第116話

「成己、そっち行ったぞ!」

「うんっ……えい!」

 

 壁を弾いて飛んできたボールを、追いかけた。

 ラケットを振りぬけば……ぽかっと軽い音を立てて、ボールが明後日に打ちだされる。

 

「あっ……ごめん!」

 

 しまった、大エラー……!

 青褪めるぼくに反し、綾人は動じない。

 

「ナイスキャッチ! ――ほいっ」

 

 風のように疾走し、コートの隅に弾かれたボールを打ち返してくれた。緩やかな放物線を描いて、ぼくのフォアサイドに戻って来たボールに驚嘆する。

 

「すごい、綾人!」

「わはは。どんと来いだぜ!」

 

 白い歯を見せて笑う綾人は、すごく楽しそう。

 初めてのスカッシュなのに、戸惑っているところも無くて、むしろわくわくしてるみたい。ぼくも、楽しくなる。

 

「えいっ!」


 しっかりとボールを見てラケットを振った。 

 今度は、ぽこんと音を立てて、真っすぐに飛んで行く。

 

「ナイショー!」

 

 綾人の笑顔が輝く。

 ぼく達は、わいわい言いながらコートを走り回った。

 



 

 

 ――ぼくと綾人は、県内にある複合アミューズメント施設に来ていた。

 カラオケやゲームセンター、色々なスポーツを楽しめるフロアがあってね。休日やからか、どこも大賑わいやった。

 で――ぼく達も、今はスポーツのフロアでひと汗かいているところです。

 

「はい、成己!」

 

 ヒンヤリと冷たいペットボトルを、手渡される。ぼくは笑顔で受け取った。

 

「綾人、ありがとう」

 

 話してるうちに、同い年やったことが判明してん。そういう気安さもあって、ぼく達は急速に親しくなっていた。

 

 ――久しぶり。名前の呼び捨てするのも、されるのも……

 

 唯一、ぼくを成己って呼んだ人が、頭に浮かびかけて……慌ててペットボトルに口をつける。

 

「美味しい」

 

 熱った体が、冷たいスポーツドリンクで潤う。ほうと息を吐いていると、一気に半分を飲み干した綾人が、ニコニコ笑う。

 

「楽しかったな! オレ、めっちゃ汗かいたっ」

「うんっ、ぼくも。綾人、すっごい上手やね」

「そう? でへへ」

 

 綾人は、照れくさそうに頬を緩めた。素直な反応に、胸が温かくなる。ちょっと強引やけど、明るくていい子やなあ。

 

「実はオレ、高校までテニス部で。結構ガチでやってたんだー」

「あっ、そうなんや! 道理で~」


 確かに、ラケットの構え方とか、フットワークが玄人さんやったもんね。ぼく、めっちゃ下手くそやのに、軽々カバーしてくれてたし……よっぽど上手やないと、あんなん出来ひんはず。


「綾人、強そう! 試合とか出た?」

「うん! 出てたぞ。インターハイも出た」

「すごーい!」


 スポーツは疎いぼくでも、インターハイはわかるよ。

 尊敬の眼差しで見つめると、綾人はちょっとはにかんだ。手の中のペットボトルを、ぽんぽんと放り投げる。


「いや、まあ。優勝とかは出来んかったけどな。めっちゃ強い奴がいてさー、最後くらい勝ちたかったんだけど」

「そうなん。ライバルやね?」

「うん、ライバル! アルファだけど、それ以上に努力のやつでな。今は海外にいる」

「……ん?」


 嬉しそうな綾人の言葉に、ぼくは首を傾げた。


――えっ。アルファ?


 オメガは、オメガだけのスポーツの大会にしか出られないはずやのに。どうして、アルファが一緒に試合に……?

 疑問に思うぼくをよそに、綾人はニコニコと話し続けてる。


「すげー強くなってるだろうけどさ。オレも、負けじと体作ってんの! 朝晩トレーニングしてさ。壁打ちも」

「……そうなんや! テニス、大好きなんやね」

「へへっ。そう!」


 ひゅんひゅんと、素振りのポーズをする綾人は楽しそうで。ウソのない綺麗な笑顔やった。


――きっと、なにか事情があるんやね。


 まだ知り合ったばかりやけど、綾人は真っ直ぐな子やもん。不躾になんでも聞いて、傷つけたくない。

 疑問を彼方に追いやって、ぼくもほほ笑んだ。


「朝、走りに出ると朝匡が煩くてさ。用心しろだのへちまだの」

「あはは。きっと、心配してはるんよ」

「ないない。成己ならわかるけど、オレみたいなデカいやつ」

「えっ。そんなことないよ!」


 からっと笑う綾人に、きっぱり断言する。

 だって、綾人は――蓑崎さんとはまた違うタイプの、とても美しいオメガやもん。日に焼けたなめらかな肌に、端正な顔立ち。敏捷そうな、引き締まった体躯。


「お兄さんが心配なのも、わかるけどなあ」


 そう言うと、綾人は不満そう。


「いやマジで。オレ、本当ごついし。ほら」

「わ……!?」


 なんと、綾人は突然、ぺらりとTシャツを捲って見せた。

 肋骨の辺りまでたくし上げられ、綺麗に割れた腹筋が丸見えになる。

 そして――そこに見えたものに、ぼくはぎょっと目を見開く。


「だ、だめ~!」

「うわお!?」


 Tシャツを引っ張り下ろすと、綾人は目を白黒させている。ぼくは、かっかと熱る頬をもて余し、Tシャツを引っ張ったまま俯いた。


「どうした?」

「な……なんでも。お腹冷えるから、脱いじゃだめっ」

「お、おう?」


 不思議そうな綾人に、ぼくはもごもご答える。

 こんな人の多いところで、体を見せちゃダメ。

 それに、さっき見えたのは――腹筋や胸元に散った、赤い花びら。


――あれ……つまり、その……行為の痕……


 頬がぼんと燃える。

「ひええ」と脳内で転がりまわった。

 素直な綾人が、そこまで進んでることも衝撃やし、その上で、この無防備さにも度肝を抜かれちゃう。


――綾人は、かなり天然さんやから、気をつけてあげなくちゃ!


 そう誓ったとき――声をかけられた。


「ねえ、君らさ。二人?」

「……!」


 横目に窺えば、派手な見た目の、若い男がふたり。

 ねばっこい猫なで声に、嫌な予感がする。


――さっきの、見られてた……?


 それでなくとも、綾人は魅力的やから気をつけなきゃ。気付かないフリで、その場を離れようとしたとき――


「あん? なんだアンタら」


 綾人が眉根を寄せて、振り返る。

 あ、あやと――!? 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る