

 

 ぼくも、こくりと頷く。宏兄と重ねた手から、こわばりが解けていくみたいやった。

 人前式なので、お兄さんが牧師の役をしてくれていて、恙なくお式が進行していく。そして、ついに――

 

「新郎、宏章さん。あなたは新婦の成己さんを伴侶とし、病める時も健やかなるときも、側に寄り添い、生涯愛することを誓いますか?」

 

 お兄さんは、宏兄とぼくに笑みかけると、ざっくりと誓約の言葉を述べた。

 

「はい、誓います」

 

 宏兄は大らかに、しっかりと頷いてくれた。ぼくは、とくんと鼓動が跳ねて……胸が甘痒くなる。

 お兄さんは、ぼくに同じ言葉を繰り返した。

 

「新婦、成己さん。あなたは、新郎の宏章さんを伴侶とし、病める時も健やかなるときも、宏章さんを愛し支えることを誓いますか」

 

 ぼくは、すうと息を吸い込み――頷いた。

 

「はい、誓います」

 

 はっきりと言葉にすると、お兄さんが満足そうに頷く。

 

「では……誓いの証明を」

「……!」

 

 お兄さんの言葉に、はっとする。

 誓いの、キス。宏兄と――

 かちこちに固まってるうちに、そっとヴェールが持ち上げられる。明瞭になった視界で――宏兄と目が合った。

 

「ぁ……!」

 

 そのとき……なんでか、わかってん。宏兄が、ぼくのことを一番に案じてくれてること。

 ここでぼくが躊躇っていたら……唇にキス、しないでくれるって……

 とくん、と心臓が跳ねた。

 

 ――ここで、甘えてていいの?

 

 心の中で、問いかける。

 宏兄に、ずっとお兄ちゃんでいて貰って……それでいいの?

 

「……っ」

 

 ぼくは――そっと顔を仰向けて、目を閉じた。

 宏兄が、驚いた気配を感じる。もし、彼が……ぼくを、弟としてしか見ていないなら――迷惑かもしれない。そんな考えが、脳裏を過っていく。

 でも、宏兄の言葉がぼくを奮い立たせてくれる。

 

――『俺とお前は夫婦だ』

 

 ぼくを迎えてくれた宏兄を、信じなくちゃ。

 だって……ぼくも誓ったんやから。宏兄の伴侶として生きていくって。

 いま、踏み出したい。

 

 ――お願い、伝わって……!

 

 目を閉じて、待っていると――両肩に優しい重みが乗った。

 森の香りが、ふわりと近づいてきて……そっと唇に、あたたかなものが触れる。

 

「……!」

 

 キスだ――感じた途端、ぱあっと顔中が火照った。

 唇の上で、宏兄の体温が重なっている。それだけなのに、全身が泣きたいほどの安堵に浸されていく。

 

「……っ」

 

 ……とても、優しいキス。

 ぼくを大切だと伝わってくるみたいで――閉じた目から、涙が溢れた。

 鮮やかな木々の香りに包まれていて、宏兄とふたりで、森の中にいるよう。ぎゅ、と手を握りしめていると――ぬくもりが離れていく。

 目を開けると、宏兄の微笑みが間近にあった。

 初めて見る、宏兄の照れている……笑顔――

 

「……成、大好きだよ」

「宏兄……っ」

 

 ぽろぽろと零れた涙を、キスで拭われる。

 くすぐったくて、目を閉じた瞬間……わあ! と大歓声が上がった。割れんばかりの拍手が鳴り響く。

 

「おめでとう!」

「よっ、ご両人!」

 

 みんな笑顔で、祝福してくれていた。

 降り注ぐ光と、たくさんの幸福の音に包まれ――ぼくと宏兄は、微笑み合った。

 

「皆さん、ありがとうございます……!」

 

 かたく手を繋いで、応える。

 

 ――ぼくは、宏兄と生きていくんだ。

 

 宏兄と寄り添って、ぼくは笑った。

 

 

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