第119話

「――いやや、放してっ!」

「大人しくしろッ。きいきい叫ぶんじゃねえよ」

「うぐっ」

 

 刈り上げの男に、腕に抱えられてしまう。ジタバタ暴れると、ごつい手に口を塞がれて、爪先の浮いた状態で引きずられる。

 

「てめぇ、成己に触んじゃねー!」

 

 綾人が叫ぶ。

 ピアスの男に後ろ手に拘束されていて、必死にもがいていた。

 

「オメガのくせに、恥をかかせやがって! いやってほど、痛い目を見せてやる」

「うるせえ、関係あるかよタコ! とっ捕まえてやるからな!」

 

 綾人が睨みつけると、ピアスの男はふんと鼻で笑う。

 

「叫んでも無駄だっつーの。バイトで、ここを知り尽くしてっからな。ここは、早朝に食料品を運ぶ以外使わねぇ。誰も来やしねーんだよ」

「……!」

 

 言われて見ると――確かに、不気味なほどに人の気配が無い。コンクリートの床には、ペンキで「授業員専用通路」と書かれている。

 

 ――やばい、なんとか逃げなくちゃ……! 

 

 こんな場所を通って、どこに連れていかれるのか。連れていかれたら、どうなるのか……恐怖で竦みそうな体を、必死に捩る。

 しかし、抵抗空しく――ぼく達は、裏手に停められたキャブオーバーの乗用車に連れ込まれた。

 運転席にもう一人、帽子をかぶった男がいて、楽しそうに声を上げた。 

 

「お、きたきた」

「放せ、ボケ! ぶっ殺す!」

「うるせえな。大人しくしろ!」

 

 背後から羽交い絞めにされた綾人が、後部座席に押し込まれる。ぼくも、刈り上げ男に背を押され、無理矢理に乗り込まされる。

 長い脚に倒れ込んだぼくに、綾人が心配そうに声を上げた。

 

「成己、大丈夫か!」

「あや――うあ……!」 

「ほら、こっち来い」

 

 背後から強引に乗り込んできた男が、抱きついてくる。耳にタバコ臭い息をふきかけられ、怖気が走った。

 

「いややっ!」 

「イヤ~だってよ。可愛いねえ」

「あぐっ!」

「成己!」

 

 鳩尾を強く締められて、痛みに呻き声が漏れる。綾人がぼくを助けようと、ピアス男にパンチを食らわそうとする。けれど、不自由な体勢だったせいか、逆に押さえ込まれてしまう。

 

「お。こいつは、番がいるみてえだぞ」

「マジか。じゃあ、何しようが構わねえな」

 

 項を覗き込んだ男たちが、下衆なことを言う。綾人は、日に焼けた肌が白く見える程青ざめて、怒鳴った。

 

「ふざけんな! 気持ち悪いんだよ、豚野郎が!」

 

 男たちは、可愛い囀りを聞いたように、ニヤニヤ笑いを止めない。


 ――こいつら……番のいるオメガに、最大限の侮辱をしたのが、わからへんの? 


 ぼくは、死にそうなほどむかっ腹が立って、背後の男の顎に頭突きをした。

 

「がふっ!」

「犯罪者! 綾人に何かしたら、許さへんから!」

「このガキ!」

 

 鼻血を噴き出した刈り上げ男に、髪を掴まれて凄まれる。でも、アルファの威圧に比べたら、屁でもなかった。

 

 ――負けるもんか!

 

 睨み返すと、男がますます気色ばむ。唸り声を上げながら、馬乗りになって来た。

 

「成己! やめろー!」

 

 綾人が悲痛に叫び、激しく暴れた。車体ががたがた軋み、運転席の男が、焦ったように言った。

 

「おいおい、先に出ようぜ。流石にここだとまずい!」

 

 男がエンジンをかけ、ハンドルを握った瞬間――ピリリリ! と鋭い電子音が鳴り響く。

 

「なんだ?」

 

 一瞬、全員が動きを止めた。そのとき、ぼくはあっと気づいた。――男から隠すようにねじられた綾人の手に、スマホが握られている。音は、そこから鳴っていた。

 

「いいから、出せ!」

 

 ピアスの男が怒鳴り、運転席の男が、再びハンドルを握ろうとする。

 しかし。

 

 ――ガシャン!

 

 凄まじい欧打音が響き、運転席の窓が粉砕する。金属の棒が、窓から突き出していた。

 

「なん――ぎゃっ!」

 

 運転席の男が、潰れる様な悲鳴を上げる。

 拳が窓の穴を突き抜け、運転席の男をも殴り潰していた。衝撃で、車体がぐわんと揺れる。

 

「何だテメぇ!!」

 

 泡を食った男たちが怒鳴る。ロックを外し、運転席のドアを破ったその人は、姿を見せる。

 

「――綾人ッ!」

「……朝匡!」

 

 それは――お兄さんやった。手にハンマーのような物を持って、周囲を睨み据えている。

 車内の状況を見て、お兄さんの体から凄まじい怒気が溢れた。

 

「てめえら――!」

 

 周囲の空気の色さえ変わりそうな濃密な、威嚇のフェロモン。男たちは窒息寸前のように目をむき出し、ばたりばたりと倒れ込んだ。――ぼくも、喉が締められるように苦しくなる。

 

「朝匡、ダメだ! 成己が……!」

 

 綾人が、悲痛な声で叫んだ。

 その時、後部座席のドアが、勢いよく開かれる。

 

「無事か、成……!!」

 

 血相を変えた宏兄が、ぼくに圧し掛かる男の襟を掴み、車外にぶんと投げ捨てる。――気づいたときには、掬うように、温かな腕に抱きしめられていた。

 

「ひろに……げほっ、こほ」

「成、可哀そうに……怖かったな。遅くなってすまない」

 

 咳込むぼくの背を、宏兄は擦ってくれた。

 あたたかい森の匂いに包まれていると……窒息しそうな感覚が、薄れていく。

 ぎゅっと抱きつくと、守るように抱きしめられる。

 

「宏兄っ……」

 

 ぼくは……ようやく助かったんやと実感し、涙が溢れた。

 

「朝匡、もう大丈夫だって……!」

 

 そのとき、泣きそうな綾人の声が聞こえて、ハッとわれに返る。

 振り返ると、綾人がお兄さんに抱きついて、必死に何か訴えていた。お兄さんは、尋常じゃない様子で、綾人を見下ろしている。

 

「宏兄……お兄さんは」

「ったく……兄貴は駄目だな」

 

 ぼくの目尻を拭いながら、気のない声で宏兄が言った。

 

「兄貴、その辺にしとけ。そいつら死んじまうぞ」

「……チッ」

 

 激しく舌打ちし、お兄さんが息を吐く。

 周囲の空気が、どっと弛緩する。綾人が、お兄さんを揺さぶった。

 

「朝匡……!」

「……綾人」

 

 お兄さんは、綾人を片腕で抱きしめた。


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